第14話 烙印
【起きろ、リングス】
「むにゃ……」
【すぐにここから出るんだ】
「むにゃ……え?」
俺は飛び起きて目を擦った。
【ςρξΘΝΑφψΞυξ】
「いつものウィンドウだよな……」
寝ぼけているんじゃないかと周囲をぐるりと見渡す。マァルから与えられた一室だ。とは言っても物置なんだが。小さな小窓からは柔らかな陽射しが入り込んでいる。もう昼くらいか?
とりあえず俺が眠りについた場所と相違なかった事が現実感を強めてくれた。久しぶりにまともな寝床で眠れてスッキリ……とはいかず、全身筋肉痛だ。
いやそれより――。
「というかお前! 何今さらノコノコ出てきてやがる!」
ウィンドウに向かって怒鳴っているとドアがノックされた。それと同時にウィンドウが引っ込んだ。
「リングス、もう起きたの? 虫でも出たのかしら、入ってもいい?」
ドア越しのマァルの声だ。
……もしかしてウィンドウはマァルから隠れてる? というか、さっきの『出ていけ』は何だったんだ?
「おーい」
とりあえず待たすのも悪いから「どうぞ」と返すと、ドアを開けてマァルが部屋に入ってきた。どうしたのかと再度聞かれたが、ウィンドウが出ていけと言ってるとも言いづらいので、筋肉痛で呻いていたと説明した。
「そりゃ一晩中フルスイングしてればそうよね。動かないでちょうだい」
そう言って杖を取り出して治癒魔法を使ってくれた。重しが取れたように、体が軽くなる。だけどなんとも言えない気怠さが残った。
「うあ……なんかめちゃくちゃダルいんだけど」
「あぁ、治癒魔法の使いすぎね。これって結局本人の治癒力を促進させてるだけだから、肉体的な負担はその人に掛かるのよね」
「魔法も万能じゃないってことね……」
マァルは笑いながら腰に下げた袋から軟膏を取り出した。ツンとする薬草の匂いが部屋に広がる。
「そのままだと筋肉の炎症が再発しそうだから、薬を塗るわ。服を脱いでうつ伏せになって」
俺はちょっとドギマギしながら上着を脱いで上半身裸になった。そしてモゾモゾと落ち着きなくうつ伏せに寝る。
マァルが傍らに正座して座り、俺の背中に触れた。軟膏の匂いに彼女の香りが混ざり込む。そして彼女の体温なのか、軟膏の効能なのか判然としないが、ジンワリと背中が温かくなってきた。
「うはぁ〜気持ちいい〜」
蕩けるような心地の中、マァルのローブの裾から伸びる白いふくらはぎが目に留まり、釘付けになってしまう。
なるほど、これが至福というものか。
――嫌な思いばかりしてきたんだ、これくらい許されるだろ、テス。
何故か心の中でテスに謝っているうちに、マァルの指先が広背筋から肩甲骨へと伸びていく。そしてそのまま俺の後首へと滑らせ、指先に僅かに力を込めた。
瞬間、後首に灼かれたような痛みが走った。
「アッツ!!」
「あら、ごめんなさい。うーん、やっぱりあなた【追放者】なのよねぇ」
「追放……者? 確かに追放された身だけど……」
追放、その言葉に何か特別な意味があるのだろうか。
マァルに指で寝るように指示をされ、俺は戸惑いながらも再びうつ伏せに寝転がる。そして彼女は俺の腕を手に取り、軟膏を塗り込みながら話し始めた。
「教団の大司祭以上には烙印という能力が備わる。その一つが【追放】」
マァルはそう言いながら両手への処置を終えたタイミングで立ち上がる。それから後ろを向き、ローブをはだけさせて首筋を晒した。そして自らの後首に指を回して力を込めた。
マァルの僅かなうめき声。それと同時に滑らかな磁気のような肌に天使の翅を模した教団の紋様が浮かぶ。だがその紋様に大きくバツがついていた。
「これが【追放】の烙印よ」
マァルは服装を整え、俺へと向き直る。いつもの笑みをたたえた顔から一転して真面目な表情のマァルに大きな不安を覚えた。
「そ、それがあると……どうなるんだ?」
――声が震えそうだ。
「烙印は元々罪人に押される罰のような物。その中でも【追放】は天界からの加護を打ち切る効力を持つ」
マァルは軟膏を片付けながら僅かに微笑む。だけどそれは情けをかけるような笑みだ。
「と言っても分からないわよね。教団の教えに、天使はいつでも行いを見ているっていうのがあるでしょ?」
俺は曖昧に頷く。あまり熱心な信徒では無かったから教典の半分も覚えちゃいないが、それは確かに有名な一節だ。
「あれは脅しでもなんでもない。聖族の人間は天界から観測されているの。行いに応じて善行ポイントが溜まっていく。ある程度まで溜まった人は教団の運営側に回れるの」
司祭、騎士、処刑人、とマァルは数えるように役職を上げていく。
なんだ、そんな事かと表面上は安心しながら認識を擦り合わせる。
「つまり、その観測が途切れるから善行が溜まらなくなるってことか? なら何の問題もねぇな。……ふぅ、ありがとう、楽になったよ」
