青春はファンタジー
右手に小さな火を出しては消すという動作を七度繰り返し一々目を瞑らずとも一連の動作を終えられるようになったところで、俺は織間から合格を言い渡され魔法の練習を終えることになった。
「これ、本当に終わってもいいのか? まだライターと同じことができるようになっただけなんだが」
「ライターと同じことができるってことは、ライターと同じで火を安全に制御できてるってことでしょ。あんたは魔獣と戦うわけじゃないんだし、いざというときどうやって魔力を抑えればいいのかわかってればそれで十分なのよ」
確かに、俺だって神社で見た化け物と戦いたいとは思わないし、織間みたいに刀を出したりする必要があるかと言われれば特にないのだけれど。
些か肩透かしなのは否めない。
「白藤君が他の魔法も使ってみたいならまた別の機会に教えてあげるから。あまり遅くなっても親御さんが心配するだろうし、ひとまず今日はこのくらいにしておきましょう」
今日は両親が家を空けているのでいくら帰りが遅くなっても問題はないけれど。
宥めるような口調の楓さんにこれ以上わがままを言うのも気が引けて、結局俺はこのまま織間家を後にした。
◇
神社で織間と遭遇し魔法だの魔獣だのとそれまでの常識が根底からひっくり返るような経験をした日から二日が経った月曜日、俺が自分の席で友人と話していると視界の隅に教室の中へ入ってくる銀髪の少女を捉えた。
周囲の女子と同じセーラー服に身を包んだ織間はその容貌故に少々目立ってはいるものの教室においてはあくまでも一人の生徒に過ぎず、誰も彼女が魔法使いだと疑ったりはしていない。
そんな当たり前の事実も、彼女が持つ力を知った後では何だか不思議に思えて、彼女が他の生徒と同じように席に着き教科書を鞄から取り出しているだけの光景も自然と目で追ってしまう。
「どうしたんだ? 月久。なんだか織間さんに熱烈な視線を送ってるみたいだが、正直やめといた方がいいと思うぞ。こう言っちゃなんだけど、織間さんってあんま俺らに興味ないみたいだしお前が相手にされる見込みなんてないって」
妙な邪推をしたらしく、前の席に座り俺と話している際中だった樫木清太がどこか憐れむような視線と共に的外れなアドバイスをよこしてきた。
清太とは中学からの付き合いでそれなりに信頼できるやつだとは思っているけれど、いくら何でも魔法云々の話をするわけにはいかないので強くは否定せずてきとうにごまかしておく。
「なあ、清太」
「ん? なんだ?」
「お前、織間のことどう思う?」
「どうって、さっきも言った通り俺ら……というか、周りに興味ないんだろうなとは思うよ。まあ、あんだけ美人でおまけに勉強も運動もできるんだから、実際俺やお前なんてただの有象無象にしか見えないんだろうけど。誰が話しかけても会話が一分以上続いているのなんて見たことないし、ちょっと取っつきづらいところはあるよな」
清太の織間評は数日前までの俺が抱いていた印象と全く同じで、確かに俺の目にも教室での彼女はそういう風に映っているけれど。
あの日、神社で出会った彼女はやることなすこと突飛でおよそ常識というものが欠落しているとしか思えない行動を見せてはいたものの、俺に対し無関心なわけではなかった。
俺に魔法使いの素養があったから放置できなかっただけ。
そう言われれば否定する根拠なんて何もないけれど。
何となく、今の俺は清太の口にした織間評は少し違う気がしている。
「ちょっと織間と話してくる」
「は? 月久? どうした急に? もしかして、見込みがないって言ったの気にしてるのか? 悪かったって。あんなのただの冗談だし、お前が本気なら俺も手伝うから。とりあえず今は落ち着け」
清太は何やらあれこれ言っているけれど、俺は何も織間を口説こうというわけじゃなくただ少し話をしたいだけだ。
結局、二日前に織間家から帰宅してからは俺の魔法の練習も宙ぶらりんになっているし、人のいるこの場で直接その話はできないにしても軽く予定を確認しておく程度なら問題ないだろう。
「織間、今ちょっといいか?」
「よくないから気安く話しかけないで」
