彼は彼女を知っている
織間の予想外な……というか、あまり見たくなかった一面を見た俺は肉体面はともかく精神的には既に疲れてきたのだけれど。
ここで織間を放置して帰って次に話しかけるときまた今朝のような対応されるのも困るので、もう少しだけ対話を試みることにする。
「まあ、織間にもいろいろ言い分があるのはわかった。俺だって魔法関連の話を人前でするべきじゃないってのは理解できるし、当然お前の秘密は守る。ただ、流石に人前で話しかけるのすらNGっていうのは神経質になり過ぎじゃないか? 魔法関連の話題さえ口にしないなら、予定の確認とかちょっとした雑談をするくらいは問題ないと思うんだが」
俺が話すうちに本来の用事を思い出したのか、織間は表情を引き締め難しそうな顔を浮かべると一人で考え事を始めた。
「納得できないか?」
「それは……そうね。白藤の言うことには一つ重大な欠陥があるわ。人前で魔法の話題は出せないから別のことを話す。口で言うのは簡単だけど、実際にやるとなると難しいなんてものじゃないわよ」
嫌に真剣な織間には何やら重大な懸念がある様子だが、生憎と俺には彼女が何を心配しているのかすぐには思いつかない。
何か、魔法使いにしかわからない問題があったりするのだろうか。
「だって、魔法と関係ないことを話せと言われても、話題なんて思いつかないもの」
声音に遊びの色はなく、本人の表情も真剣そのものなのでたぶん本気で言っているのだとは思うけれど。
そうきたか。
いや、別に織間を責めたいわけじゃない。
人には得手不得手があるものだし、俺だって普段清田と話す内容はアニメやゲームの話が大半だ。
もしそういった自分の詳しい分野の話題を禁じられれば、案外話題に困るだろうなとは思う。
だが、今朝の態度の原因が単に何を話していいかわからなかったらだと言われると、少しばかり思うところがあるというか。
「お前、本当に口下手というか……すごいな、いろんな意味で」
少しばかり恨みがましい物言いになってしまった感はあるけれど。
正直、ここまでぶっ飛んでいるともはや感心することしかできない。
「何よ、仕方ないでしょ。というか、そもそもの話、魔法なんて当たり前にあるものなのに、魔法使いじゃない人には魔法の存在を疑われるような話をしちゃダメってのが面倒くさ過ぎるのよ。正直、魔法を使えない人間が何考えてるのかなんてよくわかんないし、何をどこまで話したらアウトなのか教科書にでも書いといて欲しいくらいだわ」
織間の台詞には微妙に言い訳してる感が滲んでいて、結局のところ彼女に友達がいないのは本人の気質の問題な気もするけれど。
言っていること自体はあながち的外れでもないのかもしれない。
少なくとも、俺にとっての魔法とは常識の埒外にある非日常の象徴であり、織間のように当たり前にあるものなんて考え方はできない。
そういう俺のような一般人と魔法使いである彼女の間にある違いが互いのコミュニケーションを難しくしているという側面はないとは言えないだろう。
「まあ、魔法使いには魔法使いなりの苦労があるってのはわかったけど。それでもやっぱり俺と話すのは問題ないんじゃないか」
「何でよ」
「だって、俺はお前が魔法使いだってこと知ってるし」
一瞬、織間の顔には虚を突かれたような気の抜けた表情が浮かび、次いで彼女は無言のまま何度か瞬きを繰り返した。
「俺相手ならお前がうっかり口滑らせても問題ないし、万一周りに聞かれてごまかさなきゃいけなくなったとしても、普通はお前が魔法使いかもなんて夢にも思わないからな。俺が一般人目線でそれっぽい言い訳してごまかせば、それ以上疑うやつなんていないだろ」
俺としては織間が変に気にし過ぎだということを伝えたつもりなのだけれど。
暫し、彼女は何も言わずに神妙な表情で俺の顔を見つめてから、僅かに目を伏せゆっくりと口を開いた。
「えらく自信ありげだけど、白藤ってそんなにコミュ力高かったかしら? こういう言い方をするのもなんだけど、最近まで私が名前を間違って覚えてる程度には目立たないタイプだったと思うんだけど」
「それに関しては俺じゃなくお前の問題だろうが。いや、俺が目立つタイプかって言われたら自分でも絶対違うとは思うけど」
「なら、周りにごまかすと言ったってそう都合よくはいかないんじゃない?」
「心配するな。俺はともかく、お前は表面上の印象だけなら文武両道を地で行く孤高の才女だからな。多少変なことしても、元の印象がいいから幾らでもごまかしがきく」
「それ、あんたが自慢気に言うことじゃないでしょ」
そっと顔を上げ俺と目線を合わせた織間の表情は僅かに呆れを含んでいるように見えたもののどことなくいつもより柔らかくて、一瞬返事をするのを忘れて見入ってしまう。
「けど……そうね。白藤は私のことを知ってるんだから、別に隠す必要はないのね。言われてみれば、あんたとは普通に話してもいい気がしてきたわ」
俺の説得が功を奏したのか、はたまたそれとは別に何か織間の中で考えを変えるきっかけがあったのか。
詳しい理由は知る由もないけれど。
微かに笑みを浮かべた織間は俺を話し相手として認めたらしく、その声音はいつになく穏やかだ。
不思議な気分だ。
織間と話す必要があるのは俺自身が魔法を使えるようになるため。
そのはずだったのに、放課後の空き教室で魔法を使うこともなくただ織間と言葉を交わしているだけの今この時間に、俺の中では理由のわからない高揚感が胸の内を満たし始めていた。