24:専属契約と夢の実現
数週間後。
ポストに届いた厚い封筒を開けると、中には出版社のロゴが印字された契約書一式と、印刷された初稿、そして正式な「専属契約書」が入っていた。
紙の手触りが、いつもの原稿用紙とはまるで違う。ざらりとした厚紙の質感には、「現実」の重みがあった。
拓也は、加瀬編集者と共に、契約内容を隅々まで確認した。印税率、初版部数、重版時の取り決め。
どの言葉も、かつて工場で交わしていた労働契約とは、次元が違う響きを持っていた。
数字を追うたびに、胸の奥が熱くなる。
自分の書いた物語が、初めて「価値」として換算されている。
「印税は、初版から10%です。この数字は、新人作家としては非常に高い評価を受けている証拠です」
加瀬の声はいつも通り落ち着いていたが、その裏に確かな信頼が感じられた。
拓也は深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。
しかし、ページをめくったとき、ふと目に留まった一文があった。
本契約期間中、著者は本作品と類似するテーマの作品を、他社及びウェブサイト上で発表することを禁ずる。
「専属契約ということは……もう、他の場所で、趣味で小説を書く、ということはできないのですね」
これは、自由を手放す契約でもある。
拓也の声は静かだったが、その奥には小さな寂しさが滲んでいた。
「ええ。プロとして、この作品に全力を注いでいただく、という証です。WEB連載は、書籍の発売をもって一旦区切りとし、今後は書籍版の続巻執筆に専念していただきます」
加瀬の言葉には厳しさと同時に、温かい信頼があった。
拓也は、キーボードを叩いていただけの、かつての「なろう作者」ではなくなった。彼は、自分の作品の価値、そして自分の時間の全てを、この出版社に託し、その対価として、安定した生活と、「プロ小説家」という肩書きを得たのだ。
彼は、ペンを手に取り、契約書にサインをした。そのサインは、彼自身の人生に対する、覚悟の証だった。
そして、迎えた書籍の発売日。
拓也は、一人で地元の大型書店へと向かった。コートのポケットには、緊張で汗ばむ手。
駅前の人混みを抜け、書店の自動ドアが開いた瞬間、インクと紙の混じった懐かしい香りが鼻をくすぐった。
(この匂い、子どもの頃から好きだったな……)
彼は、真新しい本の匂いの中をゆっくりと歩く。
ファンタジー小説のコーナー。棚を端から端まで探し、彼の視線が、ある一冊の本に釘付けになった。
『勇者アレスの怠惰な日々 1』
鮮やかな色彩のイラスト。中央には、ユキが描いた、けだるそうに王座に座り、巨大な剣を地面に突き刺すアレスの姿。その横には、大量の報告書を抱えるリリィ。
あのラフが、今は印刷され、装丁され、帯の推薦文まで付いて、一冊の商品として並んでいる。
拓也の喉が、音を立てずに震えた。
指先で表紙をなぞると、紙の質感が確かに伝わってくる。
この世界に、確かに存在している。自分の物語が。
彼は、その本をそっと抱きしめた。
(……俺の本だ。本当に俺の小説が本になったんだ)
彼は、レジへ向かう。
店員に気づかれぬよう、うつむいたまま会計を済ませる。
袋の中の本の重みが、今までにないほど愛おしかった。
店を出た拓也は、空を見上げた。曇り空だ。しかし、彼の心の中は、太陽が照らしているかように明るかった。




