第1話 解読不能なスキルと追放された俺、それと秘密を抱えた少女
『リングス・フォーチュン。貴様を追放する――』
――バチンッ!
「うわぁぁ!」
悪夢の中の声と焚き火が爆ぜる音で、我ながら情けない声を上げながら跳ね起きた。心臓が飛び出しそうな胸を抑えながら、息を殺して暗幕をつけた窓から周囲を注意深く観察する。
目に入るのは、苔むしたり、崩れ落ちた石造りの建物。一見死角が多いけど、脆くなった石畳のおかげで近づくものがあれば音ですぐわかる。
我ながらいい場所を見つけたと思う。
「魔獣は……いなさそうだな」
ほっと胸を撫で下ろしたけど、今度は腹の虫が情けなく鳴いた。
時間は早朝といったところで、辺りは薄明るくなってきていた。すっかり目も覚めてしまったので、焚き火を消して壁へと向かい、石を手に取る。
「ここに来てもう一週間かぁ」
壁に新たな傷跡をつけながらそう呟いた。
この建物に住み着いて早一週間。毎日生きるか死ぬかのサバイバルだから、日が過ぎるのも早く感じる。
そう、ここは廃墟都市。俺達聖族と魔族との戦争の果てに打ち捨てられ、今や魔獣達のいい住処となっている場所だ。
そしてそんな危険な場所に、俺は追放されたんだ。
『貴様はそのスキルを持つに相応しくない。民衆をぬか喜びさせる前に手を打たせてもらう』
「あぁ、また嫌なことを思い出しちまった……」
俺を追放したクソ爺の声が耳にこびりついて離れない。
胸糞悪い気持ちを拭いたくて、窓辺から空を眺める。そしてひもじい音を鳴らす腹をさすりながら、独り呟く。
「魔獣の死体探しにでも行くかぁ」
魔獣の住処なだけあって魔獣同士の小競り合いが多いのだろう。ここ数日俺は運良く落ちていた新鮮な死体を拝借して飯にありついていた。だけどそれももう尽きてしまった。
最悪自分で狩りをする必要が出てくるが、戦争に出向くために鍛えていたから腕っぷしには多少の自信がある。
「よっし、行くか! って、はぁ……でたでた」
気分を盛り上げた矢先、視界に鬱陶しい半透明なウィンドウが現れた。
【ΔΓςφΝ】
「読めねぇって」
俺は手で払いのけるが、消えてくれないウィンドウ。
それどころか俺を煽るように視界を右往左往し始める。
せっかく上げた気分が台無しだ。苛ついて声を荒げた。
「俺がこんな所にいるのは、お前のせいなんだ! 消えろっ! このクソスキル!!」
少し昔、このスキルを持って無双していた大英雄がいた。群がる魔族を千切っては投げで、遂には魔王の首を討ち取った。そんな逸話がいくつもあって、俺も昔は憧れていた。……いや、今でも憧れている。
そして俺はなんと、このスキルの史上二人目の発現者となったのだが、実際のところ、ただ解読不能な文字が浮かぶだけのとんだクソスキルだったわけだ。
俺は思う、かの大英雄はただただフィジカルが化物級だっただけなのではないかと。
大英雄の逸話に現実逃避していた俺の視界を変わらず右往左往するウィンドウ。我慢の限界に達して拳を振り上げた時だった。
外から聞こえる甲高い悲鳴が、廃墟の静寂を破った。
「なんだ? いや、あり得ないだろ、こんな場所で……」
きっと人恋しくなった俺の幻聴。ここ数日で独り言の数もグンと上がった。何なら風化した兵士の亡骸相手に会話するくらいに――。
「来ないでっ!」
間違いない、確かに聞こえた。
眉間を押さえ、逡巡する。
このまま孤独に生き延びるか、一か八かで仲間を得るチャンスに飛びつくか。
「……ああ、そうだよな、確かめない方が後悔するよな」
俺はそう自分に言い聞かせ、兵士の亡骸から頂いた長剣を手に窓から飛び降りた。
声のした方――苔むした大通りに出ると大蛇が舌を出し、トグロを巻いて瓦礫を囲っていた。大蛇の体には幾つもの刺創と短剣が刺さっていて血まみれだ。
その大蛇が取り巻いている瓦礫の中から、か細い泣き声が聞こえる。
目の前の光景が、脳裏で自分が囲われている姿にすり替わり、手が震えだした。
俺のスキルはまともに機能しない。ともなれば頼れるのは己の力のみ。
「やれるのか?」
震える小さい声で、自分に問いかける。
英雄になる夢は、このスキルのせいで打ち砕かれた。このままじゃ戦場で名を馳せることすら叶わない。じゃあ、こんな魔境に追放された俺は、何故こんなに必死に生きようとしているんだ?
