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虐待で心に傷を負ったぼくと彼女が地方公立大学で出会い“ことば”と“居場所”を取り戻すまでの物語  作者: 喜多里夫


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第21話 彼女の声が、はじめて震えた日②

 今までの自分は、誰も信じることができなかった。


 ふと思い出す。父の声。高校や予備校の教師の声。他者に鋭く、冷たく、否定しかなかった言葉。


「東大と京大と国公立大の医学部以外は学歴じゃない!」


「このクラスで東大に受からないやつは、クズだ」


 そんな言葉を、当たり前のように浴びていた。


 信じていた。自分も、周りも、すべて偏差値で測れるものだと。


 だからぼくは、他者とつながるのを拒んできた。


 誰かと深く関われば、劣等感を覚える。裏切られる。傷つく。


 なら、最初から誰とも関わらない方がいい――そうやって自分を守ってきた。


 でも、ここへ来ると違った。


 美佐さんのぬくもりが、莉子の強さが、鈴木さんの真剣なまなざしが、ぼくを変えた。


 ぼくが今まで経験してきたものでは測れない価値が、確かにここにはあった。


 誰かの言葉に救われて、誰かを救いたいとさえ思えるようになった。


 それがどんなに怖くても、どんなに不器用でも、繋がろうとする意志だけは手放したくない。


 目を閉じた。


 静かな夜の底で、ぼくは一つの決意を抱いた。


――もう、誰かの価値観で自分を裁くのはやめよう。ぼくは、ぼくの足で、歩いていく。




 大学図書館の閲覧室は、いつ来ても静かだ。けれど、その日はどこか、息を呑むような空気があった。誰かの心が、ここでひっそりと震えているような──そんな気配。


 「やっぱり、ここにいたんだ」


 ぼくが声をかけると、奥の席で本を読んでいた美佐さんが、ゆっくりとこちらを振り返った。彼女の指先はまだ、開かれたペーパーバックのページに触れていて、まるで現実に戻る準備ができていないように見えた。


 表紙には、『ジェーン・エア』とあった。


 「懐かしい本、読んでたんだね」


 ぼくがそう言うと、美佐さんは小さく微笑んだ。けれどその笑みの奥に、ふだんは見せない陰りが宿っていた。ぼくは言葉を継がず、彼女の正面にある席に静かに腰を下ろした。


 「……小学校の時、子供向けに翻案されたものを図書室で初めて読んだの。あの頃は、もう、なんていうか……毎日が、霧の中にいるみたいで」


 美佐さんの声は淡々としていたけれど、その静けさが逆に、胸を締めつけた。ぼくは黙ってうなずいた。急かしたくはなかった。ただ、美佐さんがそのまま話してくれるのを待っていた。


 「家には本なんか無くってね。母親と二人だったんだけど、生活だけで精一杯だったから。学校で本、読んでると友だちから、『お利口ぶってる』って、からかわれるし……」


 その言葉に、ぼくは思い出した。自分の過去にも、似たような感覚があった。周りと話が合わず、本だけが味方だった日々。


 そして、美佐さんもまた、同じような「遠さ」を経験してきたのかもしれないと、初めて実感として思った。


 「でも、一人だけ、小学校の担任の先生が褒めてくれたの。本を読んでると、あなたは光って見える、って」


 美佐さんはそう言って、静かに目を伏せた。まるで、その時の先生の言葉が、今でも胸の奥に灯っているかのように。


 ぼくはふと、自分が彼女のその灯を、見ようとしていなかったことに気づいた。美佐さんはただ明るくて、誰に対しても優しい人なんだと、勝手に思い込んでいた。でも、その強さの下には、何かを乗り越えようとした数えきれない夜があったんだ。


「外、出ようか」


 ぼくがそう言うと、美佐さんは驚いたようにこちらを見て、少しだけ肩の力を抜いて、うなづいた。


「……うん、ちょっと歩きたいかも……」


 夕焼けに照らされたキャンパス内へ、ぼくたちは静かに歩き出す。


 大学の裏門を抜けて、坂を下りていっても、美佐さんは何も言わなかった。


 夕日が赤く影を伸ばす中、ぼくたちは黙って歩いた。


 そして、小さな喫茶店の前で、ふと足を止めた。


 店内は薄暗く、落ち着いた空気が流れている。年配の客が多く、静かなジャズがBGMで流れていた。


「ここ……落ち着くよね」


 美佐さんがボソッと言った。


 ところが。


 その時、談笑していた年配の男性客の一人が「ガハ、ハ、ハ、ハ」と笑い声を上げた。


 美佐さんの表情が硬くなった。


 コーヒーに口をつけながらも、どこかうわの空で、会話も続かない。


 さっきまでと違って、今は別人のように感じる。


「……どっ、どうかした?」


 思わず尋ねた瞬間、美佐さんの肩がピクリと震えた。


「えっ、いや……なんでもない。ホントに……」


 だが、その「無理な笑顔」が、余計に不自然だった。


 彼女は視線を逸らしたまま、手元のカップを両手で握りしめていた。


 そして、ポツリと、独り言のようにつぶやいた。


「……ねえ、悠真くん」


「あ、何?」


「……ううん、たいしたことじゃないんだけど……」


 うつむきながら、美佐さんはゆっくりと口を開いた。


「ときどき、つらくなるの。理由は……ちゃんとはわからないんだけど。何でもない風景とか、音とか、匂いとか。そういうので、フッて思い出して」


 ぼくは、美佐さんの横顔を見つめる。


 彼女は視線を落としたまま、言葉を続けた。


「過去にあった、嫌なこと。たぶん、忘れてないんだと思う。平気なふりはできるけど……ホントは全然、ちゃんと乗り越えてなんかいないんだよね……それでも、生きてくしかないんだけど」


「……」


「さっきもね、誰かの笑い声が、すごく似てて。あの人に。で、一瞬、息が止まりそうになった」


 美佐は、小さく笑った。


 でも、それは強がりの笑顔だった。


「こういうとき、私、どうしたらいいんだろう? 泣いてもいいのかな。黙ってるべきかなって……いつも迷う……」


 ぼくは、ちょっと考えてから、


「……泣いていいと思う。というか、泣いても、黙っても、どっちでもいいと思う。美佐さんが選んでいい」


と、言った。


 美佐さんは、フッと目を見開いた。


「ぼく……話、聞くよ。聞けることなら、ずっと。何も言えないこともあるかもしれないけど、それでも、そばにいる」


「……」


「だから、苦しいって思った時は、ちゃんと教えて。ぼく、美佐さんのこと、大事にしたいから」


 その言葉に、美佐さんの表情がグシャッと崩れた。


「……やめてよ、そういうふうに優しくされると……ダメなの」


 声が震えていた。


 抑えていたものが、堰を切ったようにあふれ出しかけている。


「ごめん……私、ちゃんと笑えてると思ってたのに……逃げてきたはずだったのに……あんな奴のことなんか、思い出したくなかったのに……」


 ――あんな奴。


 その言葉に、ぼくの胸に警鐘が鳴った。


 何かがいる。彼女の過去に、明らかに「名前すら呼びたくない存在」が。


「……今まで話せなかったこと……私の身体に起きたこと、心がひしゃげた理由。あれは中学2年生の時……」


 美佐さんは語り始めた。

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