エピローグ 聖なる夜の灯
年の瀬が近づき、この小さな町でも空気が少しずつきらびやかに、そして忙しなくなっていく中――。
「今日で最後なの? えぇぇっ、やだぁぁっ!」
学童保育の教室のざわめきの中で、小さな手がそっと美佐の袖をつかんだ。
元気いっぱいのマホは、その瞳をうるませながら、必死に見上げていた。
「冬休みに入るから、しばらく会えないだけよ。三学期になったら、また遊ぼうね」
美佐さんの声にはほんのり寂しさが滲み、教室の空気が少しだけ静かになった気がした。
美佐さんはマホの頭を優しく撫でながら、美佐さんは少しだけ笑った。
夏休み前、緊張した面持ちで初めて子供たちと接した時のことを思い出す。今も時々、顔を出している。たいして力になってないと思うけど、子供たちと過ごすうちに、自分自身の笑顔や言葉が、誰かの力になることを知った。
土曜日の図書館。美佐さんの読み聞かせボランティアも今年の最終日になっていた。
「今日はね、『てぶくろをかいに』を読みます」
冬の名作を、美佐さんは丁寧に、語るように読み進める。子供たちはじっと聞き入っていた。読み終えた瞬間、ひときわ大きな拍手が起こる。
「せんせい、また読んでね!」
子供たちの声に、美佐さんは嬉しそうに手を振った。それを見たぼくも、「言葉には力がある」と信じられるようになった。
そして、塾の教室――。
「先生、これ、どうしてもわからない……」
中学生の男子が問題集を突き出す。ぼくは一瞬詰まるが、苦笑いしながら答える。
「よし、一緒にやってみよう。ぼくも最初はこれ、間違えたから」
今ではすっかり、生徒たちに頼られる存在になっていた。自分の知識だけでなく、伝え方に悩み、試行錯誤しながらも、ようやく少しずつ「教える」ということがわかってきた。
冬休みを前に、ぼくたちはそれぞれの場所で、小さな成長を重ねていた。
もちろん、学生の本分は勉強である。
大学図書館は、冬の冷たい空気を跳ね返すような熱気に包まれていた。年が明けたらすぐ後期試験である。自習席はほとんど埋まり、静かな空間にページをめくる音やノートにペンを走らせる音が心地よく響く。
「うーん、ここ、どうやって書いたものかなぁ……」
オレは課題レポートの文章が途中で行き詰っていた。
大学の勉強は高校までとは違うのだ。自分の頭で考えていかなければならない。隣の席では、美佐が真剣な眼差しでテキストに目を走らせている。
その姿を見ていると、ぼくは自然に笑みがこぼれてきた。
――あれだけバイトして、ちゃんと勉強もしてる。すごいな、美佐さんは。
彼女の指先は蛍光ペンで単語にマークをつけ、時折小さく首を傾げながらも、着実に読み進めていた。図書館の読み聞かせでも見せた、あの集中力。日々の積み重ねが、今の彼女を支えているのだと改めて思う。
「……あのさ、悠真くん。これ、ちょっとだけ教えてくれない?」
「うん、いいよ。どこがわからないの?」
まるで小さな共犯者のように、ぼくたちはノートを寄せ合い、問題を解き進めていく。言葉を交わすたびに、肩越しに感じるぬくもりと、冬の午後の柔らかな光が、ぼくたちの距離を静かに縮めていった。
気晴らしに部室に顔を出すと、莉子が数名の部員たちに囲まれていた。
いつものように明るく、でもどこか、ほんの少しだけ照れたような笑みを浮かべている。
「えっ、ウソでしょ!? 莉子ちゃん、ホントなのっ!?」
「だってさぁ、田中先輩って、めっちゃ無口じゃん……!」
部員たちの驚きの声を、莉子は片手を上げて制した。
「いやぁぁっ、そろそろ言っとこうかなって思ってさぁ!」
ぼくも話の輪に割り込んだ。
「莉子、何の話……?」
莉子はぼくを見ると、嬉しそうに叫んだ。
「うふふっ、実はね……私、田中先輩と、つきあってるの!」
「……ええっ?」
オレと美佐さんは思わず驚きの声を重ねた。田中さんと? あの、無口で、真面目で、無表情がデフォルトのような人と、莉子が?
「でもさ、無口だけど、ちゃんと話、聞いてくれるし、すっごく優しいんだよ。何ていうか、私が全開でしゃべっても、ちょっと笑ってくれるの。あの、目だけで」
「……田中先輩が笑う?」
「笑うのぉ! 見たら驚くよ!」
莉子は照れ笑いしながら、スマホを取り出してツーショットの写真を見せる。そこには、満面の笑み……とはいかないまでも、確かに口元を緩めた田中先輩と、屈託ない笑顔の莉子が並んでいた。
「お似合いだよ、莉子」
「うん、なんか……意外だけど、すごくいい」
オレと美佐さんがそう言うと、莉子は照れ隠しのように両手で顔を覆った。
「いやぁぁん、そう言われると恥ずかしいっ!」
冬の光が差し込む部室に、笑い声が響く。騒がしいけれど、どこか温かなその空間の中心で、莉子の新しい一歩が、しっかりと踏み出された瞬間だった。
その年のクリスマス――12月24日。
雪は降らなかったけれど、空気はすっかり冬の匂いがしていた。
ぼくの下宿の周辺は、いつもとさして変わらない静寂だった。
狭い部屋の中に、ささやかな灯りが灯る。
ぼくは美佐さんと向かい合って炬燵に入っていた。
「いろいろあったわねぇ……4月から」
「うん、ぼく、入学式の日に、8ヶ月後の自分がこうなってるなんて、想像つかなかったよ」
「ホントに?」
「ありがとう。美佐さんのおかげだよ。きみが入学式前に声を掛けてくれたから――『言の葉』に入部して、みんなと仲良くなれて、バイトも始められて……」
「ははは、確かに、いろいろあったね」
「うん。でも、その全部が、書く力になった」
手に持っていたマグカップの熱が、じんわりと指先を温める。
そして、そのぬくもりのまま、ぼくはそっと美佐さんの手を取った。
指が触れる。おずおずと、けれど、離れないように。
「……今夜……帰らなくてもいいよ……」
意を決してぼくがそう言うと、美佐さんが、小さく息を呑むのがわかった。
でも、拒まなかった。
「……お言葉に甘えて、泊まろうかな……」
美佐さんは少しだけ間を置き、目を伏せてから、そっと言葉を紡いだ。
「でも、その前に一つお願いがあるの」
その声には、ほんの少しの照れと覚悟が混ざっていた。
「なに?」
ぼくは、つい勢い込んで尋ねた。
美佐さんは、はにかみながら、
「これから私のこと、『さん』づけで呼ばなくていいよ。私も『くん』づけしないからさ」
そう言って、フッと笑った美佐さんの頬は、普段よりも赤く見えた。
「……わかった」
ぼくは立ち上がって部屋の灯りを静かに消す。
「美佐……」
「悠真……」
ぼくたちの影が、重なる。
言葉よりも、ぬくもりで伝えたくて、伝えられたくて。
何も急がない夜が、ゆっくりと降りてきた。
世界が静かになったような気がした。
窓の外では、街の灯りが遠くで瞬いている。
初めて一つになった夜は、
雪よりも優しく、火よりも温かかった。
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