「……あー、そうだ、俺を追放したクソ司祭長をぶん殴って泣かせてやるんだった。それにどうせなら散るなら、人助けのためにってのも、悪くねぇ!!」
俺は自分自身を激励し、大蛇の背後へと走り寄る。
「おりゃぁ!」
視界中央に赤く浮かび上がったウィンドウを無視して、トグロを巻いた身体を足場に駆け上がっていく。そして振り向く大蛇の眉間に剣を深く突き刺した。
「どうだ!? ――うぉぉ!」
喜んだのも束の間、大蛇が思いっきり首を振り回す。必死に剣にしがみつくも、パキンッと軽い音を立てて、剣が根元で折れてしまう。
掴まる物を失った俺は空中へと放り出された。
そして身動き取れない俺へと大蛇が首を振り降ろす。
俺はなすすべなく石畳へと背中から叩きつけられた。
「ガッ……!」
視界が歪み、強烈な痛みが身体中を駆け巡る。
それでもなんとか上体を起こして蛇の方を見るが……。
「あっ……やっべ……」
奴は目や鼻、口から血を流しながら、ゆっくりと近づいてきていた。
「最悪……だ。逃げ……なきゃ……」
後退りしようとするも、体を支える腕がガクガク震えて上手く進めない。それどころか意識が遠のき始めた。
諦めて脱力して寝転んだその時、ドスンと大蛇の頭が俺の横に倒れた。
意識を手放す間際、小さな影が俺に向かって走り寄って来たのがわかった。手には血の滴る短剣。
――あぁ……この子がトドメを刺してくれたのか。
「死なないで、やっと――」
懇願するその声を聞きながら、俺の意識は闇に落ちていった。
※※※
「うっ……イテェ」
背中に強い痛みを感じながら俺は目を覚まし、上体をゆっくり起こして辺りを見回す。土間に布が敷かれ、俺はその上に寝ていた。そして日は既に高くまで登っているようだ。
「確か大蛇にやられて……」
俺は今、大蛇を倒した大通りではなく、何故か自分の拠点の一階にいる。いったい誰が、そう考えた所で、意識を失う前に聞こえたあの声を思い出した。
「俺を運んでくれたのか。それに……結局命も助けられちまった。礼を言わないとな。……んで、どこに行ったんだ?」
独り言に答えるかのように、あのウィンドウが現れる。
【ουνρ】
……もちろん意味はわからない。
だが石畳を踏む音で、何かが近づいてくる事に気づいた。
人恋しさで駆け出しそうになったが、背中の痛みが慎重さを思い出させた。俺は息を殺して、ゆっくりと玄関から顔を覗かせる。
「キャッ!」
「うおっ!」
覗かせた顔がぶつかりそうな程に、顔同士が接近。
……いや、ちょっと鼻先が触れ合ったし、吐息も唇に感じた。
俺は思わず大きく仰け反り、後ろに倒れそうになったが、相手が俺の手を掴んで引き止めてくれた。
時が止まったかのように、相手と視線を交わす。
くすんだ白いローブに身を包み、フードを目深に被った女の子。半眼で眠たげな二重瞼の下にある宝石のように煌めく青い瞳。
灰色の髪を2つ縛りにして肩から垂らしているお下げは胸に乗っていて、そのふくよかさを際立たせていた。
「よかった、起き上がれたのですね」
少し顔を赤らめながらも、彼女は何事もなかったかのように振る舞って俺を引き起こす。いや、よく見るとしっかり目が泳いでるな。
しかし可憐な姿の片腕には、生々しい肉を抱えている。……恐らくあの大蛇のものだと思う。
片手で俺を楽々と引き上げた事といい、俺をここまで運んだ事といい、見た目では考えられない程に力持ちらしい。まぁスキルの恩恵を考えれば無くもない話だ。
「あの……」
などと考えふけっていたら、彼女は俺から手を離して、ローブを身体のラインを隠すように羽織りなおした。
そこで自分がジロジロと彼女の身体を眺めていたことに気づく。
