第27話 国境を越えて
マァルの庭から逃げてから一週間。俺とテスは魔族の領地を目指して口数少なく山を登っていた。
逃げながら見えたあの炎の柱。その熱がマァルの庭が消滅したことを、そして彼女の死を否応なしに突きつけてきた。
強くなったと思った矢先に零れ落ちていった。その悔しさに叫びたい衝動に何度も駆られた。
だけどこの感情をテスと共有できたから、抑えることができたし、悔しさを飲み下して前を向くことができた。
騎士隊がどうなったのかも分からない。もしかしたらすぐそこまで迫っているかもしれない。それとピラー戦で抜け落ちた俺の中の何か。依然正体を掴めないソレが不安を掻き立てている。
「はぁ……はぁ……少し休みましょう。見てください、あそこが戦場の最前線『レッドフォールライン』です」
山岳地帯を切り裂く巨大な峡谷に、赤黒い線が走っていた。
この険しい山脈において、馬車が通れる唯一の緩やかな峠道。補給路の要所であり戦略的急所、有名な激戦地だ。
「……あいつら、今日も殺り合ってるのか」
遠目に見てもわかる。赤黒いのは岩肌の色だけじゃない。
何十年、何百年と積み重なった両軍の返り血が、石畳を染め上げているのだ。だから『レッドフォール』。
一つ、大きな爆炎が上がる。それと同時に絶叫とも雄叫びともつかない声が遠く離れたここまで響き、木魂となって返っていく。
――あいつらは、いったい何の為に戦っているんだ……。
胸を穿つ虚しさにそんな考えが起こった。
山脈の冷えた空気によって現れる白い息が、戦場との間に広がるフィルターとなって当事者意識を薄れさせる。
マァルは一つの都市を壊滅させた罪をずっと抱えていた。それじゃあ、あの戦場で生まれた罪は誰が抱える?
聖王か? 魔王か?
言いようのないモヤモヤが心に溜まっていく。
「……行きましょう」
目を細めてあの戦場を眺めていたテスは、白い息を大きく吐き出して前を向いた。前を進むテスの背中を見ながら俺は何度目か分からない誓いを心に刻む。
――テスだけは失わない、と。
俺達が山を越えるのに三日掛かった。軽装の俺達でこの日数だ。山脈を行軍するなんて無理がある。だからこそ『レッドフォールライン』の重要さが肌に染みて理解できた。しかしそれと豆粒のように散りゆく生命が等価とはとても思えない。
山道が終わり、林道を歩いていると赤いウィンドウが現れた。反射的にテスの手を引いて足を止めた。
【魔族がηε】
――魔族がいる、か?
俺の予想通り、一人の隻腕の魔族の男が木上から降りて現れた。魔力の波動を隠すことなく発散させ、当たり前だが角は隠されずに顕になっている。
そしてすぐに攻撃されなかったのは、テスも同じく角を出しているからだ。
――こいつだけじゃない。ウィンドウには5と表示されている。
「動くな」
凄みの効いた重たい声が俺に向かって放たれる。
いや、待てよ。言葉が理解できている?
「君は魔族のようだか、……その男は?」
男は槍の矛先を向け、顎で俺のことを指した。その瞬間、魔力の波動で皮膚が泡立ち、毛が逆立った。
俺は動きも呼吸も止め、冷や汗さえ流せずに交渉をテスに任せて動向を伺う。
「国境警備、お疲れ様です。私達は聖族の偵察に出ていた者です」
テスは冷静に懐から分厚い革に巻かれた古びた紙を取り出した。それを丁寧に提示して見せる。そして無言で目を通した男は槍を下げた。
「……そうか、アンチェインズ領の密偵衆か」
アンチェインズの名を口にした時、男の顔が曇った。
「ということは、そちらの方はもしや”角折り”、なのか?」
テスは静かに頷いて言った。
「この方の角と引き換えに重大な情報を手に入れました。早く領地に帰りたいのです」
男は槍をしまい、物悲しげな表情で俺へ向けて腰を折って陳謝した。
「無礼な振る舞い、申し訳なかった。その身を賭した情報、一刻も早く届けてください。そして……どうか安らかな日々を」
警備隊をやり過ごして十分に距離を離してから、俺はテスに耳打ちをした。
「さっきのどういう事だったんだ?」
「ああ、ごめんなさい。説明しておくべきでしたね。リングスさんは聖族に紛れ込むために角を折り取った、という体です」
角は呼吸器官のようなもの。つまり肺を潰してまでも敵地に潜り込んだスパイというわけか。あの態度も納得だ。もちろん隣に立派な魔族であるテスがいるから成立する作戦ではあるが。俺は思いつきで包帯を頭に巻いてテスに「どうだ」と微笑みかける。
しかしテスはぎこちない笑顔を浮かべるだけだ。
やはりというか、領地に入ってからどこか上の空だ。結局何の作戦も無く魔族領に帰ってきてしまった。だから必死にどうするかを考えているのかもしれない。
禁忌のスキルを持つが故に処刑されたはずのテス。その生存がバレれば家族どころか父の治めるアンチェインズ領の存続すら危うい。
俺は立ち止まり、テスに言葉を投げる。
「そろそろ、ここからどうするか、二人で向き合おう」
テスはピタリと足を止めてこちらを向く。
「リングスさん、その事なのですが、二人で何処か遠い場所で暮らしませんか?」
「テス、それはいったい……」
「もう、魔族も聖族もどうでも良くないですか? 私達二人でどうにかできる戦いじゃないです!」
その言葉でレッドフォールラインの光景が瞼の裏に浮かび上がる。
それよりも、いつも冷静なあのテスが声を荒げた。抑え込んでいた感情が爆発したのだろう。確かにマァルの家で宣言した時とは状況が違う。追い詰められ、魔族領に逃げてきた。だけどここだって安全ではない。一歩間違えば今度はテスの身内に被害が及ぶ。
そうだな、と言って肯定してやりたい。だけどそれで得られる安寧なんて一時的なものでしかないことは、テスにも理解できているはずだ。
俺はゆっくりと、言葉を選んで伝えた。
「あのマァルが俺達と出会えて良かった、そう言ってくれたんだ。あの言葉は俺達なら荒唐無稽な夢を叶えられると信じてくれたから出てきた言葉だと思う」
「ですが! 状況は悪くなるばかり! このまま進んでも犠牲が……増える……」
最後の言葉は力無く掠れて消えていった。ポタポタと地面に俯くテスの涙が落ちる。
彼女の震える肩を抱き締めながら、気持ちを伝えた。
「悪い事ばかりじゃないさ。騎士隊長も倒せた。ウィンドウの文字だって読めるようになってきたし、俺、魔族の言葉が理解できたんだ」
俺の言葉にハッと息を呑み、「そういえば……」と小さく呟いた。
「テスは犠牲を出す事を嫌ってるもんな、だから代わりに俺が何を犠牲にしてでも、テスを悲しませない、そう誓うよ」
呼吸に落ち着きを取り戻したテスは、体を俺に預けて静かに言った。
「もう、それじゃ私にとってリングスさんが犠牲になってるじゃないですか。それじゃ悲しみますよ、私」
「あっ、あー、そうだなぁ。それは困るな」
「締まらないなぁ」とイタズラっぽく笑みを浮かべるテス。その笑みが強がりだとは分かっている。だけど愛おしくて強く抱き締めた。




