第3話 取り合う手
天界と魔界の戦争は数千年も続いているという。そんな奴らもいつしか戦争という行為に飽きがきて、そして始めたのがこの代理戦争らしい。
ここ現界で暮らしていた聖族と魔族を戦わせて、それぞれの王の首を狙う。
勝った方には三十年の豊穣の恵みがもたらされるのだとか。
夜は動けず、日中も魔獣を警戒しながらだったから、それを見つけるのには時間を要した。日の高さから見て、ちょうど彼女と別れてから1日といったところか。
この廃墟都市で掲げられている、まだ風化していない旗。それを前にして俺の頭の中には歴史の授業が思い起こされていた。
あそこに居るのは今まで敵として認識していた魔族の娘。
聖族は16歳になるとスキルが目覚める。スキルの傾向や実力次第で戦場へと赴き、そして魔族を殺す。それが何よりの誉れだと教えられてきた。
そんな自分の中の常識を今、俺はひっくり返そうとしている。
魔族は残忍で悪逆非道だとか、魔力に狂った魔獣に似た存在だとか色々刷り込まれてきたけども、やっぱり自分の目と肌で感じるのが一番だ。
「よしっ……行くぞ」
それでもこうして自分を奮い立たせないといけないのは、頭の片隅に恐怖があるからだ。例えばあの建物に入った途端、魔族に囲まれて拷問を受ける羽目になったりとか、生きたまま解剖されて無限の苦しみを味わうとか……。子どもを怖がらせる為の数々の作り話が俺をビビらせてる。
「俺は、カッコいい英雄になりたい」
情けない自分に言い聞かせる。
カッコいいって何だ? 我ながら、抽象的過ぎてわからない。けど、少なくともあんな風に傷ついて、悲しみを背負った瞳を放っておくような人間が英雄になれるとは思えない。
いやそれ以前に俺は恩を仇で返して彼女を傷つけてしまった。単純に謝りたいし、感謝も伝えたい。
ひとつ深呼吸をして、一歩踏み出す。今までの常識から決別する大きな一歩。
たとえ魔族だろうと、手を取り合えるんじゃないか?
一歩踏み出せば、あっという間だった。ボロボロの扉の前に立って、俺はその扉をノックした。
「テス……あっ、いやデスティニア、いるか?」
カタン、と中から物音がした。そして鼻を啜る音がして、少し間を置いて声が聞こえてきた。
「……はい、入ってください」
扉を開けて踏み入る。
中はガランとしていた。机と椅子が1セットと石を組んで作った竈に鍋が乗っているだけ。そしてデスティニアは椅子の傍らに立って俺の方を向いていた。
警戒の意味も込めて、屋内を目線だけで観察する。
外観では分からなかったが、家というよりは石蔵と言った趣の建物だ。壁石が居住用の建物よりも厚く、頑丈そうに見える。内装も間仕切りのない開放的な構造で、窓もひとつしかない。
だから光量も少なく、屋内にいるデスティニアの表情は暗くてよく分からない。
怒っているのか、呆れているのか、……泣いているのか。
「その……昨日は悪かった。」
僅かな沈黙。彼女の言葉を待つその間が、俺にはとてつもなく長く感じた。
そして待ちわびた彼女の言葉は凛としていて、だけど感情を押し殺した淡々とした口調だった。
「気にしないでください。昨日も言いましたが、私達種族間の溝はとても深い、そう理解しています」
俺は一歩近づく。屋内の暗さに目が慣れてきて、段々と表情が見えてきた。感情は表に出ていなかったが、目元は……赤く腫れていた。一晩、下手したら一日中泣いていたのかもしれない。
それもそうか……。2年も耐えた孤独が終わるかと期待してしまえば、俺に拒否された哀しみは数倍にも膨れ上がるだろう。
罪悪感で胸が締め付けられる。だけど許しを乞うのは後だ。
「そうだな。……正直、ここに踏み入るのも勇気が必要だった。だけどお前は最初から俺を助けようとしてくれていた、そうなんだろう?」
また一歩近づく。まだ遠い彼女はただ立ち尽くしている。その感情は未だに読み取れない。希望を持つ事を恐れているのかもしれない。
「俺と……ここから脱出する為に手を組まないか?」
