腹を割って
近頃は、領土に平気で入ってくる人間が増えて困る。
そんな話をラオエンとしていた最中に届いた報告で、ダークネスは脱力してしまった。一礼すれば苦笑する長を背に、領土の外れへと向かう。
再び、魔方陣から人が来たというのだ。
あれは消してしまった方がいいのではないか、でもそうなったら子供たちが外に出てしまった場合に、帰ってこられる手段が減ってしまう。そもそも気付けば勝手に描かれていたもので、それはそれでどうなのか?
悶々としたものを抱えながら進んでいれば、人だかりがあった。それも子供たちばかりだ。
中心に見えるのは、紅蓮の髪に黒い服。
「久しいな、火炎族」
声を掛ければ、子共たちを両手に抱えながら振り返った。例の着物かと思っていたけれど、見たことのない軍服のようなものだった。肩口から胸元に走る金の鎖が目立ち、袖や裾に黒い刺繍で描かれる炎を隠してしまっている。
珍しい格好だと目を細めれば、彼はどこか照れ臭そうに笑った。
「久し振りだな、ダークネス。オイラは、今日は人族のとある国の使者として来たんだ」
「……お前が? 人族の国の?」
「あぁ。諸々の事情で、その、女王の側近をやらせてもらうことになってな。……女王が、魔族の実情を知りたいと」
ブラックに会いに来たのかと思っていたら、まさかの要件に警戒を顕わにしてしまった。それなのにバーナーはけろりとした表情で、抱っこやおんぶをせがむ子供たちの相手をしている。
「魔族や妖精族の事を後世に正しく伝えるため、神話の国レイリアに力を貸してくれないか」
「レイリア……。レイリア? ……あぁ、その国にならば」
「知っているのか?」
「過去にも、使いが来たことがある。あれはまだダークがいない頃……三百年は前の話だな、無論、こんな魔方陣はなかったから、自力で来たと言っていた」
「すげぇ根性」
とりあえず子供たちに帰るよう伝えると、揃って渋りだした。苦言を漏らさんばかりに目付きを鋭くすれば、バーナーが宥めるように微笑む。
「まぁまぁ。オイラは逃げないから、今日は大事な話をさせてくれ。必ずまた来るから、な?」
この子たちはみな、ゼルスやセイントを探して外に出た親を追いかけて人間に捕まったり、好奇心から一族を出て討伐されかけたことがある。
もう助からないものだと諦めていたのに、いつの間にか出来ていたこの魔方陣から現れて、揃って言うのだ。
紅蓮の髪、紅蓮の目の人に助けられたと。人族の国まで連れて行ってくれて、同じ魔方陣から帰してくれたのだと。
ぶーぶーと文句を言っているこの子たちにとって、彼は命の恩人で、助けてくれた礼を言いたい人なのだというのは、わかっている。
「だが、今日は一国の使いとしてここに来ているのだぞ。お前たちは恩人の仕事の邪魔をするのか?」
「オイラは、ブラックに掛け合って数日泊まらせてもらうつもりだ。だから大事な話が終わったら、遊ぼう」
とりあえず納得してくれたのか、銘々口を尖らせたり顔をしかめたりはしていたけれど降りてくれた。ダークネスに一礼して後をついていけば、部屋に通される。
ソファに机、小さな食器棚に本棚と、随分質素な部屋だった。
「族長は今、ご子息の元だ。次期長としての心得を伝授されているのだろう、一息つくまでは我が部屋で休んでいただいても?」
「構わない、それにかしこまらないでほしい」
「お前が正装を脱ぐのならば」
それもそうだと、軍服を炎に変えて普段着になった。白い目で見られて首を傾げれば、ため息を漏らされる。
「以前から気になっていたのだが、お前の服はどうなっている?」
「一族衣装の着物とレイリアの正装に関しては、魔力で構造を弄ってオイラの炎が素材になっている。着脱はかなり楽だ」
「……我々が言えたことでもないが、かなり人間を辞めているな?」
呆れたように言われ、バーナーは肩を竦めた。族長側近の部屋にしては家具が簡素だと見回しているとコップが置かれ、二度見する。
これを置いたのは、間違いなく人の手だった。正面を見て、眉尻を下げてしまう。
「オイラは気にしないのに」
「族長への客人に、茶の一つ出さないわけにもいくまい」
ダークネスが変 幻 偽 視を使ったらしい、細身で頬のこけた男が向かいに座っていた。
「ならば、この姿の方が都合がいい」
「そうか。……では、ありがたくいただこう」
鼻孔をくすぐる紅茶の香りに目を細め、ゆっくりと口に含んでいった。魔族でも、と言えば失礼になるけれど、こういったものを嗜むのだなと表情を緩めてしまう。
ふと、ダークネスが俯いているのが視界に入り、眉を寄せた。
「どうした?」
「会うのは、我々がセイントを狙っていた時以来か。……あの時お前は、何度死にかけた」
「オイラは死ねない」
「わかってはいるが、そういう問題ではない。肝は冷えるものだ」
「心配してくれていたのか? あの時」
からかうように言ってみると、暗い目をしてますます俯いてしまった。どうしたものかと顔を覗き込み、小さく喉が鳴る。
これは、謝罪だ。
「どうした、どうした? 族長の側近とあろうものが、簡単に頭を下げるものじゃないだろう」
「やるべきことがあったとはいえ、お前たちを深く傷付けた。……恩を、仇で、返すようなことをした」
