第32話 決闘の舞台
ネクロード領は異様な雰囲気に包まれていた。死臭に近い鼻を覆いたくなるような臭いが漂う、村とも言い難い集落の数々。大きな街があるかと思えば、家々は苔生していて、濁った目をした住人達が往来で立ち尽くしていた。
その悪臭の中、複数の馬車の轍を辿りながら俺とテスは馬で並走している。
「貧困とかそういう問題じゃねぇだろ、これ……」
俺はローブで鼻を覆いながら馬上でテスに向けて声を上げた。
「……フェーテルの件を含めて、一つ思い当たる事があります。ですがソレをする事は自滅に等しい……」
「ソレってのはいったい……」
「禁忌の術を使った――っ! リングスさん、危ない!」
テスとウィンドウが警告を出したのは同時だった。風切音と共に矢が飛来。俺は馬から飛び降りて難を逃れる。すぐさま体勢を立て直して臨戦態勢。遠くに見える弓を構えた魔族を見据えた。
「お待ち下さい!」
一方でテスは馬の脚を止めてローブの裾を大きく開き、内側を見せつけた。そこにあるのはアンチェインズ家の家紋の刺繍だ。
「決闘の代理として馳せ参じました」
張り詰めた空気が弛緩する。魔族達は弓を下ろして手振りでついて来いと示した。
弓を放ってきた魔族達は、皆背中に豪奢な金刺繍の紋章を施していた。彼らの背中を見つめながら、しかし見張られている波動を感じながら黙ってついて行く。そしてある瞬間、マァルの庭に入ったような空気の変化を感じた。
――結界……か?
不快な臭いが遮断され、途端に熱気の籠る喧騒が耳に入り始める。
突如として眼前に現れたのは、黒石で作られた真四角のステージ。四隅には骨が焚べられ、蒼白い炎を上げる松明が設置されている。そしてそのステージを見下ろすように設営された観客席。そこに座る魔族達は皆あの金刺繍と同じ紋章を衣服のどこかに付けている。
決闘の開始を待ち遠しそうに眺め下ろす姿から、王権の高位者なのだと推測した。奴らにとってはただの娯楽なんだろう。そして彼らの頂点ともいえる一際高い位置に設置された、黒石の椅子。まるで玉座だ。
「まさか、お前達なのか!?」
驚きにわななく声が耳にはいる。
ステージの両サイドに立てられたテントの片側からアルテニオが顔を出した。俺とテスは彼の元へと走り寄るが、刺繍持ちの魔族――恐らく衛兵だろう――に制止された。そしてその内の一人が威圧的に言う。
「この者達は代理人として参じたという。本当か?」
アルテニオは口を開けて否定の言葉を喉の奥に溜めていた。しかし一旦口を閉じて言葉を飲み込んでから再び開いた。
「……その通りだ」
「だとしても一人で十分だ。どちらを闘わせるのだ」
テスが一歩前に出て言う。
「私です。この人は道中の付添人。ネクロード家の襲撃が無いとも限りませんので」
衛兵は頷いて俺へと冷たい目線を送る。威圧的な波動も込めてだ。
「下々の者が勝手に近づいていい場所ではない。本来なら斬り捨てる所だが……まぁいいだろう、ここから立ち去れ」
「下っ端が勝手に決めんじゃねぇよ。アンタら王権にとってはお祭り騒ぎなんだろ? なら2回戦やろうぜ」
男はさらに凄んでドス黒い殺気を滲ませる。
「今ここで貴様を殺さないのは、高位者の前だからだ。まずは結界の外に出ろ」
そう言って伸ばしてきた手を俺は軽く躱す。衛兵達と俺との間で一触即発の緊張感が生まれる。しかしそれすらも観客席の奴らは愉しげに声を弾ませていた。
その中でも一際異色な声が混ざり込む。
「いいじゃぁ、ありませんか。楽しそうですよ、ニ回勝負」
観客席達をさらに沸かせようと、甘っとろい声色で言う燕尾服の男、ネクロード。奴は勿体つけるようにゆっくりとトンガリ靴で荒れた大地を踏み締めて、俺達の元へと辿り着いた。
「こんなご時世だ、戦力は少しでも欲しい。だから一回でも勝って力を示せば、勝者と領主の命だけは助けてあげます。如何ですか、王権の方々!」
観客席へと投げかけた言葉はしばらく騒々しく揉まれ、やがて一人の小太りの男が立ち上がり答えとして投げ返してきた。
「決闘申請者のネクロードがそう言うのなら良いだろう。何より、ふははっ、面白そうだ」
小太りの男が歪んだ笑みを浮かべて満足気に腰を下ろすと拍手が巻き起こる。
「ハッ! ネクロード、良いところあるじゃねぇか。扱いやすいバカは好きだぜ」
「フンッ、何処の馬の骨だか知りませんが、勝てる気でいる事自体がおこがましい。……まぁ良いです、こちらにはあの娘がいる」
ネクロードはチラリと自らのテントを見た。そして口の端を吊り上げて流し目で言った。
「そして私としても力を誇示できるのなら願ったり叶ったりですよ」
そして自らのテントへと足を向けた。
奴の背中にガン飛ばしていると、衛兵がため息混じりにテントを捲くりながら言った。
「はぁ……、そうと決まればさっさと準備を始めろ。アルテニオ・アンチェインズ。貴様は出場しないのならば向こうだ」
アルテニオは他の男に両脇を掴まれ、力ずくで移送されていく。去り際にコチラを見た目には、悲壮な色が浮かんでいた。そして俺に向けらた視線には『娘を頼む』そういう意思が籠っていた。
その意思を胸に秘めながらテントに入った途端、テスが小声で責め立ててきた。
「どういうつもりですか! 相手は腐っても魔族の中で高位にあたる者! いくらウィンドウがあるからって無事では――」
俺はテスの口に人差し指を当てて言葉を遮る。そして同じく小声で返した。
「ネクロードとは俺がやる。テスは……恐らく出てくるフェーテルと闘ってくれないか?」
テスは「何を勝手な」と口をパクパクとさせていたが、諦めたように深く溜息をついた。
「何か、考えがあるのですか?」
テントの外から「一人目、出番だ」と声が掛かる。時間がない。
「力を見せつければいいんだろ?」
「それはあくまで昔の……ですが確かに王権に使える高位者はその傾向が――」
「早くしろと言っている!」
衛兵が幕を上げて叫ぶ。ステージ上には……フェーテルが待機している。
「……わかりました、私から行きます」
目を瞑って決意を固めたテスが顔を近づけてきた。
そしてそっと唇が触れ合う。柔らかな温もりが一瞬だけ重なり、離れていく。
「リングスさん、絶対に死なないで」
無意識に唇に手を当てながら、俺は呆然と返した。
「あ、ああ。テスも……な」