違う、そんな事を言いたかったんじゃない。自分の不器用さが嫌になる。相手の心をほどく的確な言葉がわからない。
そんな俺からデスティニアは僅かに目線を逸らす。愛想を尽かされたんじゃないかと鼓動が跳ね上がる。
「リングスさん、貴方は勘違いをしています。私は自分の意思でここにいるのです」
「……え?」
――『私は魔族で禁忌とされている言語理解スキル『バベル』に目覚めました。だからここにいるのです』
彼女の言葉が蘇る。確かに彼女は追放されたとは言っていない。スキルに目覚めた結果ここにいるという事は……。
「身を……隠しているのか……」
「そういうことです。外の世界では私は死んだ事になっているのです。ここから出て、私の存在が明るみになれば家族にも危険が及ぶ。なので、どのみち私はここから出られないのです」
彼女は無理矢理に笑みを作って、哀しい目で言う。
「だから……最初から希望も期待も持っていない。貴方は突然訪れた気紛らわし、それだけなのです」
それは、嘘だ……。
「ならなんで俺に手を差し伸べた! 俺が生きてここから出たら、君の事を言いふらす危険だってある!」
彼女の貼り付けたような笑顔が僅かに痙攣した。
「我慢出来なかったんだろ!? 死と隣り合わせで、孤独でいることが!!」
デスティニアは無表情に戻り、ボソリと言う。
「じゃあ……どうしろって言うんですか」
俺はまた一歩、歩み寄る。それを機に、デスティニアの感情が爆発した。
「近づかないでください! 確かに私は希望を持ってしまった!
だけど、だけど……! 貴方に拒否されて、現実を思い出した! 私には逃げ道なんてないんだって!」
大粒の涙が青く綺麗な瞳から流れ出す。
なんて言葉を掛ければいい? 頭を抱えて悩みたくなるけど、彼女の前でそんな事は出来ない。
だって俺は――
「俺は、カッコいい英雄になりたいんだ」
「……は?」
涙顔のデスティニアが呆気にとられて、声を漏らす。
正直俺としても何を言っているんだって感じだ。苦し紛れに、この涙を止めたくて捻り出した言葉がこれだった。恥ずかしくて顔が紅潮するのを感じた。
だけど、この捻り出した感情をそのままぶつける以外に、不器用な俺に残された手は無いように思えた。
「テス……いや、デスティニア、君の呪縛を解くにはどうすればいい? 例えば、俺が現魔王を倒す……とか?」
「何を馬鹿な事を……あの方がどれ程強いか――」
「俺が、前魔王を倒した大英雄ヴァルシバルのスキルを持っているとしたら?」
デスティニアの目が見開かれる。その瞳の奥に、僅かに希望が灯ったように見えた。それが嬉しくて、俺は更に秘めていた考えを言う。
「それと……そうだな、現光王も倒す」
「ちょっ、話が変な方向に……」
涙も引っ込み、デスティニアが取り乱したのが面白くて、俺も笑顔になる。
「いいじゃん、誰も聞いてないんだし。なんかさ、君とこうして話していると、聖族とか魔族とか、馬鹿らしく思えてきたんだ」
「……それは、私も思いました。貴方を観察していたら、魔獣に怯えてて、空腹に苦しんで、独りは哀しそうで……そんな姿がなんだか情けなくって、私と同じ人間なんだなって」
また一歩、もう手の届く距離まで近づいた。けれど拒絶は感じられない。俺は手を差し出して言った。
「俺と……自由を取り戻す戦いをしないか?」
「私は……貴方に希望を持ってもいいのですか?」
ぎこちなく手を伸ばすデスティニア。その手を俺は強く握った。
「せめてここに居るよりはマシくらいには思わせてやる!」
「……えと、なんかちょっと締まらないですね」
デスティニアがじっとりと俺を見る。
「そ、そうか?」
「俺に任せろ、くらいは言ってほしかったですね」
イタズラっぽく笑みを浮かべた彼女を見て、ホッとした。
「でも……疑うわけではないのですが、リングスさんは本当にそんなに凄いスキルを持っているのですか? だとしたら、なんであんなに怯えていたのですか?」
「ああ、いや、実はだなぁ。……いや待てよ」
俺はある可能性を思いつき、身震いした。




