第4話 彼女の声、彼女の影①
入学式の翌日。昼休みの中庭。
一人でベンチに腰掛け、ぼんやりとスマホをスクロールしていたぼくの前に、いきなり影が差した。
「ねえ、佐藤くんって、どこのサークル入るの?」
顔を上げると、そこに立っていたのは――小林莉子。昨日の国文学科ガイダンスの後、ぼくに話しかけてきた女子だ。
明るい茶髪をふわっと巻いた髪型に、ピンクベージュのリップ。黒のレザージャケットを羽織り、ミニ丈のスカートにブーツという格好はどこか都会的で、地味なファッションが多いここの学生の中ではちょっと浮いている。でも、それが逆に目を引いた。
「あ……まだ、決めてないけど……」
ぼくがそう答えると、彼女はニコッと笑って、当然のようにぼくの隣に腰を下ろした。
「だよねぇ。ってか、新歓のパンフとか全部見た? なんか多すぎて意味わかんなくない?」
「うん、ちょっと……」
タジタジのぼくをよそに、莉子は自分のカバンの中から一枚のビラを取り出して、ぼくに見せてきた。
――あれ、そのビラ……?
「あたしさ、昨日、このサークルに誘われたんだ。学科別ガイダンスの後、盛本さんって人に話しかけられて、メチャ感じよくって。顔も声も、なんか癒し系?」
「あ、盛本さん……」
思わず声が出た。昨日、優しく声をかけてくれた先輩だ。ぼくにとっては、大学で初めて「言葉」をかけてくれた人でもある。
「え、知ってるの?」
「いや……ちょっとだけ……」
「ふぅん、怪しい。でもまあいいや。あたし、今週の金曜、このサークル見学行くから。一緒に行こうよ」
「え、ぼくも?」
「うん、佐藤くんも行くべき。顔、悪くないし、なんか陰キャすぎて逆に映えるかも?」
冗談めかして言いながら、彼女はぼくの顔をじっと見た。軽く笑っているけれど、その目には妙な鋭さがある。逃げられそうにない。
「……わかった。行ってみるよ」
「よし、決まり♪ こういうのは勢いが大事だからね」
莉子は立ち上がると、ひらりと手を振って去っていった。ぼくはその後ろ姿を呆然と見送った。
何かが動き始めた気がした。
その週の金曜日の放課後、クラブ棟の二階の一室が文芸サークル『言の葉』の部室である。
古い木の階段をキィキィ軋ませて二階へ登ると、建物全体から微かに紙とインクの匂いがするような気がした。
「ここか、文芸サークル『言の葉』……」
ぼくがそう呟く隣で、莉子はドアを素早くノックする。
コォン、コォン、コォンッ。
音がやけに響く。
「どおぞぉぉっ」
と、少し間延びした声がした
莉子がドアノブに手をかけながら、ぼくに小声で言った。
「なんか緊張してる? 大丈夫大丈夫、って顔してれば何とかなるって」
「いや、顔って……」
言い返す間もなく、彼女はドアを開けた。
「……おっ、新入生?」
部屋の中にいたのはテーブルを囲んだ数名の学生たち。
白シャツにネイビーのジャケットを羽織った男子がオレたちの方に向かって手を振り、他のメンバーも興味ありげにこちらを振り返った。
室内は思ったより広かった。壁際に書棚が並び、古いソファとテーブル、そして円く囲むように椅子が置かれている。部屋の隅には、学生が書いたらしい同人誌やコピー本が積まれていた。
「あ、こんにちはぁ。見学希望の1年生です!」
莉子の声に、盛本さんはすぐに反応してくれた。
「あっ、小林さんと佐藤くん。来てくれてありがとう」
盛本さんはふわりとしたカーディガンにロングスカートという装いで、春の陽だまりのような柔らかい笑顔を浮かべていた。
「同じ学科の佐藤くんも誘ったんです。文学興味あるって言うから」
――ぼくは、そんな話をした覚えはないけど。
莉子がそう言うと、盛本さんは少し目を細めて、そして優しくうなずいた。
「うん、よく来てくれたね。改めて、文芸サークル『言の葉』へようこそ」
盛本さんの言葉に、少しだけ緊張が和らぐ。ぼくは思わず頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
たったそれだけで、ここに来てよかったと思う自分がいた。
「じゃあ、せっかくだし簡単に自己紹介いこうか。文芸サークルなんだから好きな作家も聞かせてよ」
ネイビージャケットの男子が言った。彼の名前は鈴木櫂。4月から「言の葉」の部長になった英文学科の3年生だ。もしかしたら、ぼくと同じ歳かもしれない。好きな作家はポール・オースターだという。
「高校生の時に『ムーン・パレス』を読んで、はまったんだ。ポール・オースターを読むと、自分が物語の中で生きてるような気分になるよ。偶然、選択、記憶、喪失……全部が繋がっていて、何かを問いかけてくる。文学が好きなら、一度は触れておくべき作家だと思うよ」
続いて、2、3年生たちが順々に自己紹介を始めた。
全体的に穏やかで落ち着いた雰囲気が流れていた。
声の小さい男子、文芸誌の編集に詳しい女子……それぞれがどこか不器用だけれど、自分の言葉を大切にしている印象だった。
盛本さんは、
「私は、金子みすゞが好きです」
と、静かに言った。
「目立たなくて、やさしい言葉が多くて。でも、読んでると、心の奥を刺すんです」
ぼくの番が回ってきた。
「……佐藤悠真です。国文学科1年です。えっと、好きな小説は……」
一瞬、ためらいながらも、ぼくは口にした。
「村上春樹の『ノルウェイの森』、です」
少しザワッとした気配が流れる。
「……高校生の時に、たまたま手に取って。それまで村上春樹ってあまり読まなかったんですけど……なんか、自分が感じてた孤独とか、空っぽな感じとかが、そのまま文章になってて。読み終わったあと、すごく静かに泣いたのを覚えてます……」
言いながら、少しだけ顔が熱くなる。
初対面から、ちょっと重かったか? いや、でも――。
少し間を置いて盛本さんが、
「『ノルウェイの森』……いいよね。直子も緑も、どの女の子も、それぞれの痛みがあって……」
と、優しくつぶやくように言った。
鈴木さんが、
「おっ、王道きたな……もしかして、きみは『ぼくは小説のようにしか生きられない』系男子かも」
と言うと、小さな笑いが起きる。からかいではなく、軽い歓迎の空気。
肩の力が、少し抜けた。
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