ある日ある場所で魔法に出会う
ある晴れた日の昼下がり、俺が近所にある無人の神社へ続く石段を上り終えると、鳥居をくぐった先にある境内で一人の少女が異形の化け物の首を手に持った日本刀で刎ね飛ばす瞬間に遭遇した。
「……何だこれ」
思わず間の抜けた呟きを漏らしてしまったけれど。
それも、仕方のないことではあるだろう。
動きやすそうなジャージ姿の少女が右手に抜き身の日本刀を持ち、その足元では熊よりも大きいのではないかと思われる犬に似た三つ目の化け物の首が煙を上げながら徐々に消え始めている。
全くもって意味不明。
およそ現実とは思えない光景だ。
「誰!」
暇潰しに散歩をしていただけの俺が想像を超えた事態を前にフリーズしていると、俺の存在に気づいたらしい少女が鋭い声を発しこちらへ顔を向けた。
長い睫毛に縁取られた青い目はこちらを睨みつけるように細められ、長く伸びた銀髪は周りを囲む木々の隙間から漏れた陽の光を浴び輝いている。
まるで童話の中から飛び出してきたかのような浮世離れした美しさを持つ少女だ。
というか、最初に横顔を見たときには周りの情報が濃すぎてそこまで頭が回らなかったけれど。
こうして正面から向き合ってみると、その姿には明らかに既視感がある。
「織間燐火?」
口をついて出た名前は俺と同じ繰上高校二年四組の生徒のもので、その名が間違っていないことを示すかのように視線の先の少女は顔を引きつらせ明らかに狼狽した様子を見せた。
「何で私の名前知って……いや、待った。その顔、もしかして同じクラスの、あー、えっと、白木だっけ?」
「違うが? 俺の名前は白藤月久……って、そうじゃなくて」
俺の名前を覚えていなかったらしくあまりにもいい加減な呼び方をされたのでつい突っ込んでしまったが、今重要なのは俺の名前ではなく織間が持っている日本刀やそれによって首を刎ねられた化け物のことだ。
「刀とか消えかかってる化け物とか、いろいろ意味わからないんだが。織間は、何か知ってるのか?」
「それは、まあ、知ってないこともないというか、寧ろ詳しいくらいなんだけど。あんた、やっぱり見えてるのね」
織間は俺の視線をたどるようにして化け物の首へ目を落とすと、何かを諦めたような様子で小さく息を吐き出した。
「はあ。今どき、素養のある人間なんてほとんどいないはずなんだけど。実際問題、魔獣を見られちゃった以上は放っとくわけにもいかないし、とりあえず家に連れてくしかないか」
織間が何やら不穏な台詞を呟いてから軽く地を蹴ったと思った次の瞬間、彼女の姿は俺の視界から消え去り首筋に誰かが触れたような冷たい感触があった。
「じゃ、ちょっと眠ってなさい」
聞こえてきた声が織間のものだったのかを確かめることすらままならぬほど強烈な眠気に襲われて、俺は何をすることもできず意識を手放した。
◇
目を覚ました俺が最初に目にしたのは、正座させられている織間と彼女に向かって全く目の笑っていない笑顔を向ける織間によく似た女性の姿だった。
「燐火ちゃん? 私、一般の人に軽々しく魔法を使っちゃダメよっていつも言ってるわよね?」
「ねえ、待ってよお母さん。し、えーと……そう、白藤は私の刀と魔獣どっちも見えてたみたいだし、ただの一般人じゃないんだって。どうせ家に連れてこなきゃなら、手早く済ませた方がいいでしょ?」
織間が歳をとったらこんな感じになるのだろうなと思うくらいには似ていたので、それほど驚きはないけれど。
お母さん、なんて呼ばれ方をしているということは一見穏やかなように見えて台詞の端々からやたらと圧を放っている目の前の女性は織間の母親らしい。
記憶が途切れる寸前の俺は神社で織間と向かい合っていたはずなのだけれど。
現在の俺が寝かされているのは畳の上に敷かれた布団で、視線を上にずらせばそこには青空ではなく見慣れない天井がある。
この状況について最も可能性の高い仮説は俺が気を失っている間に織間家へ連れてこられたというものだ。
ここが織間の家ならば母親がいるのは当然だし、室内であることにも納得できる。
そもそも、なぜ俺が織間家へ拉致されなければならないのかという根本的な問題が残っているのを除けば、現状についてはそれなりに把握できた。
さて、では現状を踏まえたうえで俺はどのように行動するべきなのだろうか。
「いや、やっぱ意味わかんねえ」
無理やり、それらしい仮説で自分を納得させようとしてみたけれど。
冷静に考えると意味がわからないし、このままだと頭がおかしくなりそうだ。
いっそ、全部忘れてこのまま布団で寝るか?
