第29話 帰郷
「この辺りで大丈夫です。ここまでありがとうございました」
「いいんじゃよ。……どうか、安らかな日々を」
俺とテスは荷馬車から降りて、慈しみの眼差しを寄越す老いた御者へと深く頭を下げた。俺達を悲恋の二人と見た彼がアンチェインズ領の本元まで送ってくれたのだ。善意を悪用していることに後ろめたさを覚えるが、事態が事態だけに心の中で謝るしかない。
一歩一歩踏み締めて歩くテスに続いて草原を歩く。やがて朝露で湿った牧草の香りが漂う閑散とした牧草地へと出た。テスの歩調が早まる。
そしてそこを抜けて丘に上がると、目的地が見えてきた。なだらかな丘陵に作られた整然とした街並み。その頂点に見える大きな御屋敷。
テスの青い瞳が懐かしさと哀しみを宿して潤んでいる。
「行こう」
「はい」
俺とテスは当たり前のように手を繋いで丘を下り始めた。
街を早足で一直線に抜け、顔の半分以上に包帯を巻いたテスと頭に包帯を巻いた俺は屋敷の門前へと来た。
まぁ見るからに怪しい二人ではあるのだが、流石にここまで来るとテスの顔を知っている人もいるから仕方ない、……のだけど前はいなかったという門兵が御屋敷の前で待ち構えていた。
俺達は親密さをアピールするように手を繋いで体をぐっと近づける。ボロ切れ越しにテスの体温を感じる。
【敵Θ】
ポンッと門兵の顔の横にウィンドウが現れた。意味は敵意、だろう。色は薄い赤、警戒心を示してると見える。
ここは緊迫した状況にある。流石に悲恋の二人作戦は簡単には通用しない。
門兵は俺達の様子をジロリと鋭く睨めつけてドスン、と威圧的に大盾を地面に突き立てて言った。
「何用、かな?」
俺達は顔を見合わせて頷く。そしてテスが例の厚革を取り出してそれを俺が受け取り、中に包まれた紙を取り出して手渡した。
「密偵衆か……。こんな任務、聞いたことないが確かに領主様の筆跡……」
門兵は困惑気味に何度も紙の上で目線を走らせる。ウィンドウの色が徐々に黄色になっていく。
この紙はテスの父親が彼女を逃がすときに持たせた指令書だ。
これがあれば国境外へ出ることは容易くなる。そしてありがたいことに、帰る目的でも十分すぎる程に役に立っている。
テスが喋れば声でバレる危険もある。だから俺が代わりに前へと出る。堂々と包帯を外し、魔族の言葉を口にした。しかし語調は弱々しく、だ。
「この紙を、主様に。この身を賭した情報と彼女が戻った、そう伝えてくれ」
演技には慣れてない。緊張で口の中の渇きを感じながら言葉を紡ぐ。
ここで何故かウィンドウの色が赤に戻った。見開きそうになった目をなんとか堪えたが、冷や汗が噴き出す。
「そうか、角折り。ならば……すまぬが傷痕を確認させてはくれないか」
鼓動が跳ね上がる。
もちろん頭に傷痕などあるはずもない。見られたら一巻の終わりだ。
しかし相手は渦中の最中にある門兵、確かに確認する妥当性はある……。
――どうする。
思考が搔き乱れながらも何とか答えを導き出そうもする。
そんな俺の真横から嵐のような強い魔力の波動が発せられた。それに当てられた門兵は反射的に突き立てた盾を引き抜いた。
「主様の筆跡もあるというのに、どういう了見か」
テスが聞いたこともない、絞り出したような低い声で威圧した。これなら怒りも表現しつつ声も誤魔化せる。
門兵はたじたじになりながら、弁明する。
「な、長い間離れていたから知らぬかも知れぬが、今アンチェインズ領は厳しい立場にあり――」
「我等を何だと思っている。ここに来るまでに耳に入っておるわ」
門兵の言葉を遮ってテスは睨みを利かせる。そして一歩、大股で門兵に近づく。
「その事情と我の恩人の傷を確認することに、何の関係が……ゲホッゲホッ」
テスが大きく咳き込んだ。恐らく低い声で喉に負担をかけ過ぎたためなんだろうけど、門兵は「だ、大丈夫か」と空いている片手をテスに向かって彷徨わせている。