開口一番、織間の口からは親しみの欠片もない冷たい声音で拒絶の言葉が紡がれ、青い目はこちらを睨むように細められた。
これは、ちょっと予想とは違う反応だ。
何も満面の笑みで歓迎されると思っていたわけではないが、流石にここまで邪険にされるとは思わなかった。
正直、全く心当たりはないのだけれど。
何か織間の気に障ることでもしたのだろうか。
「あー、その、俺何かしたっけ?」
「別に。何でもないから早くどこか行ってくれる」
元々、教室での織間はお世辞にも人当たりのいい人間ではなかったけれど。
今の彼女はそれに輪をかけて辛辣で、ひとまずは言われた通り撤退するしかなさそうだ。
俺が仕方なく織間の席を離れると彼女は鞄からカバー付きの文庫本を取り出し一人黙々と読書を始めた。
「なんつーか、どんまい。まだ振られたわけじゃないんだし、そんな落ち込むなって」
「そういうんじゃないから、その憐れみの視線をやめろ」
清太の生暖かい視線を受けながら、俺はいまいち腑に落ちないものを抱えて大きなため息を吐き出した。
◇
結局、織間に話しかける隙が見つからないまま放課後を迎えた俺はいつもの如く家に帰るため廊下を歩いていたのだけれど。
不意に横から腕を引かれたかと思うと、そのまま倒れるようにして近くの空き教室へ引きずり込まれた。
「なんなんだ、一体」
俺が体勢を立て直しながら腕を引っ張って来た張本人の方へ視線を向けると、そこには何やら怒り顔でこちらを見ている織間の姿がある。
「白藤、あんた何で教室で話しかけてきたのよ。私が魔法使いだってバレたらどうするつもり」
「は? バレたらって、今朝のことか? いくら何でも、俺だってあの場で魔法がどうこうなんて言わないっての。俺はただ、魔法の練習のために予定が空いている日を聞いときたかっただけで」
「それでも、不用意に教室で喋ったりしたらぽろっと余計なこと口走っちゃうかもしれないでしょ」
「いや、そんなこと言ってたら俺だけじゃなく友達や先生とも喋れないだろ」
俺は至極当たり前な突っ込みをしただけで、誓って他意はなかったのだけれど。
友達。
俺がその単語を口にした瞬間、織間の顔からは一切の表情が抜け落ち、まるで無機質な彫刻のようになった。
いや、何これ。
普通に怖いんだけど。
「おーい、織間?」
恐る恐る声をかけてみても織間が反応することはなく、彼女は暫しその場に無言で佇んでから呪いの言葉でも吐き出すんじゃないかと思うような重苦しい動作で口を開いた。
「……そうよ。私に友達がいないのは魔法使いの原則に則って魔法を秘匿するためだもの。喋れないんじゃない、喋らないの」
「織間?」
よくわからないが低い声で独り言を漏らしているのを見るに俺は何かのスイッチを押してしまったようで、織間のテンションは明らかにおかしくなっている。
「だいたい、人間誰しも友達の一人や二人いて当たり前って価値観が根本的に間違ってるのよ。友達が魔獣を倒してくれる? 鍵開けの魔法で空き教室へ出入りできるようにしたり、防音結界を張れるの? 無理でしょ? それなのに、ドラマに出てくる高校生は友達とわーわー騒いだり恋愛に現を抜かしたりして、ああいう青春こそ魔法よりよっぽど現実味のないファンタジーじゃない。白藤、あんたもそう思うでしょ?」
これ、同意しないとダメなのだろうか。
思わず返事することを躊躇う程度には織間の言っている内容は強く私怨を感じるもので、どうにも彼女は友達がいないことを酷く気にしているらしいことが伺える。
「えーと、まあ、やっぱりドラマもエンタメなわけだし、見る人が楽しめるよう大なり小なり誇張して描いてる部分はあるかもな」
「でしょ! あんたも少しは物の道理がわかってるじゃない……って、そういえば何の話してたんだっけ?」
小首を傾げ台詞の割に可愛らしい様子を見せる織間は本気で俺をここに引きずり込んだ理由を忘れているらしく、持論をぶちまけてすっきりしたのか既に満足気だ。
この前、魔法を使う織間の姿を見たときにはいい意味で俺とは住む世界の違うその姿に憧れすら抱いたのだけれど。
こうして魔法と関係のない話をしているとどうにも違う側面が見えてくるというか。
ひょっとして、織間の性格は俺が思っているよりも面倒くさい?