第7話 怨讐
「ヴォオォォォン!」
凄まじい咆哮が夜の静寂を切り裂く。ビビって目を閉じて顔を逸らしそうになるが、グッと堪えた。
「来ます!」
【ΑξΡΥΗΘΝΑυ】
テスの短い警告と同時に赤いウィンドウが明滅。俺が反射的に脇へと飛び退いた直後、巨影がその場へ突進してきた。石畳が抉れ、土煙が舞い上がる。
俺は転がりざまに体勢を立て直し、さらなる攻撃に備えた。
きっとここは倉庫街なのだろう。馬車や荷車想定の道だから道幅が広く、動く空間は十分にある。
――再び赤ウィンドウが瞬く。
だけど土煙で敵の姿は見えない。
――どう避ければいい!?
突然、視界中央から右端へと赤いウィンドウが移動した。俺は無我夢中でその方向へと身を投げる。
数秒後、俺が立っていた場所に、ズドォンと轟音と衝撃が走る。
「グルルルゥ!!」
またしても俺を仕留め損なったジャンカーウルフは、憎々しげに歯茎ごと牙を剥き出しに、俺を睨んでいる。
血走った瞳は月明かりを受けて、闇夜に浮き立つように光っている。そして瞳孔が大きく開かれていて、内に秘めた怒りを感じさせた。
「リングスさん、離れて!」
狼の巨躯の向こうからテスの声が聞こえ、何かがジャンカーウルフの頭上に投げられた。俺は声に従い距離を取る。
直後、投げられたのが藁の束だとわかった。そしてそれに向かってテスが持っていた松明が投げつけられる。ボッと音を立てて勢いよく炎が上がり、束ねていた紐が焼け切れて火の粉が狼へと舞い散る。
あの炎の上がり方からして、油でも染み込ませてあったのだろう。恐らくテスが自衛のために用意しておいた物。さすが2年間生き延びただけはある。
火の粉は大したダメージには至らないが、ジャンカーウルフは明らかに動揺している。降りかかった炎を消すために、俺達がいた石蔵へと体を擦り付け始めた。その隙をついてテスが首筋へと乗りかかる。
テスの流れるような一連の攻撃に見惚れていた事に気づいて、長剣を手に加勢に駆けつけようとした。
だがウィンドウが視界を大きく塞ぐ。
――大蛇の頭部に剣を突き刺した瞬間がフラッシュバック。
俺は足を止め、テスに向けて叫ぶ。
「テス! 降りろ!」
テスはローブから取り出した短剣を振り上げていた。しかし俺の声を聞いてジャンカーウルフから転がり落ち、その勢いで石蔵へと駆け込んだ。
直後、もうひとつの大きな影が上空から舞い降り、ジャンカーウルフの隣に並び立った。
「親達だったわけだ……」
怒りを剥き出しに牙を見せつけている個体と静かに、だけど口の端を憎々しげに上げて牙を光らせている個体。
体格的に見て先に戦っていた方が母親だろう。となると、もう一方は父親か?