俺は服を着て、軽くなった体の調子を確認した。うん、いい調子だ。教団側に回る気は元々無かったから、痛くもかゆくもないわけだ。
「残念、ここからが本題。聖族がスキルを使えているのは何故だと思う?」
「それは……天界からの加護……」
俺は自分の手のひらへと視線を落とした。じっとりと汗が滲んでいる。
加護が打ち切られる、それってつまり……。
窓越しに枝葉が風で擦れ合う音が聞こえる。まるで心のざわめきを反映したかのようにカサカサと。
マァルは何も言わない。俺の答えを待っているんだ。
口に出すのが怖い。だけど心は先に進みたがっている。知りたがっている。俺の人生を狂わせた『聖櫃の因憶』の情報を。
風が収まり、音が消えた。
俺は前に進むために、導きだした答えを確認した。
「スキルが使えなくなるって事、だな」
「そういう事」
ふぅ、と短く息を吐く。意外にも想定通りの衝撃的な答えを、冷静に受け止める事ができた。
「だけど俺はウィンドウが見えるし、マァルは魔法が使えるじゃないか」
「私の魔法は”技術”なのよ。魔族のように魔力があればどこでもってわけにはいかない。言ってしまうと、私はこの土地の結界内でしか力を発揮できないの」
マァルが小窓から見える庭へと視線を移し、愛おしさと哀しさの混じった目線をやりながらそう言った。
「それじゃあ俺のウィンドウについては?」
マァルは悩ましげに壁にもたれ掛かる。
「そのウィンドウが謎を深めているのよねぇ。正直あなたに何が起こっているのか、私の知識だけでは説明できないわ。それこそ解読不能の文字とやらを解き明かさないとわからないかもしれないわね」
おい、ウィンドウ。心の中でそう語りかける。だけど反応はない。
でもこの反応の無さがスキルが発動しなくなったからとか、そういう理由じゃないのは直感的に分かっていた。
「はぁ……ウィンドウの奴、マァルから隠れているみたいだ」
「あら、私何かしたのかしら? それにしてもウィンドウに意思があるような言い方ね」
マァルが可笑しそうに笑う。その声で、重苦しかった空気が多少和らいだ。
「実際あるような気がするんだ。そうだ、ついでに昨日の課題をクリアしたんだから、『聖櫃の因憶』について知っている事を教えてくれよ」
「持ってる情報はあまりないのだけどね。とりあえず私がヴァルシバルのスキルを調べた時は、ウィンドウとかそんな事は言ってなかった。ただ……何かを犠牲にして一時的に莫大な力を得る、そんなスキルだった」
結局のところ、賢者様も全てを知っているわけではないってことだ。俺は肩をすくめて見せた。
「つまり、『聖櫃の因憶』については結局良く分かってないって事だな。考えてみれば、あのクソベベルも分かってなかったんだ。マァルが知らなくても不思議じゃねぇか」
「あら、あなたベベルを知ってるの?」
マァルが意外そうに目を見開く。
「知ってるも何も、俺はあの大司祭長様に追放されたんだぜ」
そういや説明した時は名前を出してなかったか。
その言葉を聞いたマァルは考え込んでしまった。
「なんだ、知り合いか?」
「ええ、以前一緒に魔力の研究をしていた事があるの。私とベベルとヴァルシバルでスキル調査の名目でいろいろ無茶したわ」
マァルが懐かしそうに「あのベベルが大司祭長かぁ」と呟いた。
俺はそれを見て、ある疑問が浮かび、聞くのが怖くもあるけども、どうしても聞いておきたかった。
「なぁ……マァルって何歳なんだ……?」
「ん? 76歳よ」
「ななっ!! えぇ!!」
マァルは俺の反応を楽しむようにケラケラと笑い、「いい反応をありがとっ」とウィンクを寄越してきた。
複雑な胸中に苦しむ中、テスが廊下に姿を現した。
ボサボサの髪で「おは……ます……」とボソボソ言う彼女はまだ眠そうだ。
「悪い、起こしちまったか?」
「いえ、久しぶりに熟睡できました」
そう言ってテスは大きく伸びをした。
「この話の続きはまた今度にしましょう。お腹空いてるわよね?」
そう言ってマァルはキッチンへと向かって行った。しかしすぐにマァルが困った顔で戻ってきた。
「小麦粉が終わってしまったわ。あなた達、明日でいいから買いに行ってくれないかしら?」
テスが途端に目を輝かせて返事をした。
「是非! 行きましょう、リングスさん! 買い物へ!」
「あ、あぁ……」
内心さっきの烙印の話を引きずっていて、それどころじゃないという不安と焦りが浮かぶ。
だけどマァルから離れれば、またウィンドウが現れるかもしれないし、警告に沿った行動にもなる。
「そうだな、買い物に行こうか、テス」
「はい!」
なにより、テスの笑顔をみたら不安も焦りもどこかへ行っちまったんだ。




