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15:読者の重圧と揺るがぬ核

拓也は、週末のランキング上昇の余韻と、新たな読者の多様な期待という重圧を抱えながら、工場へと向かった。


曇天の下、工場の煙突からは灰色の煙がゆっくりと立ちのぼり、湿った空気に溶けていく。鉄の匂いと、機械油の甘ったるい臭気が混じり合う構内。タイムカードを押す音、フォークリフトの警笛、ベルトコンベアの唸り。それらが一日の始まりを告げていた。


だが、拓也の意識はもう別の世界にあった。

単調に流れるライン作業のリズムに合わせて、頭の中では物語が動いている。第三十一章――王都編。そこが、作品全体の分岐点になる。彼はそれを痛いほど理解していた。



「王都での展開が、物語の今後を決定づける。ここで、『爽快感』と『深み』を両立させなければならない」


昼休み、拓也は定食を箸でつつきながら、プロットを練り続けた。


王都――。

それは貴族たちの陰謀と、魔王軍のスパイが蠢く、複雑で華やかな舞台。石畳に反射する光、香水の匂い、笑い声の裏に潜む打算。

辺境ではただ怠惰に日々を過ごしていたアレスだが、ここではそれだけでは通用しない。


拓也の脳裏に、アレスのうんざりした表情が浮かぶ。貴族の虚飾に満ちた宴を前に、あの男はまた「面倒くさい」と呟くのだろう。




【王都編の骨子】

爽快感の担保: 王都到着直後、アレスが貴族の横暴な御者に絡まれ、一瞬で騒動を解決する。読者に「やっぱり最強!」と思わせる「週に一、二度のチート描写」を意図的に挿入する。

深みの追求: アレスが、王都の華やかさとは裏腹に、下町が抱える貧困や、貴族たちの過剰な「名誉」への執着を見て、心底「くだらない」と感じる描写。

テーマの融合: 貴族たちが、アレスを「怠惰な無法者」として糾弾するが、アレスの「怠惰」が、結果的に彼らの腐敗した「労働(政治)」を破壊していく構造を描く。




拓也は、プロットを練ることに集中しすぎて、昼食の時間が終わることに気づかなかった。


「山田! 飯食い終わったら、さっさと戻れ!」


班長の鋭い声が、再び彼を現実へと引き戻す。


「はい!」


拓也は、慌てて立ち上がり、頭を下げて持ち場へ急いだ。背後で、同僚の田中の視線が、どこか哀れみを含んでいるように感じた。


その夜。

拓也は、インスタントコーヒーの香りが薄れかけた部屋で、パソコンの画面を開いた。

ディスプレイに照らされた彼の頬には、昼間の疲労と、創作への焦燥が入り混じった影が落ちている。


蛍光灯の白い光が、机の上のキーボードを無機質に照らしていた。静寂の中、パソコンのファンが低く唸る音だけが、現実と彼の意識をつなぎとめていた。


(よし……王都の門から始めよう)


深く息を吸い、拓也は指を動かし始めた。



***


王都オルヴェリアの門は、まるで巨人が築いた城壁のように聳え立っていた。

磨き上げられた白い石は、沈みかけた夕陽を受けて赤金色に染まり、その輝きは、まるで過去の栄光を誇示するかのようだった。

行き交う人々の衣装は鮮やかで、袖口には刺繍や宝石が施されている。その一歩一歩が、見えない階級の線を描いていた。

商人たちの掛け声、蹄の音、貴婦人たちの笑い声――それらが渦を巻くように混ざり合い、空気そのものが騒がしく脈打っていた。

アレスは、そんな喧噪の中に立ち尽くし、あくびを一つ。

その目には、街の華やかさよりも、むしろ疲れと退屈が映っていた。


「最悪だ。リリィ、こんなに人が多くて騒々しいと、どこにも静かに昼寝できる場所がないじゃないか」


***


リリィとの対話を通じて、アレスの「怠惰」の価値観を読者に再確認させる。


しかし、王都編の書き出しは、拓也が予想していたよりも難航した。キャラクターの動作や会話はスムーズに進むものの、どうにも「文章のノリ」が悪いのだ。

まるで、自分の書く文章が、他人の作品になってしまったようだった。


(文章が固い……。急にランキングが上がったせいで、変に「ちゃんとしなきゃ」って意識が働きすぎてるのか?)


拓也は眉をひそめ、モニターを見つめる。

数日前のランキング上昇。それが嬉しかったはずなのに、今はその成功が呪いのようにのしかかっていた。

頭の片隅に浮かぶのは、見知らぬ読者たちの期待――「面白いと思われたい」という意識が、無意識に彼の文章を縛っている。

以前の自分は、もっと自由だった。

粗削りでも勢いがあった。あの頃の筆は、アレスそのもののように、思考よりも先に動いていた。


彼は、ふと、連載休止前に、辛口レビュアーと剣好きの通りすがりが評価してくれた「勢い」と「テンポ」こそが、自分の最大の武器だったことを思い出す。


「深みは、展開で表現すればいい。文章は、もっと自由に、アレスの怠惰なペースで進めるべきだ」


拓也は、意を決して、既に書き上げていた王都到着直後の描写を、大幅に削り、「スカッと爽快」なシーンを最優先で書き直した。


***


王都のメインストリート。


「退け! 貴族様のお通りだ!」


御者の怒声が響き、豪華な馬車が疾走する。

その車輪が跳ね上げた泥が、アレスの肩を汚した。


アレスの足が止まる。

その顔には、怒りというより、深い冷えが走っていた。

アレスは、立ち止まった。その表情は、今までにないほど冷え切っていた。


「……おい、リリィ。今の、俺の服を汚した奴、どこへ行った?」


「え、ええと……あそこの曲がり角を……」


リリィが指さすより早く、アレスは姿を消していた。次の瞬間、遠くの曲がり角から、凄まじい衝突音と、何かが砕ける甲高い音が響き渡った。


一分後、アレスは何事もなかったかのように欠伸をしながら戻ってきた。


リリィが恐る恐る尋ねる。


「アレス様、何を……?」


アレスは、面倒くさそうに答えた。


「ただ、服に泥をつけた『邪魔者』を、そこにあった石畳にぶつけただけだ。……これで、しばらくは静かに昼寝ができそうだ」


***


拓也の胸に、久々に熱が走る。

背筋の奥がゾワリと震える。


「これだ……!」


思わず小さく笑った。

アレスが自分の中で、再び動き出した感覚。

それは、物語が血を通わせ始めた瞬間だった。


深夜。投稿ボタンを押すと、彼はようやく息を吐いた。

画面が静かに暗転する。

椅子を離れ、ベッドに身を沈めると、部屋の蛍光灯が瞼の裏に白く滲んだ。


明日のランキングの数字は気になるが、今は、自分が満足できる「自分の小説」を書けた、という充足感が勝っていた。


(読者の期待に応えること。それは、自分の物語の核を曲げずに、最高の状態で届けることだ)


拓也は、二極化する読者の期待を、自分のスタイルで乗りこなすための、一歩を踏み出したのだった。


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