第10話 遠い日の夢
――夢を見ていた。
口に出すのがちょっと恥ずかしい、夢見る少女だった頃の憧れ、そんな夢を。
でもいつぶりだろう、夢を見るなんて。
父に渡された地図を頼りに廃墟都市へと逃げ込んだあの日から、熟睡出来た事なんてなかった。いつも物音に怯え、気を張っていたから。
微睡みの中で感じる、頬から伝わる温かい体温。一定の間隔で揺られる振動。木漏れ日の暖かさ。そして安心感を得られる広い背中。
懐かしい感覚、私は今おんぶされているのかな。
「お父さん……」
寝言のように言葉が溢れてしまう。だけどこの背中が父のものではないと分かっている。
そう自覚すると今度は涙が溢れてきてしまう。
彼に気づかれたくなくて、だけど嗚咽は抑えられなくて……。
一瞬、彼の歩みが止まったけども、まるで何事も無かったかのように再び歩き出した。
彼が許してくれるならこのまま少し泣こう。
だけど次第に明瞭になる思考が、おぞましい記憶を思い出させる。
バンダースナッチ、身の毛もよだつあの恐ろしい舌の肌触りが首筋に蘇った。
「いやぁっ!!」
私は悲鳴を上げながら、反射的に両手で自分の首に触れてしまった。彼の肩から手が離れたことで、大きく後ろに仰け反ってしまう。それによって彼も体勢を崩して、一緒に倒れ込んでしまった。
「おわわっ!痛ッ!」
「きゃっ!……ごめんなさい、リングスさん!」
「ぐぅっ……」
彼は全身を抑え、うずくまって苦しそうに呻いている。
そこでようやく私の思考は正常と言えるまでに回復した。
「リングスさん!?大丈夫ですか!……腕が!」
左腕は完全に折れている。右手も手首が折れている様子だ。
こんな状態で私をおんぶして運んでくれていたんだ。
なのに私ときたら……。
彼は冷や汗を浮かべ、唇が青白く変色し、身体はガタガタと震えている。それでも無理して笑いかけてくれた。
「あぁ、大丈夫、だ。よ、よかった、目が覚めたんだな」
「すぐに治癒を――」
「い、いや、ここはまだ、危ない」
「わかりました、でもそのままにはしておけません。少し待っていてください!」
辺りを見回して木の枝を拾い、ローブの裾を破いて添え木にした。
「イテテ……助かる。これだけでも少しは、楽になるもんだな」
言葉とは裏腹に無理をしている事が伝わる。
「応急処置止まりです、早く安全な……」
安全な場所なんてあるのだろうか?あの悪魔から逃げられなんて……。あれ、そういえば。
「あの、バンダースナッチは?」
「討伐……とまではいかずに撃退止まりだ」
「嘘……、あの悪魔を撃退したのですか?」
「……へへっ、これが英雄の力ってやつよ」
彼は苦しさを隠してそう言った。
私は彼に肩を貸して立ち上がり、顔を背けて言った。
「なんだ……スキル、ちゃんと使いこなせるんじゃないですか」
なんで私はまた泣いているんだろう。
ああ、そっか。あの牢獄から出られたからだ。
ううん、それだけじゃない。彼が力を貸してくれる。彼の力ならば、私も夢の中みたいにハッピーエンドを迎えられるかもしれない。
そんな希望を……明確に持てたからだ。
「ん、なんでそっぽ向いてるんだ?……怒ってる?」
「……ん、ふふっ」
まったく、この人ときたら。
鈍感で、でも時々鋭くて、カッコつけでどこか情けないけど、いざという時はちゃんと決めてくれて。……だけど締まらない。
さっきの夢に出てきた白馬の王子様とは程遠い。……だけど私にとっては、囚われていた私を救い出してくれた、紛れもない白馬の王子様。
――なんて、恥ずかしくて言えないけどね。
「……え、なんで今度は笑って……、まさか何かの毒か!?」
「もう、違いますよぉ。私は元気です、お陰様で……。あの、ありがとうございました」
今度は彼が恥ずかしがって顔を背ける。
「気にすんなって、2人で勝ち取った自由ってところだろ?イテテ……」
「リングスさんがそう言うなら、そういうことにしておきましょう。……どこか休める所を探さないとですね」
だけど、どこに行けばいい?
今歩いている所は昔の街道だったと見えてまだ歩ける。だけど周りは踏み入るのも戸惑う深い森だ。そしてこのまま進めばいづれ人里に出てしまう。
その時ふと角が誰かの魔力を感じ取った。存在を主張するかのように、甘く人工的に香り付けられたような魔力。
僅かだけど確かに、木々の隙間を流れるそよ風のように魔力の流れが道を作っていた。
かなり繊細で上級な魔力の操作。……私達を誘っている?
魔力の流れを見ていると、まるで木々が避けるようにして道が拓けた。
その様子を見て2人で目を合わせる。
「……誘われているようですが、どうします?」
「ウィンドウは警告してない。……行ってみるか」
私達は頷きあって、森の深みへと足を向けた。
その間際、私は横目で道を振り返った。
廃墟都市はもう見えない。あそこを離れると言うことは、ただ生き延びるのとはまた違った覚悟が必要になる。
私は犠牲を払って生き延びさせてもらった。
お父さん、そしてフェート、私は必ずあなた達の想いに応えて見せます。
※※※
――『王都ホーリークロイス、ベベルの私室』
一人の司祭が束になった紙をベベルへと差し出しながら
「ベベル様、以上が今月の発芽の儀の報告書となります」
と恭しく頭を垂れた。
ベベルはそれを受け取り、短く無愛想に告げる。
「確かに受領した。下がれ」
しかし司祭はその場に佇み、物言いたげにベベルを見ている。
「……どうした、下がれと言った」
ベベルはその司祭を睨見つけ、凄みを利かせた声を出した。しかしそれでも司祭は食い下がり、ついに口を開いた。
「恐れながらベベル様、最近ベベル様がお変わりになられたと、多くの司祭が心配しております。何か……おありになりましたのでしょうか」
「…………」
ベベルは無言でゆっくりと指を目の前の司祭へと向ける。この気に食わぬ男を消し去ろうと。
しかし司祭の背後でドアがノックされた。ドアの向こうには待ち侘びた男の気配。
「……心配には及ばぬ。言いたい事を言ったのならば、帰れ」
司祭は震えながら一礼をし、部屋から出ていった。そして入れ替わりで一人の男が入って来た。
五十近い歳だというのに若々しさを感じさせる糸目のその男は、無表情のまま一礼して言った。
「大変遅くなりました。何用でしょうか、ベベル様」
ベベルは男を一瞥し、用を短く伝える。
「聖教騎士隊、全隊員へ告げろ。【追放者】を狩れ、と」
男は眉を僅かに上げたが、言葉は従順そのものだった。
「【追放者】狩り、承知致しました。直ちに準備を進めます」
「狩った者のリストは私に届けろ。迅速に行え、騎士団長リガヴールよ」
第一章、完
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