何にしても――
「やっべぇな……。ウィンドウ、あの力は使えないのか?」
反応はない。俺は舌打ちをして、ゆっくりと後退りする。
後方には崩れた石蔵。その瓦礫の山を利用して撒ければ……。
母狼が俺に向かって疾走。息を呑む間もなく迫る爪。しかし引いた足が瓦礫に引っ掛かり後転。
鼻先を冷たい風が通り抜けた。
そしてそのまま母狼は騒々しい音を立てて瓦礫に突っ込んだ。
「あっぶね……、あいつ怒りで周りが見えていないのか?」
いや、周りが見えてないのは俺もだ。慌てて父狼へと目線を送る。
奴は石蔵の前で鼻をヒクつかせたかと思うと、何故か俊敏にサイドステップを見せた。直後、父狼がいた場所に油がぶち撒けられる。
「気づかれましたか……。仕方ありません、あなたの相手は私です」
蔵から出てきたテスが桶を放り、短剣を両手に構える。
「……となると俺はお前を仕留めなきゃ、カッコつかねえ」
ガラガラと音を立てて立ち上がった母親のジャンカーウルフ。体を震わせて埃を落としているが、瞳は俺を捉えている。
長剣を構えるが、疑問が浮かぶ。
本当に別々に相手をしていいのか? ハッキリとわかる、悔しいが俺の実力じゃコイツに勝てない。
テスの動きを見るに、彼女は一頭だけなら相手を出来るかもしれない。だけど俺が死ねば二頭に嬲られて確実に殺られる。
――『連携を意識して戦いましょう』
テスの言葉を思い出す。
そうだ、連携だ。だけど今俺が連携を取るべきは……。
「おい、クソウィンドウ。あいつの攻撃を――」
喧しいくらいに赤く明滅するウィンドウが視界を走る。俺がその方向へ転がり込むと、牙が空を喰んだ。
俺は起き上がりざまに剣を地面スレスレに走らせ、ジャンカーウルフの皮膚を裂く。
「チッ、浅い!」
切っ先が掠った程度だ。しかしウルフはさらに激昂して、耳をつんざくような咆哮を上げた。
「クソッ、耳が痛え! けど怒ってくれたなら狙い通り!」
耳を押さえながら、ウィンドウが場所を示すように空間に浮いているのを見つけた。ウィンドウも俺の意図を察してくれたみたいだ。
俺はそのウィンドウが正面に来るように立ち位置を調整して、怒り狂った母狼の攻撃を待つ。
【∇∇∇】
「もうちょい? ここか?」
ウィンドウが赤く明滅、下方へと落ちた。
俺はすぐさま体勢を落とし、地面に這いつくばって後方にいるテスと父狼を見る。
石蔵を背景に、テスは素早い身のこなしで父狼の攻撃を避けているが、激しい攻撃で体力を削られたのかテスは既に肩で息をしていた。そんなテスに向かって俺は叫んだ。
「テス、下がれ!」
言い終わる前に俺の頭上を母狼の巨影が走る。
攻撃を空かした母狼はそのまま父狼と衝突。大きく開いた牙が父狼の首筋へと刺さったのが見えた。
そしてそのままもつれ合って、石蔵の壁を壊して中へと転がり込んでいく。
蔵が崩落する振動と轟音、盛大な土煙が舞い上がった。
狙い通りに激昂した母狼を父狼にぶつける事に成功したのだ。
「やるじゃねぇか、ウィンドウ」
【φσ】
爽やかな青いウィンドウが浮かんだ。
「ゲホッ、リングスさん! 大丈夫ですか!?」
「ああ、テス、今のうちに逃げよう!」
土煙の中でテスの手を取って走りだそうとする。しかし一際大きな咆哮が大きな圧を放ち、土煙を吹き飛ばした。
「はっ……マジかよ……」
開けた視界に、そこかしこの建物上にいる大小様々な狼のシルエットが映る。そして月へと向かって一斉に遠吠えを上げた。
まるで逃さないと宣言するように。
「なるほど……。魔力に狂ってても、群での行動はするんだな」
「はぁ……はぁ……これは、絶体絶命……ですかね」
息を切らしているテスの手に、弱々しく力が籠もる。まるで死を覚悟したかのように。
数秒を引き延ばしたように、後悔の波が襲う。
俺が小狼の死体を処理しておけば、テスは巻き込まれなかった……。
いや俺が大蛇相手に油断しなければ、テスは魔力を使わなくて済んだ……。
そうすれば魔獣を引き寄せずに済んだ――。
魔獣を引き寄せる?
ある考えが浮かぶが、我ながら馬鹿馬鹿しくて笑みが溢れる。
「なぁ、テス。不確定要素は嫌なんだっけか?」




