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14:数字の加速と新たな壁

拓也は、第二十三章を投稿したその夜、ほとんど眠れなかった。

ベッドに横になっても、脳裏では何度も「投稿完了」の文字が点滅する。

モニターの青白い光がまぶたの裏に焼き付き、心臓の鼓動は、夜が明けてもなお落ち着かないままだった。


枕元のスマートフォンを何度も手に取り、更新ボタンを押す。

夜中の三時を過ぎても、アクセス解析の数字は少しずつ、確実に増えていた。

誰かが読んでくれている――その事実が、彼の眠気を遠ざけていた。


翌朝。

出勤前の支度をしながらも、拓也の頭の半分は仕事ではなく、小説のページにあった。

仕事中も、彼の意識は完全には現実に戻らなかった。

休憩時間になるたび、スマホを取り出し、アクセス解析の画面を食い入るように見つめる。


連載再開と、活動報告での誠実な謝罪が功を奏したのか、数字は明確なブーストを見せていた。


午後一時時点での数値は、拓也がこれまでに見たことのないものだった。


閲覧数(24時間):2,200

ブックマーク:41

評価ポイント:78

ジャンル別日間ランキング:58位


「58位……!」


拓也は、思わず立ち上がり、ガッツポーズをした。初の60位以内だ。ユニークアクセスも、一気に二千を突破した。活動報告を読んで興味を持った新規読者と、復帰を待っていた既存読者が、一斉にアクセスしてくれた結果だろう。


(読者の信頼を得たことが、最高の宣伝になった。連載を止めなくて、本当によかった……!)


拓也は、心の中で、活動報告に温かいメッセージをくれた読者たちに、深く感謝した。特に、辛口レビュアーからのコメントが、この数字の背景にある「物語の質の向上」を証明してくれたように感じられた。


「ありがとう……」


小さく呟いたその声は、昼休みの喧噪に紛れて消えた。


彼はスマホを胸ポケットにしまうと、再び机に戻った。

――この勢いを止めてはいけない。

それが今、拓也に課せられた唯一の使命だった。


1週間後。

第三十章では、アレスとリリィが王都へ向かう最終局面を描く。辺境の村での出来事が、王国の貴族たちに知られ、アレスが「反逆者」として追われる展開だ。


拓也は、ペンを走らせる指先に、全ての熱を注ぎ込んだ。物語は、彼の意図通りに転がり始めていた。


その日の深夜、第三十章を投稿し、拓也は再びアクセス解析を確認した。


ジャンル別日間ランキング:49位


「50位台……! 」


拓也は思わず天井を仰いだ。

目の奥が熱くなる。

画面の数字が、もはや現実のものではないように思えた。

自分の書いた物語が、数え切れない誰かの夜を照らしている。

その実感が、静かに胸の奥で膨らんでいく。


「ここまで来たか……」


その呟きは、歓喜というより、感嘆に近かった。

彼の中で、夢が少しだけ形を帯びてきている。

もし、この流れを維持できれば――書籍化。

あの、遠く霞んでいた夢が、指先で触れられる距離にある。


しかし、ランキングの急上昇は、同時に、新たな種類の「壁」を拓也の前に立ちはだからせた。


その日の午後。ランキングは50位台で安定しつつあったが、感想欄には、さらに新しいコメントが書き込まれていた。



読者名:テンプレ大好き


「最近、ちょっと展開が難しくなってきたな……。エルフの賢者の話とか、王国の腐敗とか、小難しい話はあんまり求めてないんだよね。アレスのチートで、スカッと悪者を倒す話が読みたいのに。初期のゴロツキを倒す時みたいな、単純な爽快感を戻してほしい」


読者名:世界観ガチ勢


「作者さん、リリィの過去の描写があるると、アレスの『怠惰』の動機付けがもっと深くなると思います。あと、王国の構造描写が甘いので、できれば詳細な設定集を公開してほしいです」



拓也は、パソコンの画面を前に、固まった。


「スカッと爽快感を求める読者と、物語の深掘りや設定を求める読者……」


ランキングが上昇し、読者の層が広がったことで、彼の作品に対する「期待」の種類が、一気に多様化したのだ。以前の辛口レビュアーの批判は、あくまで作品の質の向上という一点に集中していたが、今は、読者が求めるジャンルそのものの方向性が割れている。


スカッとしたい読者のために「怠惰なチート無双」を続ければ、物語の深みを求める読者は離れる。逆に、エルフの賢者のような「社会派」な要素を深めれば、爽快感を求める読者が離れる。


拓也は、椅子に座り込んだまま、頭を抱えた。


「どっちだ……どっちの読者を優先すべきなんだ?」


この状況は、以前の「批判」よりも、遥かに難しい選択を彼に迫っていた。ランキングが上がり、読者が増えるほど、彼らの期待は枝分かれしていく。

まるで、ひとつの木が成長するたびに、枝が互いに影を作り合うように。


彼は、ふと、田中が言っていた言葉を思い出した。



「俺の書く文章は、ただの自己満足で、誰にも響かなかった」



その言葉が、いつになく重く響いた。

拓也の作品は、確かに響いている。

だが、その響き方が人によって全く違う。


彼は、しばらく黙ってモニターを見つめた。

スクリーンの光に照らされた瞳が、徐々に何かを掴もうとするように輝きを取り戻していく。


彼は、プロットノートと、読者からの感想を書き写したメモを並べた。


(待て。俺は、どちらの読者も裏切りたくない。俺の作品の核は、アレスの『怠惰』だ。この『怠惰』が、全ての答えを導き出すはずだ)


拓也は、深く考え込んだ。


「爽快感を求める読者には、アレスのチート無双を。だが、その動機は、常に『昼寝の邪魔』や『面倒を避けるため』という『怠惰』に繋がっていることを強調する」


「深みを求める読者には、『怠惰』の理由を、この世界の『労働至上主義』へのアンチテーゼとして提示する。アレスの行動が、結果的に世界を変えていくという皮肉を描く」


拓也は、自分の物語の「核」を絶対にぶらさないことで、多様な読者の期待を、一つのベクトルに収束させることができるのではないか、という結論に至った。


この日、拓也は一文字も書かなかった。しかし、それは決して怠惰からくるものではない。彼は、物語の未来、そして読者との関係性という、最も根源的な問題と向き合っていたのだ。


深夜。拓也は、プロットノートの表紙に、新たな言葉を書き加えた。


「両極を抱擁せよ。怠惰こそが、全てを繋ぐテーマである」


拓也の闘いは、「毎日更新」という物理的な壁から、「読者の期待の多様性」という心理的・構造的な壁へと、ステージを変えていた。彼は、この新たな課題を乗り越えることが、真の小説家への一歩だと理解していた。


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