ウィンドウの色は再び黄色。ここぞとばかりにテスを庇うように立ち塞がり、俺は畳み掛ける。
「よもや私が薄汚い聖族だとでも? 心外である。その指令書を主様に届ければ済む話であろう、それまで我々はお主の目の前で立っていようではないか」
テスの語調に引っ張られてやたらと芝居がかった言葉になってしまったが、もはや門兵はそんなことを気にする余裕も無くなっていた。
彼は少し思い悩んだものの、大声で近くの兵士を呼び、事情を話して走らせた。応答が来るまでの間、門兵はバツが悪そうに目線を逸らしていたが、やがて、重たそうに口を開いた。
「失礼を……詫びる」
「構わないさ、事情はわかっている」
俺は包帯をテスに巻き直して貰いながら応えた。ウィンドウの色はほとんど青だ。
「感謝する。……我らの敵は国境の向こうにいるというのに、誠に浅ましい話だ」
気まずい沈黙、だけどいいタイミングで迎えがやってきた。
「御二人方、こちらへ」
ピシッと身なりを整えた中年の女性が物腰柔らかく、俺達の案内を引き受けた。
無言で屋敷内を進む。照明は抑えられ、昼前だというのに仄暗い館内は薄気味悪さすらある。そんな実家をテスがどう感じているのか。チラリと盗み見た彼女の瞳は何も物語っていない。ただ前だけを見据え、再会の時に備えているようだった。
恐らく館の中央に位置する部屋であろう、分厚い扉の前までやってきた。案内人の女性は小気味よく扉をノックし、中からの「入れ」の言葉で扉を押し開いた。
重たい音をたてて開かれる扉。広がっていく隙間から陽射しが漏れ出てくる。そしてその陽射しに呑み込まれるようにして、俺達は部屋へと足を踏み入れた。
「レイデイ、下がってくれないか」
開口一番、部屋の奥から抑揚のない声が響いた。重く低く、でも明瞭としていて、人々に届け慣れている、そんな声だ。
声の主はデスクの向こうで椅子に腰掛け、こちらへ背を向けて大窓の外を眺めている。
レイデイと呼ばれた女性は深々とお辞儀をして退出。
彼女がゆっくりと扉を閉める音。それが終わるまで、室内にいる三人は身動ぎもしなかった。
バタン、と小さく音をたてて扉が閉まる。それが合図のように領主は立ち上がり、背を向けたまま言った。
「男、この紙を何処で手に入れた」
かさりと紙を握る手に力が籠る音がした。
溢れ出そうな感情を押し殺しているのが伝わる声音だ。
「俺は彼女から借りただけだ」
「では女、この紙を……」
領主は言葉を詰まらせる。
きっと考えうる最悪のケースを想定した質問。残酷な想像に耐えきれなくなったのだろう。
早く正体を明かしてやれ、包帯を取って抱きついてやれ。
そんなもどかしさを俺の方が抱いてしまう。
しかしテスは一向にそんな様子を見せない。包帯姿のままで、父親の背中を食い入るように見つめている。そしてゆっくりと唇を開いた。
「……言えません」
俺も、そして恐らく父親も、テスの考えを理解した。
例え二人きりだとしても、他人にバレたら全てが台無しになる。油断は許されないのだ。
部屋の中に重く積層する沈黙。それが十分に溜まった頃合いで、テスは静かに言った。
「理由は、言えません。ですが、フェーテルを……助けに来ました」
フェーテル、以前テスが涙を流しながら溢していた名前だ。
その言葉で心を制御する糸が切れたように、領主アルテニオは振り返った。
白髪を伸ばした強面の男。だけどテスの面影がある。特に垂れ目気味な目元がそっくりだ。そしてそのそっくりな瞳がテスを捉えた。
アルテニオは口を開きテスの名を口にしかける。だけどきつく結び直す。それでも感情が決壊したように、徐々に強面の顔をクシャクシャにしながら、青い瞳に大粒の涙を溜めて、声を振り絞った。
「よくぞ、戻ってきてくれた」




