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5:初めての感想と増えぬ読者

水曜日の深夜、午前一時。

拓也のアパートの部屋は、相変わらず静寂に包まれていた。連日の寝不足で、拓也の目の下のクマは濃くなり、指先はキーボードを叩く疲労で、微かに腱鞘炎のような痛みを訴え始めていた。


「第五章、投稿完了……」


拓也は、かすれた声で呟いた。

言葉を吐き出すと同時に、肩が大きく沈み込む。右手の指先は、腱の奥でズキズキと痛みを訴えていた。キーボードを叩きすぎたせいだと分かっていても、指を止める気にはなれない。


彼は、癖のようにF5キーを押した。画面が一瞬、白く瞬き、作品ページが再読込される。


第五章――アレスが宿屋で魔王軍の動向に関する情報を掴む、物語の転換点。

拓也の胸の中には、じわじわと熱い余韻が広がっていた。物語の歯車が、ようやく確実に動き始めた気がしたのだ。


投稿から三日。第四章までの投稿を経て、彼の作品の数字は、緩やかながらも確実に増加していた。


閲覧数:155

ブックマーク:3

評価ポイント:6


ブックマークが3に増え、評価ポイントも6に。これは、誰か別の読者が「面白い」か「続きが読みたい」の最大評価をつけてくれたか、あるいは、既存の読者が評価を追記してくれたことを意味する。


拓也は、その数字の一つ一つを、宝物のように大切に受け止めた。

しかし、彼の視線が真っ先に釘付けになったのは、その下の項目だった。


読者からの感想:1件


「……感想?」


拓也の心臓が、ドクン、と大きく跳ね上がった。初めて、自分の作品に対する、具体的な他者からの意見が届いたのだ。

緊張で喉がカラカラに乾く。彼は、震える指でマウスを動かし、感想欄をクリックした。


そして、画面に現れた一文を、息を呑んで見つめた。



読者名:名無しの傍観者

「主人公の怠惰な性格と、圧倒的な実力のギャップが面白いです。特に、第四章のゴロツキを一瞬で蹴散らすシーンの描写はテンポが良くて好きです。更新、頑張ってください!」



たった数行の文字。

だが、その一文字一文字が、まるで胸の奥に直接刻み込まれるようだった。

拓也は、思わず椅子から身を乗り出した。目の奥が熱くなる。視界がわずかに滲む。


「読まれてる……! ちゃんと、伝わってる!」


独り言のように呟いた声が、静まり返った部屋に溶けた。

冷たい夜気が、頬を撫でる。だが胸の中だけは、炭火のようにじんわりと熱かった。


「第四章のゴロツキのシーン」は、彼が疲労を押し殺して渾身の力で書き上げた、会心の戦闘描写だった。それが、見知らぬ誰かに届き、「好きだ」と評価された。

それは、工場で何百個ものアルミ部品をプレスする作業では、決して得られない種類の、純粋な喜びだった。


拓也は、何度も何度も、その感想を読み返した。身体の疲労も、連日の眠気も、その瞬間だけはどこかへ吹き飛んだ。

彼は、すぐさま返信を書き始めた。



(作者)

「名無しの傍観者様、感想ありがとうございます! 執筆の励みになります。ギャップを楽しんでいただけて嬉しいです。引き続き、楽しんでいただけるよう、更新を続けます!」



返信を送信し、画面にその文字が固定されたのを確認すると、拓也は深々と椅子にもたれかかった。


「……これで、ノベリストになろうに、俺の足跡が、確かなものとして残ったんだ」


感想という、文字によるフィードバックは、彼に「作者」としての自覚を強く植え付けた。

自分の物語が、誰かの目に触れ、誰かの心に何かを残した。その事実が、彼の世界を静かに変えつつあった。

その夜、拓也は第六章の執筆に、今まで以上の情熱を注いだ。


だが、数日後。

その後の数字の伸びは、拓也の期待とは裏腹に、再び緩慢なものとなっていった。


第六章、第七章、第八章……と、毎日欠かさず更新を続けた。物語は、アレスとリリィが、最初の街を後にし、次の王都へ向かう道中で、魔王軍の斥候と遭遇する、という重要な局面を迎えていた。


