7:批判の毒と新たな決意
日曜日の深夜。
拓也は、パソコンの前で固まっていた。
机の上の液晶ディスプレイが、白く冷たい光を放ち、暗い部屋の中で彼の顔だけを照らしている。
画面には、まだ一行も書かれていない第十一章のタイトルだけが、虚しく点滅していた。
画面に映る「辛口レビュアー」のコメントが、毒のように彼の思考を麻痺させている。
(「安直」「王道すぎ」……。この批判を無視して、自分の書きたいものを突き通すか? それとも、読者の期待に応えるために、展開を変えるべきか?)
彼は、頭を抱えた。
ノベリストになろうのランキングで生き残るには、新規読者を掴むための「テンプレ的な展開」と、既存の読者を飽きさせないための「意外性」のバランスが重要だと、ハウツー記事で読んだばかりだ。
しかし、そのバランスが、今、全く見えなくなっていた。
「くそっ……」
拓也は、立ち上がり、窓を開けた。冷たい夜風が、火照った彼の顔を撫でる。
遠くの空には、薄い雲がたなびき、街の灯りがぼんやりと滲んでいる。彼の心の中の迷いと、外の情景が、重なり合っていた。
(あの「剣好きの通りすがり」さんは、アレスのギャップを楽しんでくれた。でも、「辛口レビュアー」さんは、王道展開に飽きている。一人の読者を喜ばせると、別の一人は離れていくのか?)
彼は、机に戻り、一人の読者からの励ましの感想を、再び読み返した。
「主人公の怠惰な性格と、圧倒的な実力のギャップが面白いです。特に、第四章のゴロツキを一瞬で蹴散らすシーンの描写はテンポが良くて好きです。更新、頑張ってください!」
この人は、アレスというキャラクターを好きになってくれたのだ。
拓也は、そこで、ふと気がついた。
「そうだ。俺が最初に、この物語を書きたいと思った衝動は、アレスというキャラクターの魅力を描きたかったからだ。怠惰なのに最強、というギャップを」
ランキングや読者の評価に気を取られすぎて、自分が最も描きたかったものを、見失いかけていた。
批判に耳を傾けることは重要だが、それに飲み込まれて、物語の「核」まで変えてしまっては、本末転倒だ。
彼は、荒れた呼吸を整え、第十一章のプロットに、ゆっくりとペンを走らせた。
【第十一章:怠惰な選択、予想外の展開】
アレスは、リリィを救出する。
だが敵を討ち滅ぼすのではなく、あくまで「昼寝の邪魔をされたから」動いたにすぎない。
そして――敵の斥候のリーダーは、実は「魔王軍の中でも極度の怠け者」だった。
「お前の仲間が無駄に騒ぐから連れてきただけだ。
これ以上面倒事を増やされると、昼寝する暇もなくなる。……さっさとソイツを連れて帰れ」
敵でありながら、どこか自分と同じ怠惰を抱くその男に、アレスは奇妙な共感を覚える。
アレスは、「別に王都を救う為にやってる訳じゃない、魔王さえ倒せばいいだけだ」と思い、斥候リーダーを見逃し、リリィと二人で旅を続ける。
(王道展開である「ヒロイン救出」の後に、あえて敵を倒さず、共感という形で「怠惰」のテーマを深掘りする。これなら、テンプレに飽きた読者も、少しは引きつけられるかもしれない)
拓也の心の中に、再び、創作の炎が灯った。批判をただ恐れるのではなく、それを「物語をより面白くする」ための材料として昇華させる。それが、作家の姿勢ではないか、と彼は思った。
時間が経つのを忘れ、拓也は第十一章の執筆に取り掛かった。キーボードを叩く音は、疲れてはいるものの、確かな決意に満ちていた。
月曜日の早朝。午前四時。
拓也は、全身の疲労を無視して、立ち上がった。窓の外は、もうすぐ夜が明ける。彼の住むアパートのベランダからは、遠くの工場から立ち上る、白い蒸気が見えた。
「間に合った……」
パソコンの画面には、完成した第十一章が表示されている。
3211文字
拓也は、投稿予約の設定を月曜の夜に入れた。
確認のクリック音が、静まり返った部屋に小さく響く。
その瞬間、ようやく緊張の糸が切れたように、彼は深く息を吐いた。
長い一週間だった。
興奮と不安、賞賛と批判、そのすべてが交互に押し寄せてきて、彼の心をかき乱していた。
けれど今、彼はそれらをすべて文章の中に吐き出し、わずかな静寂を取り戻していた。
拓也は、ふらつく足で立ち上がり、浴室へ向かった。
蛇口をひねると、冷たい水が勢いよく飛び出し、頭から全身へと降り注いだ。
一瞬、息が止まるほどの冷たさ。
だがその刺激が、眠気と疲労の残滓を洗い流していく。
思考が、まるで研ぎ澄まされた刃のように、静かに冴え渡っていく。
(仕事だ。生活のために、仕事も続けなければならない)
工場でのライン作業は、彼の創作活動とは真逆の、無感情な繰り返しだ。
しかし、この「現実」が、彼の物語を支える土台となっている。生活の苦しさ、将来の不安、そして、そこから脱却したいという願望。
それらが、アレスというキャラクターの「怠惰」と「最強」という二面性に、深みを与えているのだ。
拓也は、タオルで髪を拭きながら鏡の前に立った。
映った顔はやつれ、目の下のクマは濃く、頬は少しこけている。
それでも、その瞳の奥には、確かな光が宿っていた。
昨日までとは違う、静かで、鋭い決意の光だった。
「俺は、小説家になる。誰にも読まれなくても、俺が書きたいと思った物語を、最後まで書き切る。そして、どんな壁も自分の力でぶっ壊す」
それは、工場のライン作業員としての自分への、宣戦布告だった。
彼は、最後に、スマホで自分の作品ページを開いた。日曜日の深夜という、読者の活動が最も少ない時間帯を終えての、最新の数字が表示されている。
ジャンル別日間ランキング:105位
ランキング圏外へと後退していた。
拓也は、その数字を見て、静かに微笑んだ。
「まあ、そう簡単にはいかないか」
しかし、彼の心は折れていない。むしろ、批判とランキングからの後退という挫折が、彼に新たな決意を与えてくれた。
彼は、仕事に向かうため、アパートのドアを開けた。外の空気は冷たいが、拓也の胸の内には、創作の熱が、強く燃え続けている。
(行ってくるよ、アレス。お前の物語は、必ず、俺が最後まで描き切るからな)
拓也は、心の中で、自分と、そして自分の創造した主人公に語りかけた。白い朝の光が、彼が住む古いアパートの階段を、静かに照らしていた。




