教授と彼女
あのメガネが完成してから、ちょうど二ヶ月ほど経った、ある日。
「んで、このメガネ結局何だったんです?」
弟子が唐突に聞いてきた。
「あれ? いちいち反応しないんじゃないの?」
「いや、こうもすんなり仕事に取り組んでくれるとは思ってなかったんで」
「あー、まあ。そうか」
弟子はなんやかんやで、俺が研究に打ち込む姿が好きだったのかもしれない。
時々見せる寂しそうな顔を見て、そんなことを思うようになった。
「これは、『真円発見装置』だ」
「深淵、発見装置?」
「ああ」
「……なんか、闇が深そうな名前ですね」
「いや、そっちのシンエンじゃなくて。真円、つまり、完全な円のこと」
「あー……」
俺は、自分の発明品を彼女に説明するとき、決まって彼女を弟子にした日のことを思い出す。
そう、あれは、ひどく蒸し暑い日だった。
ある講義で、俺は汗だくになりながら、自分の発明品をみんなに紹介していたんだ。
最悪だった。
説明の途中からみんな笑い始めて、講義にならなくなって。
何事だ、って心配して来た先生も、俺の説明で笑い始めて……
「具体的には、入ってくる光の明暗の差がある部分を『境界線』として認識して、その線が真円だと、その上に黒いラインを引いて通知してくれるんだ」
でも。
そんな中。
彼女だけは――
「……なるほど。なんでそんなものを」
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれた!」
俺はノートパソコンを閉じて、彼女の方に椅子を回した。
彼女の目には、俺のにやけ面が、さぞかし醜く写っていただろう。
「ずばり、世の中のほとんどの人は、円という図形の素晴らしさに気づいていないからだ!」
私は素早く立ち上がって、そして、ゆっくりと研究室内を歩き始めた。
「そもそも、現実で完璧な円を描くことは不可能だと、知っているか?」
彼女は真剣な表情で、首を傾げ、「知らない」を表現した。
どんな質問でも、必ず何かしらの反応をする。
それは、弟子だからなのか、彼女だからなのか。
……いや、そんなこと、最早どうでも良かった。
「コンパスを使って、どれだけ正確に描いても、それは円形であって、『円』ではない。ただの模倣でしかないんだ。少し複雑だけど、これがいちばん大切なとこ」
あのメガネを紹介していたときの文章を思い出しながら、それを悟られないように、俺は、言葉を、繋いでいった。
「数学で、『円』っていう図形は、『定点から等しい距離にある点の集合』のことを指す。だけど、そもそも『点』は幅も長さも厚さも無いから、我々人間は、紙に鉛筆で境界線を描いて、それを円だと表現してるってわけ」
俺は話しながら、はじめから彼女に紹介すればよかった、と後悔した。
そう、完成させた、あのとき。
数百カ所巡って紹介などせずに、あの瞬間、彼女の弟子としての意地を押しのけて、無理矢理説明を初めてしまえば良かったのだ。
だって――
「……それって、要は、『有名な絵画の写真をプリントして、家に飾ってる』みたいなことですか?」
彼女だけはいつも、俺の話を真面目に聞いてくれるのだから。
「そうそう! 本質はそれで合ってる! ただ、その絵を書いたのが数学の神様で、飾られてる家が地球ってだけ!」
「……なるほど」
「ただ、自然法則を使えば、我々も円を観察することができる。例えば、惑星とか衛星とか」
「重力の働き、ですね」
「そうそう。もっと科学的に言うなら、万有引力。2つの物体同士の引き合う力のおかげだね。あとは……」
嗚呼、話が止まらない。
「他には、磁石、とかどうでしょうか」
「おっ、鋭い! たしかに、磁石の働きも一定だから、砂鉄とか使えば、真円見れるかな? そこまできれいじゃなくても、楕円とか、半円とか、何かしらの円形を見れるかもね。例えば……」
ずっと、ずーっと、話していたかった。
世界の素晴らしさ、美しさを。
「いやいや、曲線で出来る図形だったら、なんでもいいってわけじゃない。そんなこと言ったら、三日月だってあんなに尖ってるけど……」
…………あ。
「どうしました?」
「そういえば、明日は満月だったな」
俺は、窓の外に佇む、巨大な物体を見上げた。
視界の端に写った彼女は、やはり、無表情のまま、首を少しだけ傾けていた。