……いや見惚れていたのは事実なんだけど。
「あぁ、いや、ゴメン。まさか生きた人間に会えるとは思ってなかったから」
慌てて繕いながら目線を外す。そして、わざとらしく建物内を見回しながら言った。
「ここまで運んでくれて、ありがとう。それに結局助けられちまった。……にしても、よくこの拠点がわかったな」
「こちらこそ、助けて頂きありがとうございました。……実は、あなたがここに居ることは数日前から知っていました」
「ははぁん、なるほど。俺は監視されていたわけだ」
クールに言いながら、ここ数日の自分の行いを思い出して恥ずかしい事してないかを確認。うん、大丈夫なはずだ。
「ごめんなさい、ここで生きている人を見かけるのは初めてだったので……警戒していました。でも、いい人そうで良かった」
ぱっと見の表情の変化は乏しいが、僅かに微笑み、お下げの先を指でくるくる回しながら彼女はそう言った。とりあえず警戒は解けたようだ。
俺が安心していると、彼女は「あっ」と小さく声に出して、肉を持っていた事を思い出した様子で苔むした机の上に布を広げ始めた。それを眺めながら、俺は警戒をさらに解くために自己紹介を始めた。
「名乗るのが遅れた。俺はリングス・フォーチュン。訳あって聖教団から追放されて、ここにいる」
言っといてなんだが、訳あって追放ってかなり不審者じゃないか?
だけど彼女は気に留めた様子もなく、名乗り始めた。
「リングスさん、ですね。私はデスティニア……、です。テスとお呼び下さい」
名乗りに不自然な間があった事が引っ掛かったが、今は警戒を解いたばかり。こんな所にいるのには何か理由があるんだろうが、それよりも今は交流を深める事を優先した。
「テスだな、よろしくな。えと、……ここには長いのか?」
「はい、ニ年程になります」
「にっ!? そんなに!! イテテッ」
驚きで身体を仰け反らせた事で、背中がピキリと痛む。
「大丈夫ですか? 今は身体を休めていてください。このお肉、ここで調理させてもらいますね」
テスはそう言うと、ローブの下からナイフやら火打石やらを取り出して並べ出した。下準備を進める様子がなんだか楽しそうにも見える。
当然か、久しぶりに人と会えたんだから。
……しかし休んでいろと言われても、初対面の人間からここまで至れり尽くせりだと居心地も悪い。俺も何かしたくなってきた。
「2階に焚き火用の火種があるぞ。取ってく、グッ……!」
階段を登ろうとしたが途中で激痛が走り、堪らず転げ落ちた。
「大丈夫!? 無理をしないで!」
慌てて駆け寄ってきて、勢いよくしゃがみ込むテス。その拍子にフードがハラリと捲れてしまう。
「いや、心配かけて悪い。思った以上に打ち所が……っ!」
それを見た瞬間、背筋に寒気が走り、体が硬直した。
「あっ……」
慌ててフードを被り直すテスだったが、反射的に突き飛ばしてしまった。尻もちをついた彼女が、伏し目がちに手を伸ばしてくる。しかし俺は恐怖のあまり、部屋の隅へ這って逃げた。
「ち、近づくなッ! お前、それ……」
俺達聖族には無い、頭部に生える小さな二本角。それは彼女が敵対する魔族の人間である事を物語っていた。
「あの……まずは話を聞いてくれませんか?」
「誰が魔族の話なんか……って、おい……」
そこで気づく。彼女が話している言葉が聖族のものだと。
聖族の言語を理解している魔族もいるとは聞く。だけど使う事を許されているのは高位の魔族だけという話だ。
ということはつまり、テスは高位の魔族。スキル不能とも言える俺が敵うわけもない相手。
俺は目の前の少女が途端に化物に思え、生きた心地がしなかった。




