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26:停滞とブランドの重圧

翌年に入ると、拓也の成功は、そのスピードを緩み始めた。シリーズ累計発行部数は順調に伸び、ブランドとしての価値は確立されたが、新規読者の獲得は鈍化し、作品の勢いは明確に停滞し始めた。


拓也の生活は、今までよりもさらに「整然」としていた。

整然とは、彼のスケジュールが、彼自身ではなく、彼を取り巻く巨大なエンタメビジネスによって完璧に管理されているということだ。


毎日のルーティンは変わらない。

午前は会議、午後は監修、夜は執筆。

だが、彼の内面で大きな変化が起きていた。

これまでは「書かなければならない義務」に追われていたが、今では「書くべきものがわからない」という、さらに深刻な創作の闇に直面していた。


拓也は、執筆の合間に、SNSでのエゴサーチをやめることができなくなっていた。

かつては、一つでも感想があれば飛び上がるほど嬉しかったが、今は、辛辣な意見ばかりが目に焼き付く。



「最近のアレスは、ただの最強キャラの引き伸ばしだ。初期の、昼寝のためにゴブリンを瞬殺するような、あの「ユーモラスな怠惰」が失われた」


「アニメは面白いが、原作小説はマンネリ化が深刻。作者はもう次の作品に移るべきではないか? 売れたことで怠惰になったのか」



特に「怠惰になったのか」という言葉は、深夜、徹夜で机に向かっている拓也の胸に、最も鋭く突き刺さった。徹夜明けの疲労感と、読者からの批判という二重の拷問は、彼の精神を蝕んでいた。


(俺は、誰よりも必死に、読者の期待に応えようと書いているのに!)


しかし、心のどこかで、彼は読者の意見が正しいことを知っていた。

彼は、市場の要望に応えようと、本来のテーマである「怠惰」から逸脱し、より大衆が好む「熱血バトル」や「ヒロインの危機」といった展開を安易に盛り込むようになっていた。

それは、かつて彼が「安直すぎる」と嫌悪した、量産型のテンプレート展開だった。


売上の鈍化は、担当編集の加瀬の焦りを加速させた。加瀬は、以前にも増して強硬な姿勢で、物語の方向性に介入するようになった。


「山田さん、この章は完全にルーティンワークですよ。かつての熱量が感じられない。読者は、『王道のカタルシス』を求めているんです。次巻のクライマックスは、リリィを人質にして、アレスが初めて『怠惰』ではない、『真の英雄の義務感』で戦う姿を描きましょう」


拓也は、疲労で微かにかすれた声で反論した。


「アレスは、『怠惰』こそが真の哲学なんです。英雄の義務感なんて持ったら、それはもうアレスじゃない。ただの、よくいる最強主人公になってしまう……」


「山田さん!」


加瀬の声が、リモート会議のスピーカー越しに鋭く響いた。


「我々は今、『ブランド』を運営している。あなたが本当に書きたいものと、『市場が要求している商品』は別だと理解してください。立ち止まれば、アニメ二期も、コミカライズも、全て止まる。あなたは、この数百人の関係者の生活と、何十万の読者の期待を背負っているんですよ!」


拓也は、ぐっと言葉を飲み込むしかなかった。彼は、自分の創造物が、今や彼の個人的なものではなく、巨大な資本が関わる「商品」であり、彼の物語の舵取りは、完全に「市場の需要」が握っていることを痛感した。


執筆は、拷問のような作業になった。画面と向き合っても、出てくるのは、過去の自分の模倣か、市場の要望を機械的に満たすための文章ばかり。

彼は、創造的なプロセスを完全に失い、自分の書いた文章に一切の熱量を感じられなくなっていた。


彼は、ふと、工場のラインで、淡々と部品を組み立てていた日々を思い出した。

あの頃の単調な作業は、思考を停止させる安らぎを与えてくれた。あの頃は、少なくとも、「明日を、次に何を、どう書くか」という苦痛な問いから解放されていた。


「自由な時間」と引き換えに手に入れたのは、「終わりのない、自己を裏切る執筆」という名の重圧だった。


ある日の深夜、拓也は、パソコンの画面に表示された原稿を全て削除した。

そして、一晩中、何も書かれていない、ただの真っ白い画面を見つめていた。


彼の心の奥底には、「もう、書きたくない」という、あの日の衝動と同じくらい強い、拒絶の感情が湧き上がっていた。

彼は、成功したことで、「自分の時間を自分で決定する自由」を、より徹底的に失ってしまったことを痛感していた。


(俺が、俺自身を、この高速回転する牢獄に閉じ込めたんだ)


彼は、自分が作ったはずの物語に、心から「疲れた」と感じていた。

彼が最も強く願ったのは、アレスのように、誰にも邪魔されず、誰にも求められず、ただ静かに眠り続ける「究極の怠惰」だけだった。

その、彼自身が描いたはずの理想郷が、あまりにも遠く、彼には届かない呪いのように感じられていた。


数年間の猛烈な多忙と、創作に対する自己嫌悪は、拓也の肉体を確実に蝕んでいた。


夏を迎える直前、午前のリモート会議中。

拓也はノートパソコンの前で意識を失い、そのまま椅子から滑り落ちた。

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