俺がやけくその極致とも言うべき結論へ至りそうになったところで、不意に近くから聞こえていた親子の話し声が途切れた。
「よかった。目が覚めたのね」
かけられた声に反応して視線を再び親子の方へ向ければ、そこにはいい話題の逸らし先を見つけたと言わんばかりに顔を輝かせている織間と俺を見て優しく微笑んでいる彼女の母親の姿がある。
正直、織間とはクラスメイトというだけで大して話したこともないため信頼できるかと問われれば答えは否だけれど。
仮に二人を無視して狸寝入りをしたところで状況が好転するとは思えないので、仕方なく体を起こす。
「初めまして。私は織間燐火の母の織間楓といいます。あなたは燐火のクラスメイトの白藤君で合ってるかしら?」
「合ってますけど。えっと、ここは織間さんの家ってことでいいんですか?」
ここまできて惚けても意味がないので大人しく会話に応じると、織間の母親は僅かに眉尻を下げ申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ええ、そうよ。ごめんなさい。燐火はろくに事情も説明せずあなたをここへ連れてきたんでしょう?」
「はい。問答無用で拉致されました」
「ちょっと待った。何よ拉致って。私は抵抗されないよう眠らせてから家に連れてきただけでしょ」
織間は何やら反論しているが、人は彼女の言っているような行為を拉致と呼ぶのであり特に訂正すべき点は見当たらない。
というか、あの急に襲ってきた眠気はやっぱり織間の仕業か。
一体どんな手を使ったのか知らないが、こんなことをあっさり実行している辺り本当に彼女は普通じゃないらしい。
「私たちのこと、信用できないとは思うけど。燐火は何も白藤君に危害を加えようと思ってここへ連れてきたわけじゃないの」
勝手に人を拉致しておいて何をと言いたいところではあるけれど。
化け物の首を一刀両断する織間の姿が俺の見間違いだったとは思えない。
あんなことのできる人間が本気で俺を害するつもりなら眠らせるだけではなくもっと暴力的な手段が幾らでもあっただろう。
現状の扱いもある程度俺を尊重しているように思えるし、俺を害する気がないという主張はあながち嘘でもないような気がする。
「じゃあ、何で俺をここに?」
「あんたが魔獣を見たからよ」
口を開きかけた母親の台詞を奪うようにして、織間がおよそ俺に説明するつもりがあるとは思えない台詞を告げる。
「いきなり魔獣とか言われても、よくわからないんだが」
「あんたが神社で見た化け物のことよ。あれ、普通の人間には見えないの」
「いや、俺は思いっきり見えたけど」
「だから、それが普通じゃないのよ。だいたい、白藤だってあんな化け物見た後で何の説明もなく放り出されたら困るでしょ」
神社で魔獣を見た後に織間が何も言わずに立ち去ったところを想像すると、確かに俺は訳もわからず立ち尽くすことしかできなそうだけれど。
それはそれとして、俺を拉致するのはやはりおかしいと言わざるを得ない。
「そりゃそうだけど。説明するだけなら、あの場でいろいろ教えてくれればいいだろ」
「嫌よ。あんなところで長々と話してたら白藤以外にも一般人が寄ってくるかもしれないし、万が一あんたが暴走したら困るもの。諸々考えたら、多少強引にでも家へ連れてきた方が安全だし確実なのよ」
「暴走って、そりゃ多少パニック気味になってたかもしれないけど、いくら何でも暴れてお前に怪我させたりは──」
「違うわよ。私が心配してるのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、結界も何もないあの場所であんたが魔法を暴発させること」
俺の言葉を遮って織間の口にした台詞は俺の動きを暫し停止させ、頭の中で魔法使いが杖から火を出している光景を想像させた。
「魔法って、三角帽子被ってローブを着た魔法使いが杖から火を出したりするあの?」
「概ね、その理解で問題ないわ」
「いや、まあ、そりゃ、魔獣とかいう化け物が実在するんだからあり得なくはないんだろうけど……マジか」
「信じられないって顔ね。魔獣と違って一目でそれとわかるものを見たわけじゃないから、無理もないけど。そうね。百聞は一見に如かずっていうし、よく見ときなさい」
織間が立ち上がってから右手を前にかざし、顔にどこか冷めた表情を浮かべる。
「剣よ」
織間の呼びかけに応じ、さながら瞬間移動でもしてきたかのように前触れなく彼女の手の内へ抜き身の日本刀が現れ、彼女はその刀の柄を当然の如く握りしめた。
「これだけじゃ地味だから、ついでに焔纏い」
おまけのような気の抜ける台詞と共に、彼女の手にした刀から炎が立ち昇り辺りに熱気を振りまいていく。
不思議な光景だ。
肌を撫でる熱気もゆらゆらと揺れる赤い光も間違いなくここにあるのに、炎が織間の手にした刀以外に燃え移る気配はなく傍で見ている彼女の母親も身じろぎ一つしていない。
これが、魔法というやつなのだろうか。
想像していた魔法使いの杖から出てくる火とは少しばかり趣が異なっているけれど。
炎を纏った刀を握り俺のことを見下ろす織間の姿はまさしく物語の主人公のようで、不覚にも格好いいと思ってしまった。