4:日々の苦闘と微かなる評価
月曜日。
朝から続くライン作業の騒音は、拓也の頭の中で、まるで彼の小説への冷酷な批評のように響いていた。
(今日で、投稿から丸二日。昨日の日曜も、一日中張り付いていたが……)
作業の合間に、彼は目を閉じ、昨日確認したアクセス解析の数字を思い出した。
投稿後24時間で、閲覧数50。ブックマーク0。ポイント0。
投稿後48時間で、閲覧数75。ブックマーク1。ポイント2。
「ブックマークが、1……」
作業中にもかかわらず、その数字を思い出すだけで、拓也の胸は熱くなった。
まるで、冷たい水の中に、小さな火種が落とされたような感覚だ。
たった一人だが、彼の物語を「続きを読みたい」と思ってくれた読者がいる。
(ポイントは……2ポイント。つまり、誰かが“面白い”か“続きを読みたい”のどちらかで、最高評価をくれたってことか)
その小さな評価は、夜の孤独な執筆作業で摩耗していた拓也の精神を、劇的に回復させた。
彼は、もう一度、孤独な夜を乗り越える燃料を手に入れたのだ。
「山田! 手ぇ止めんな!」
班長の怒鳴り声が、再び彼を現実へと引き戻す。
「はい!」
慌てて返事をし、次の部品をプレス機にセットする。油の染みた軍手越しに、鉄の冷たさが指先に伝わる。
けれど、その感触さえ、どこか遠く感じた。
(この一人の読者のために、書こう。明日、第四章を投稿する。アレスの“凄さ”を、もっと魅力的に、もっと確実に描く)
頭の中で、すでに場面が動き始めていた。
宿屋。昼寝の邪魔をされたアレス。ゴロツキたちの嘲笑。
次の瞬間、空気が爆ぜる。――それが、拓也の想像する「第四章の冒頭」だった。
現実の鉄の音が、遠く霞んでいく。
拓也の意識は、半ば小説世界の中に沈んでいた。
退勤後、拓也はまっすぐアパートに帰宅した。夕食を済ませ、シャワーを浴びると、すぐにパソコンに向かう。
時間は午後9時。
デスクの上には、安いパソコンと、カップの縁に乾いたコーヒーの跡。
拓也は、椅子に腰を下ろし、手を置いた瞬間、全身の重さを痛感した。
体が鉛のように沈む。瞼が何度も落ちかける。
「だめだ……このままじゃ、集中できない」
彼は、椅子から立ち上がり、部屋の隅にある小さな冷蔵庫を開けた。中には、数本の缶コーヒーと、安い栄養ドリンク。
そのうちの一本を掴み、プルタブを開ける。
「プシュッ」という音が静かな部屋に広がり、拓也は一気に喉へ流し込んだ。ケミカルな甘さと、カフェインの苦みが、胃を刺激する。
「うおおおっし!」
拓也は、顔を両手で叩き、気合いを入れた。疲労は消えないが、強制的に意識を覚醒させる。
彼は、第四章の執筆に取り掛かった。
***
ゴロツキのリーダー、ギルモアは、アレスのテーブルに乱暴に手を突き出した。
「おい、兄ちゃん。さっきから俺らのシマで、偉そうに飯食ってんなよ」
宿屋のざわめきが、一瞬で静まり返る。
アレスは、肉付きの良いゴロツキの姿を、まるで取るに足らない虫でも見るかのように、一瞥した。
***
拓也の指が、キーボードの上を滑る。
打つたびに、静かな打鍵音が夜の部屋に反響する。
彼の中で、言葉が映像に変わり、音に変わっていく。
アレスが動く瞬間、拓也の心拍も一拍高鳴る。
***
(――うるさい。こいつらのせいで、肉の味が半減した。それに、この騒ぎは、確実に俺の夜の安眠を妨害するだろう。……面倒だ。全て、一瞬で終わらせる)
***
拓也は、アレスの「怠惰」の裏に隠された「最強」の片鱗を、会話の端々から滲ませようと試みた。ゴロツキが剣を抜き、アレスに斬りかかろうとした瞬間、アレスが動く。
彼は、戦闘描写に力を入れた。一瞬で勝負が決まる、チート的な描写だ。
***
ギルモアが剣を振り下ろす、その刹那。アレスの腰の木剣が、音もなく鞘から引き抜かれた。
誰も、その動きを目で追うことはできなかった。居合わせた他の客たちは、ただ閃光が走ったように感じただけだ。
次の瞬間、ギルモアは宙を舞い、宿屋の壁に激突して気絶していた。彼の剣は、アレスのテーブルの上に突き刺さったまま、微動だにしなかった。
***
「……よし。これで、最強感は出たはずだ」
拓也は、再び深く息を吐いた。キーボードを叩く指先が、熱を帯びている。疲労感はピークだが、それ以上に、創作の興奮が彼を突き動かしていた。
深夜1時。第四章の文字数は、2500字を越えた。
彼は、時間を設定し、予約投稿を行った。そして、第四章の投稿を明日の午後8時に設定した。読者が仕事や学校を終えて、一息ついた時間だ。
投稿作業を終え、拓也は再びアクセス解析のページを開いた。彼の心は、期待と不安で揺れ動く。
閲覧数:101
ブックマーク:2
評価ポイント:4
「ブックマークが、2に……! ポイントが4!」
拓也は、思わず声を出した。顔が熱くなる。
ブックマークが2。つまり、彼の物語を「追う」と決めた読者が、もう一人増えた。
そして、ポイント4。これは、もう一人も、最大評価である「面白い(2P)」か「続きが読みたい(2P)」のどちらかをつけてくれたことを意味する。
拓也は、その4ポイントの重みを、工場のアルミ部品よりも遥かに重く、そして尊いものだと感じた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます!」
彼は、無人の部屋で、画面に向かって頭を下げた。見知らぬ、たった一人の読者からの、温かい賛辞。それが、彼のこの戦いを続ける、最大の理由だった。
彼は、勢いそのままに、感想欄へと移動した。もちろん、まだ誰からも感想は来ていない。しかし、彼は、どうしても自分の気持ちを、この空間に書き残しておきたくなった。
(俺は作者だから、感想は書けない。でも……)
彼は、そっと、キーボードを叩いた。
――(作者)「ブックマークとポイント、ありがとうございます。続きを待ってくれている読者様のために、絶対に連載を止めません。毎日更新、頑張ります!」
彼は、その一文を誰にも見られないメモに保存し、自分を奮い立たせた。
時計は、深夜1時半を指していた。拓也は、明日も仕事があるにもかかわらず、全く眠気を感じなかった。心臓が、高鳴りを止めない。
(次の章で、もう一人、もう一人でいい。読者を増やしたい)
彼は、第五章のプロット作成に取り掛かった。
「アレスとリリィが、最初の街で、重要な情報を得る。それは、魔王討伐のための、最初のステップとなる情報だ」
拓也は、自分の物語の世界に、深く、深く潜り込んでいく。
この夜の孤独な戦いは、まだ続く。しかし、もう彼は一人ではない。彼の物語を待っている、たった二人の読者の存在が、彼を支え、彼の物語を、少しずつだが、前に進ませていた。




