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31:特別な時間と溢れる想い

ユキの誕生日の夜。

拓也は、夜風の冷たさを頬に受けながら、駅前の広場に立っていた。

ビルのガラスに映る慣れないスーツ姿の自分は、どこか落ち着かない。


彼の胸の奥では、静かな高鳴りが続いていた。

遠くからは、金曜日の夜を楽しむ人々のざわめきが聞こえる。

笑い声、車の音、信号の切り替わる電子音。

だが、その喧騒の中で、彼の意識は一つの声を待っていた。


「お待たせ」


振り返った瞬間、言葉が喉の奥で止まった。

街灯の下に立つユキは、普段のラフな服装ではなく、淡いベージュのワンピースに、細い金のネックレス。

髪はいつもより丁寧にまとめられ、頬にはわずかに紅が差している。


「綺麗だ……あ、いや、その……」


言葉が滑って、思わず本音が零れる。

ユキは少し驚いたように目を丸くして、すぐに微笑んだ。


「ふふっ、ありがと。じゃあ行きましょうか」


その笑顔に、胸の鼓動が一段と速くなった。




二人が予約していたのは、以前テレビで見た夜景の綺麗なレストランだった。

高層ビルの三十階。エレベーターが静かに上昇する間、拓也の耳には自分の心臓の音しか聞こえなかった。


「いらっしゃいませ。山田様ですね。こちらへどうぞ」


ウェイターの穏やかな声。

店内は照明が落とされ、テーブルの上だけを淡いキャンドルが照らしていた。

窓の向こうには、東京の街がまるで星空のように輝いている。

光の粒が果てしなく続き、そのひとつひとつが、誰かの人生の灯のように見えた。


席に案内されると、ユキは目を輝かせた。


「すごい……本当に、きれい……」


その横顔に見惚れながら、拓也は小さく息を呑む。

テーブルの向こうに座る彼女が、こんなにも近くにいるのに、どこか夢のようだった。


「こういうお店、初めてだからちょっと緊張しますね。でも、本当に楽しみにしてたから嬉しいな」


声を潜めて話すユキの仕草が、普段よりも少し女の子らしく見える。


「俺も、全く縁がなかったから、すごく緊張してます」


正直に言うと、ユキはくすりと笑った。


「じゃあ、お互い初めての記念日ですね」


その言葉に、空気がふっと柔らかくなる。


ウェイターが次々と料理を運んできた。

白い皿の上には、まるで絵画のように繊細に盛りつけられた料理。

フォークを入れるたび、香草とソースの香りがゆっくりと広がる。


「どれもすごく美味しいですね」


「そうですね」


拓也は笑いながらも、味の記憶は曖昧だった。

これから来るであろう時に向けて、心臓は今にも張り裂けそうだった。




デザートの皿が下げられる。

窓の外の夜景が、一段と鮮やかに輝いていた。

まるで二人を包み込むように、街全体が静かに光を放っている。


ウェイターがテーブルに戻ってくる。

その手には、拓也が事前に頼んでおいた小さな花束。

薄紅のガーベラと白いカスミソウ――ユキが好きだと言っていた組み合わせだ。


拓也は深呼吸をして、立ち上がった。

そして、彼女の前に花束を差し出す。


「ユキさん……好きです。こんなにも誰かを好きになったのは、初めてで……」


声が震える。喉が乾いて、言葉が上手く出てこない。

それでも、目だけは逸らさなかった。


ユキは驚いたように目を見開き、それから、ゆっくりと笑った。

その瞳には、少し涙を浮かべていた。


「私も……拓也さんのことが好きです」


その瞬間、時間が止まったように感じた。

音も光も遠のき、彼女の唇の動きだけが、世界の中心にあった。


そして次の瞬間、思いもよらぬ言葉が続いた。


「結婚しませんか?」


「っ?!」


拓也の呼吸が止まる。

頭の中が一瞬にして真っ白になった。


「これから先の人生も、ずっと一緒に居たいってことですよ」


ユキは少し照れたように笑い、両手で花束を受け取った。


「……俺が先に、言うつもりだったのに」


ようやく声を絞り出すと、ユキはくすくすと笑った。


「じゃあ、これでおあいこですね」


その瞬間、拓也の中で何かが弾けた。

彼はポケットに手を入れ、小さな箱を取り出す。

白いリボンをほどき、ゆっくりと蓋を開ける。

そこにはキラリと光る指輪。

拓也は彼女の隣に跪き、深く息を吸った。


「ユキさん。あなたを、絶対に幸せにします。俺と結婚してください」


「もちろん、喜んで」


彼女の差し出すしなやかな手の薬指に、指輪をそっとはめる。

銀の輪が光を受け、ふたりの間に小さな虹のような輝きを生んだ。


見上げた先のユキの笑顔が、涙に濡れながらも輝いていた。

その表情を見つめるうちに、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。


――ああ、俺はこの人と出会うために、生きてきたんだ。


外の夜景が、ゆっくりと滲んでいく。

ただ、胸の奥から溢れ出る温かい光が、視界を満たしていった。


「これからも、一緒にたくさん笑いあいましょうね」


ユキがそう言って、テーブルの上で彼の手をそっと握った。

その手は、かすかに震えていたが、確かに温かかった。


窓の外の街は、相変わらず騒がしく、明るく、そして美しかった。

だが、拓也にとってもっとも美しいものは、向かいの席で微笑むユキただ一人だった。

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