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3:最初の公開と無反応の壁

日付が変わる直前、土曜日の午後11時58分。


山田拓也は、パソコンの前に座り、手に汗を握っていた。部屋の電気を消し、モニターの青白い光だけが彼の顔を照らしている。

画面には、「ノベリストになろう」の作品管理画面が表示されていた。書き溜めた第一章から第三章までの原稿ファイルが開いている。


(金曜の深夜、日付が土曜に変わる瞬間。これが、最もアクティブな読者が多い時間帯だと言われている。このタイミングしかない)


彼は、インスタントコーヒーを一口飲んだ。苦みが喉の奥で張り付く。


この一週間、仕事から帰るたびに、彼は執筆に没頭した。第二章、そして今日の昼間に何とか書き上げた第三章。

合計で約9,000文字。連載開始のブーストを狙うには、最低限の文字数だと自分に言い聞かせた。


第三章では、勇者アレスと侍女リリィが、最初の街に到着するまでの道中の出来事を描いた。アレスが、偶然出会った魔物の討伐を、超常的な剣技であっさり片付けるシーン。その後に見せる、何事もなかったかのような「怠惰」な態度。

拓也は、このギャップこそが、読者を惹きつける「面白さ」だと信じていた。


時計の針が、音もなく「00:00」を指した。


「よし……」


拓也は、深く息を吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。彼の指が、マウスの「予約投稿」ボタンの上に移動し、躊躇なくクリックした。


「小説を投稿しました」


画面に表示された文字を見て、拓也の心臓が激しく脈打った。手が、微かに震えている。


「やった……。俺の小説が、ついに、この世界に、公開された」


それは、今まで感じたことのない、強烈な開放感と、極度の緊張感が入り混じった感覚だった。自分の内側でひっそりと育んでいた世界が、今、不特定多数の「他者」の目に晒されたのだ。


彼は、すぐに「新規更新一覧」のページを開いた。彼の作品のタイトルが、ランキング上位作品の影に隠れるように、ページの一番上に表示されている。



『勇者アレスの怠惰な日々~昼寝を愛する怠惰な最強剣士ですが、魔王軍に昼寝を邪魔されたので、仕方なく魔王討伐の旅に出ます~』



長い、と改めて思ったが、情報量は申し分ない。彼は、自分の作品のページにアクセスし、「連載中」になっていることを確認した。


次に彼が向かったのは、「アクセス解析」のページだった。もちろん、投稿直後なので、表示されるのは「閲覧数:0」という冷たい数字だけだ。


「これからだ。これから、読者が読んでくれるんだ……」


彼は、椅子に深く腰かけ、画面を見つめ続けた。時計の秒針が刻む音だけが、部屋に響く。

5分が経過した。拓也はF5キーを押して、ページを更新する。


閲覧数:2


「っ! 読まれた! 誰かが、俺のタイトルをクリックした!」


たった2という数字が、拓也には何よりも大きな成果に思えた。その2人が、今、第一章を読んでくれているかもしれない。

10分後。再び更新。


閲覧数:5


(増えた! 5人だ! このうち、ブックマークを付けてくれる人はいるだろうか。評価してくれる人は?)


彼の期待は、際限なく膨らんでいく。自分が創り出した物語が、誰かの時間と心を占めている。その事実は、彼の人生に、今までなかった色の付いた光を差し込ませた。

しかし、その後の時間の流れは、拓也の熱狂とは裏腹に、驚くほど静かだった。

30分が経過。更新。


閲覧数:11


1時間が経過。更新。


閲覧数:15


15人。彼は、15人の読者にタイトルを見てもらい、作品ページを開いてもらった。しかし、肝心の「ブックマーク数」と「評価ポイント」は、相変わらず「0」のままだった。


(なぜだ……? 読者維持率が低いのか? 第一章の冒頭で、読者を離してしまった?)


拓也の顔から、興奮の色が消え、焦燥感と、自己嫌悪にも似た感情が湧き上がってきた。

彼は、自分の作品を、初めて「読者」の視点で読み直した。


会話文は多い。テンポも悪くないはずだ。アレスの魅力的なキャラクターは描けている。なのに、なぜ、誰もブクマをしてくれないのだろうか。


深夜2時。画面に表示される数字は、閲覧数22。ブックマーク0。ポイント0。


彼は、ふと、ランキング上位作品のレビュー欄を思い出した。「面白い」とか「続きが気になる」といった、読者からの熱いコメント。自分の作品には、それがない。


「評価……0。つまり、誰一人として、『面白い』と、思ってくれなかったのか……」


拓也は、冷たい現実の壁に直面した。自分の創作した世界が、他者に全く響かない。その事実が、鉛のように彼の心を重くした。


彼は、静かにキーボードに指を置き、自分の作品の感想欄に、そっとカーソルを合わせた。感想を書くことができるのは、ブックマークをした読者だけだ。


――(読者からの感想はありません)


その文字が、拓也の目を刺す。

彼は、椅子から立ち上がり、部屋の中を意味もなく歩き回った。


「落ち着け、拓也。たった数時間だ。たったの三話だ。それに、ランキング上位の作品だって、最初から順調だったわけじゃない」


声に出してみる。

しかし、その声は、思っていたよりも弱々しく響いた。

自分を励ます言葉が、まるで他人のもののように空回りする。

胸の奥に、冷たい空洞ができていくのを感じた。

この一週間、寝る間を惜しんで費やした情熱と努力が、たった数時間で「無」に帰したような気がした。


ふと、彼は自嘲気味に笑った。


(ノベリストになろう、か。簡単なことじゃなかったな。まるで、工場で流れてくる製品のように、自分の小説も、大量の作品の波に飲まれて、ゴミとして処理されていくんだ)


彼は再びパソコンの前に座り、第三章の最後の部分を読み直した。


***


アレスは、大剣を肩に担ぎ、欠伸をした。


「さて、寝床はどこだ」


侍女リリィの悲鳴にも似た抗議を無視し、彼は街の影に消えていった。


***


「……やっぱり、面白いだろ。俺はそう思う」


拓也は、誰に聞かせるでもなく、低い声で呟いた。それは、自己肯定と、諦めかけた自分への最後の抵抗だった。


深夜3時。拓也は、覚悟を決めたように、ある作業に取り掛かった。


彼は、作品の連載設定を「予約投稿」から「毎日○時更新」へと変更した。そして、一章ずつ、時間を空けて投稿する設定にした。


「連載を止めないこと。それが、なろうでの鉄則だ。誰にも読まれなくても、俺は、俺の世界を創り続ける」


彼は、今日寝不足で迎える明日、そして明後日の執筆のノルマを、頭の中で再構築した。毎日1,000文字。いや、最低でも2,000文字。仕事の疲れがあっても、それは譲れない。

最後に、彼はもう一度、アクセス解析を確認した。


閲覧数:28

ブックマーク:0

評価ポイント:0


しかし、拓也の目には、その「28」という数字が、もはや無意味なものではなくなっていた。


「28人が、この物語に、一瞬でも触れてくれた。その事実を、俺は忘れない」


彼は、静かにパソコンを閉じ、冷たくなった部屋の空気を吸い込んだ。体は疲労で限界だったが、心は不思議と穏やかになっていた。


孤独な戦いは、まだ始まったばかりだ。彼は、自分の内なる衝動が、この無反応の壁を打ち破るまで、書き続けることを、夜の闇に誓ったのだった。


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