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虐待で心に傷を負ったぼくと彼女が地方公立大学で出会い“ことば”と“居場所”を取り戻すまでの物語  作者: 喜多里夫


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第18話 ぼくの居場所に灯る火②

 この後、何人かがあれこれと意見を言った後で、美佐さんが少し迷うように言った。


「カフカくんは、『父親に呪われた運命』から逃げて旅に出るけど……結局、自分の中にある『父親』からは逃げられない。だから……あれは、他人じゃなくて、自分自身との闘いの物語なんだと思う」


「父親って、『存在』じゃなくて『影』になるんですよね。遠くにいても、自分の心の中に入り込んでくる」


と、ぼくは美佐さんの言葉に意見を加えた。


 ――ぼくも、そういう経験があるから、読んでて息が詰まった。


 そう言いかけて、ぼくは再び口をつぐんだ。美佐さんはぼくを見たが、何も言わない。


 莉子は首をかしげて、


「でもさ、カフカくんのお父さんって、実際は出てこないよね? それって、リアルな話じゃなくて、『象徴』みたいなもの?」


 鈴木さんが応える。


「そうそう。あの小説は『リアリズム』じゃなくて、『象徴的リアリズム』って言われるジャンルに近い。夢とか神話的なイメージが混ざり合ってて、現実と幻想の境界が曖昧になってる」


「カフカ少年が、『自分の中の運命』を超えていこうとする物語……って言えるかも。そういう意味では、あれは『成長小説(Bildungsroman)』なんだよね」


と、田中さん。


 美佐さんが、


「成長するって、傷を受け入れることでもあるから……カフカくんが『傷を持ったまま生きていく』選択をしたのは、すごく現実的だったと思う」


と言うと、ぼくも意見を言いたくなった。


「……ぼくは、そこに救われました。完璧な答えじゃなくて、ただ、『生きてていいんだよ』っていう感覚。それを文学がくれるなんて、今まで実感できなかった……」


 部室に沈黙が落ちる。誰もが、それぞれの「影」に思いを馳せるように。


 しばらくして誰かが独り言のように口を開いた。


「でも、結局さぁ、あの結末って……分かりづらかったよね。カフカくんは『父の呪い』を越えたのか、それともただ幻想の中に閉じこもっただけなのか……」


 莉子が言った。


「あれって、夢オチ……じゃないけど、現実に戻る感じじゃなかったよね? 私はちょっとモヤモヤしたなぁ」


「モヤモヤする結末=(イコール)未完の自分ってことかもしれないよ。文学って、作者が『正解』を用意してるんじゃなくて、読み手の中で物語が完成する……そういうものだと思う」


と、鈴木さんが応えた。


 美佐さんが静かに言う。


「『そして目覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている』っていう最後の一文。あれがあるだけで、私は十分救われた気がしました。たとえ全てが失われても、『前に進む』って言ってくれるようで」


 ぼくも続けて言った。


「……ぼくも、あの一文に救われた気がしました。『もう戻らなくていい』って。傷を抱えたままでも、生きられるって……」


 しばらくの沈黙。しかし、よい雰囲気の時間が流れた。


 この日の読書会は1時間半ほどで終了した。


「よしっ! じゃあ今日の読書会はここまで! いい話ができたと思うよ。この後は……」


 鈴木さんが「パンッ!」と手を打って、ニヤリと笑うと言った。


「今日はこれからみんなで飲みに行くんだったね。ただし! 未成年はお酒禁止だからね。コーラとウーロン茶で我慢してよ!」


 莉子が、


「えぇぇっ、ずるいぃぃっ! 私も酔いたいっ!」


 美佐さんは微笑んで、


「ノンアルでも十分酔えるよ……空気に」


 鈴木さんが笑いながら、


「空気に酔うって……いい表現だなぁ」


 部室は笑いに包まれた。こうして、読書会の余韻を胸に、それぞれが立ち上がった。


 その日の晩――。


 居酒屋での飲み会は大盛り上がり。


「ちょっとぉ、莉子ちゃん、飲みすぎぃぃっ!」


 2年生の女子たちの悲鳴が上がる。鈴木さんが慌てて、


「こっ、こらっ、未成年は……」


と止めようとしたが、後の祭り。


 美佐が、ぼくにそっとささやいた。


「悠真くんは、もう成人なのに飲まないの?」


「ははは、みんなの前ではまだ18歳ということにしておきたいんだ」


と、ぼくは苦笑しながら答えた。


 その時いきなり、


「ねえ、悠真くぅぅん!」


と、普段よりさらに口数が増えている莉子がオレにピッタリくっついてきた。


「あたし、ちょっと酔っちゃったかも……ふふっ、頭グラグラする……」


「大丈夫? 水飲んだ方がいいよ」


「じゃあ、飲ませて。口移しで」


 莉子がぼくの眼の前で口を開けると、周りのみんながどっと笑い、場がますます騒がしくなる。


 あっという間に2時間経った。


 鈴木さんが調子に乗って言う。


「よぉぉし、二次会は佐藤くんの部屋だ! コンビニで買い込んで、お邪魔しまぁぁす!」


「えっ……ちょっ、いや、それは――」


 だが、みんなの勢いに押され、酔った莉子も「行こ、行こぉぉっ!」と絡みながら、結局部員数名でぞろぞろとぼくのアパートへ向かった。


 月明かりがアスファルトを白く照らしている。


 サークルの面々は笑い声を上げながらぼくのアパートへ向かっていた。ほとんどのメンバーがほろ酔いで、莉子は完全に酔っぱらってオレの腕に寄りかかっていた。美佐さんは後ろで苦笑している。


 莉子は上機嫌である。


「ねぇねぇ、悠真くんって、部屋キレイ? 女の子呼ぶ時だけ片づけるタイプでしょぉぉっ?」


 鈴木さんは笑いながら言った。


「それ、男の大半がそうだからな!」


 みんなでこうしてワイワイ騒ぎながら、角を曲がり、アパートの前まで帰って来ると――。


 大きな外車が停まっている。


「!」


 黒光りするボディ。ナンバープレートに見覚えがあった。端正で無機質な、威圧感だけでできているような高級セダン。


 思考が一瞬で凍る。


 心臓が、打つのを忘れかけた。

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