彼は、毎日の更新をノルマとし、仕事の休憩時間にもスマホでプロットを練り、疲労困憊の深夜に執筆を続けた。


一週間後の週末。


閲覧数:280

ブックマーク:4

評価ポイント:8

感想:1件(新規なし)


ブックマークは一つ増えた。ポイントも増えた。しかし、日間ランキングには全くかすらない。

新着一覧から完全に埋もれてしまい、読者の流入はほとんど「ブクマからの再訪」か、ごく少数の「作品検索」からのみとなっていた。


拓也は、アクセス解析のグラフを見て、落胆した。


「ブクマは増えてる。つまり、読んでくれた人は面白いと思ってくれている。だが……新規の読者が、まるで増えない」


ランキングに載らなければ、何万と存在する作品の中に、彼の小説は存在しないも同然だ。新着欄から埋もれた今、新規読者が彼の作品に辿り着く確率は、砂漠の中から特定の砂粒を見つけ出すようなものだ。


彼は、自分の作品の「ユニークアクセス数」を、他の「なろう」のハウツー記事と比較した。新規連載開始の一週間で、少なくとも数百、できれば千以上のユニークアクセスがなければ、ランキング入りは絶望的だという。


(俺のユニークアクセスは、280。圧倒的に少ない。このままじゃ、連載を続けても、この数名の読者と、俺だけの世界で終わってしまう)


焦燥感が、再び拓也の心を支配し始めた。

彼は、机の上にある、小説の書き方指南書を乱暴に手に取った。



『「なろう」で勝つ! 読者の心を掴む最強のタイトル術』


『初動が全て! 読者維持率を上げるための最初の三話の書き方』



「タイトルはもう変えられない……。変えるのはリスクが高い。最初の三話も、今更直せない……」


彼は、もう一度、自分の書いたタイトルとあらすじを睨みつけた。



『勇者アレスの怠惰な日々~昼寝を愛する怠惰な最強剣士ですが、魔王軍に昼寝を邪魔されたので、仕方なく魔王討伐の旅に出ます~』



「長い。だが、要素は入っている。なのに、なぜクリックされない?」


彼は、ふと、隣に置いてあった、自分の仕事のシフト表に目をやった。びっしりと詰まった勤務予定の文字列。

その羅列が、彼の生活の現実を突きつける。


(仕事、仕事、仕事……)


彼は、連日の執筆で、疲労困憊の状態だ。書き上げた小説は、内容こそ面白いと確信しているが、どこか「粗い」部分があるのではないか。疲労による集中力の低下が、文章の質に悪影響を及ぼしているのではないか。


彼は、自分の小説を、もう一度最初から読み直した。


**


「アレス様! また壁を壊しましたね!」


「ああ? うるさい。壁が俺の邪魔をしたんだ」


「壁が動くわけでもないのに、どうやって邪魔するというのですか!?」


***


「会話は、まあまあ。だが、情景描写が少し薄いな。宿屋の様子、街の匂い……もっと五感を刺激するような描写が必要だ」


拓也は、自分の作品を客観的に見つめ直すことで、次のステップが見えた気がした。


「文章の質を上げること。そして、この停滞期を打破するために……何か、大きな『テコ入れ』が必要だ」


彼は、パソコンを閉じる前に、次の更新を予約した第八章の下に、そっと、新たなサブタイトルを追記した。



第九章:リリィ、初めての絶望とアレスの「本気」



「テコ入れは、侍女リリィの危機だ。主人公のモチベーションを上げるために、ヒロインを危険な目に遭わせる。王道だが、読者の関心を引きやすい」


拓也は、疲れた体で立ち上がり、窓の外の夜空を見上げた。暗闇の中に、一つの星が、微かに瞬いている。


(この星が、俺の物語を読んでくれている誰かの光だと信じよう)


彼は、明日、仕事中に襲いかかるであろう眠気を想像し、苦笑した。しかし、もう後には引けない。彼には、続きを待つ読者がいる。

そして、この「無反応の壁」を、自分の文章力で打ち破るという、新たな目標ができたのだ。


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