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6:ブーストと初めての苦悩

週末の土曜日。

拓也は、町工場のライン作業から解放され、自宅で執筆に集中できるこの日を心待ちにしていた。

午前中いっぱいは睡眠に充て、午後からはいつものように缶コーヒーと栄養ドリンクを傍らに置き、キーボードに向かった。



「第九章……リリィの危機、そしてアレスの『本気』」



拓也は、プロットの核となる展開に、全神経を集中させた。リリィは魔王軍の斥候に捕らえられ、その命が脅かされる。アレスは、いつも通りの「怠惰」を装いながらも、内では激しい怒りを燃やす。


彼は、アレスの心理描写を細かく書き込んだ。


***


(――本当に、面倒なことばかり起こる。俺の昼寝の邪魔をした魔物どもは許さん。だが、それ以上に許せないのは、この騒ぎでリリィの顔が、恐怖で歪んでいることだ)


アレスにとって、リリィは単なる世話役ではない。騒音と単調な現実から彼を切り離し、唯一、穏やかな時間を提供してくれる存在だ。彼女を失うことは、彼にとって「怠惰」な日常が永遠に失われることを意味する。


***


拓也は、このシーンに、これまでの執筆で培った技術の全てを注ぎ込んだ。危機感、緊迫感、そして、アレスが持つ底知れない力の解放。

そして、彼は、この土曜日に、書き溜めた第九章と、急ピッチで仕上げた第十章を一気に投稿する、という戦略を立てた。


「土曜の夜に二話連続投稿。新着一覧での表示時間を延ばし、ランキング入りへの最後の賭けだ」


午後7時。

拓也は、第一話からの文章を丁寧に読み返し、誤字脱字チェックを済ませた。疲労による誤字が散見されたが、時間をかけて修正していく。


午後8時。第九章を投稿。

午後10時。第十章を投稿。


そして、彼は、緊張で固まった体で「アクセス解析」のページを開いた。


一時間後。午後11時。

閲覧数:50(ユニーク)

ブックマーク:1(新規)

評価ポイント:2(新規)


「来た……! 土曜の夜のブーストだ!」


普段の平日の夜の数値を遥かに上回るアクセス数だ。そして、彼は、さらに喜ばしい数字を発見した。


「ジャンル別日間ランキング:99位」

「よ、よっしゃぁぁぁあ!!」


拓也は、思わず拳を握り、静かな部屋の中で小さな勝利の雄叫びを上げた。彼の作品が、ついに「ランキング」という土俵に上がったのだ。

99位。決して上位ではない。

しかし、それは何万という作品の中で、彼の小説が、ごく僅かだが、読者の目に触れる場所に進出したことを意味していた。ランキングに載ることで、新規読者の流入が見込める。


彼は、そのまま興奮を抑えきれずに、朝までパソコンの前に張り付いた。


翌朝、午前7時。


ジャンル別日間ランキング:75位

閲覧数:500(ユニーク)


「上がってる……!」


彼の予想通り、ランキング効果で新規読者が増え、さらに評価とブクマが追加され、順位が上昇していた。


感想:2件(新規1件)


拓也は、すかさず感想欄を開いた。



読者名:剣好きの通りすがり

「リリィが捕まる展開は王道ですが、アレスの『キレ方』が面白いですね。昼寝を邪魔された時とは比べ物にならない怒り。『俺の安寧を乱すな』という強い意志が伝わってきました。今後の展開に期待です。ブクマしました!」



拓也は、胸が熱くなり、感謝の念でいっぱいになった。自分の意図した心理描写が、読者に正確に、そして熱狂的に受け止められたのだ。


「このために……俺は、書き続けたんだ」


彼は、椅子に深く沈み込み、涙が溢れるのを必死でこらえた。この一瞬の喜びが、連日の疲労と、孤独な戦いの全てを報いてくれた。


しかし、その喜びは、長くは続かなかった。


日曜日の午後。

拓也は、興奮冷めやらぬまま、次の第十一章の執筆に取り掛かっていた。アレスが魔王軍の斥候を打ち破り、リリィを救出する、クライマックスの展開だ。

彼は、いつものように、自分の作品ページを開き、ランキングの推移を確認した。


ジャンル別日間ランキング:85位


順位は、昨日から少し落ちていた。そして、新たに書き込まれた感想が、彼の目に飛び込んできた。



読者名:辛口レビュアー

「急なヒロインの危機展開は、ちょっと安直すぎませんか? 今までの怠惰系設定が生かされてないように感じます。チート能力のインフレ描写も、そろそろ飽きてきました。王道すぎて、読むのが少し辛いので切ります」



拓也の頭の中が、一瞬で真っ白になった。


「辛口レビュアー……」


それは、今まで彼が得てきた、温かい言葉とは全く違う、冷酷な「現実」の言葉だった。

彼は、「切ります」という一文を、何度も何度も、信じられない思いで読み返した。


(安直……? 王道すぎ……?)


彼は、自分のプロットを振り返った。

確かに、ヒロインの危機は、物語を盛り上げるための古典的で安直な手法だ。ランキングに載りたい一心で、彼は「読者にウケるテンプレ」に寄り過ぎてしまったのかもしれない。

拓也の心は、激しく動揺した。


「せっかくランキングに載ったのに……このままじゃ、読者が離れていく」


彼は、キーボードから手を離した。今まで、ただひたすら自分の「面白い」と思うものを書き続けてきた。

しかし、ランキングという「他者の評価」を得たことで、彼の執筆は、「読者の期待に応える」という、新たな、そして重い枷を背負ってしまったのだ。


(王道か、テンプレ外し、か。俺は、どちらに進むべきなんだ?)


拓也は、机の上に置かれた二冊のノート、一つはプロット、もう一つは彼の物語を読んでくれた読者からの感想を書き写したメモを、交互に見た。


「褒めてくれた読者もいる。批判してくれた読者もいる。俺は、誰のために、この小説を書いているんだ……?」


それは、全ての創作者が一度は直面する、根源的な問いだった。拓也は、この一夜にして得た、小さな成功と、初めての本格的な批判の狭間で、深く苦悩していた。


彼の指先は、またしても、次の展開を迷い、キーボードの上で止まってしまった。

この初めての「作者としての苦悩」こそが、彼の小説家への道において、避けて通れない最大の壁となることを、拓也はまだ知る由もなかった。


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