「美代に関しては最後までわからなかったが、ブラックについては途中で気が付いた。オイラの方こそすまない、色々とやり辛かっただろう」
何とか顔を上げさせて、自分が眉をハの字に寄せてしまった。
あの時、黒疾とラオエンの会話の中で吐き捨てられた言葉を。
数を連れて来いと言った盗賊に、出来るものならそうしていると、忌々しそうに言ったのを覚えている。
「ブラックの、族長としての力を見定めなければならなかったのに、オイラのせいで同胞の協力を得られなかったんだろう? 美代のこともそうだ、あれだけ本気で捕まえようとしていたのに、あなた達の他は誰も来なかった」
「……本当に博識なのだな、魔族のしきたりを知っていたと?」
「レイリアで勉強させてもらったから。雷斗も、捕虜として連れて行ったのを逃がしたのは、オイラ達が助けてきた子供たちかその親なんじゃないか? 元から解放するつもりなら連れていく理由がないだろう」
ダークネスは息を漏らし、バーナーを凝視した。それは驚きにも見える表情で、なんとなく頬を掻いてしまう。
「お前は、どこまで知っている?」
「あー……美代を狙っていた理由と、なぜ族長のラオエン様ではなく、あなたが見定めていたのか、以外?」
「我々は、お前の仲間を殺しただろう!」
「あれは神様の元に行ってわかった。美代の中に居たガーディアンの魂を受け入れられる器が、リンしかいなかったんだろう?」
「物分かりが良すぎるのも考え物だぞ、火炎族」
完全に呆れられたようだ。とりあえず一つだけは訂正しておきたくて、正面から見据える。
「オイラの名はバーナー・ソラリアだ。名前で呼んでくれないか」
「偽名を呼ぶつもりはない、これまで火炎族と対峙してきたこともある、皆リズ表記だったのにお前だけインズ表記なわけがあるまいよ」
ジロリと見られて、言葉に詰まった。口を尖らせて頭を掻き、ため息をつく。
「優火。優しい火で、優火」
「名は体を表すとは、よく言ったものだ」
「オイラの炎は優しくないから、この名は名乗れない。……と、ずっと思ってきたけど。今は、そうでもないな」
また、照れ臭そうな笑みを浮かべた。戦っていた時よりもなぜだか幼く見える彼に、微笑ましく目付きを和らげる。
「でもバーナー・ソラリアっていうのは、レイリアの現女王がくれた大事な名だ。偽名だと言い切りたくはない」
「そうか。失礼なことを言ってしまったな、ならば私もバーナーと呼ぼう」
「ありがたい」
気付いているのかいないのか、バーナーの頬はわずかに赤くなっていた。紅茶を一口含む彼を見て、自分もそうする。
少しでも、気を落ち着かせたかった。
「ラオエン様の言葉も、あれはオイラ達じゃなくて神への挑発だった」
「……セイントの中に神の欠片が見えたと。あの子は妖精族だ、生きて神の元へは行けない。あの中で受け入れられる可能性があったのはあの娘だけだった」
バーナーが言ったのはきっと、リンを殺した直後の言葉だ。
『神が気まぐれでも起こさない限り、その娘は生き返らん』
何を隠そう、あの時にリンが死んで一番困るのは、神だったのだ。
「しかしあの娘では体が弱く、魂を二つは受け入れられない。ならばああするのが一番だった。それに目の前で殺せばセイントは激昂する、妖精族としての血を覚醒させられるはず。……弁明をするつもりはない、必要だと思い、やった」
「美代の中に欠片が見えたって、心眼を持って?」
「魔族の長は代々、疑似的な心眼を持つ。それを使用すると他者の思考だけではなく、近い過去や未来を見ることが出来るらしい。
多大な魔力の消費を伴うが、普通の魔族であれば数日で回復する程度だ」
含みのある言い方に、バーナーはなんとなく酒を出してみた。飲むかとコップを向けてみるが、渋い顔をして首を振られる。
「私はそれを好まない、喉が痛むしひどく苦いではないか」
「ダークがいけるから、そうかと思っていたら。こっちはどうだ、果汁みたいなものだぞ」
レイリア特産のベリー酒を渡してみれば、わずかに口をつけてはくれた。甘味は好きなのだろうそのままチビチビと舐めはじめ、自身は米酒を流し込む。
「ラオエンがあまり姿を見せなかったのは、それが原因か」
「……先天性永続魔力流出症」
「先天性、永続、なんだって?」
「先天性永続魔力流出症。ラオエン様は、魔力を体内に留めることが出来ないのだ」
思わず、顔が強張ったのがわかる。ダークネスは俯いて、わずかに中身が減っているコップへと視線を落としていた。
「魔族と妖精族が患う疾患だ。流れ出た魔力は空気中に霧散するから、他への影響はない」
その話が本当ならば、ラオエンは相当な無理を重ねている。
魔力の消費が死に直結する中で、いつ命を落としていても可笑しくはなかったはずだ。
「我々には目的があった。ブラック様の素質を見ること、セイントの血を覚醒させることと保護すること。
それから……今は和解したが、ゼルスを、殺すこと。それを終えるまでは死ねんと、気力で耐えたようなものだ」
「リンを殺されたと思った、あの時。オイラは本気でラオエン様を殺そうとした。すまない」
「あの時は命のやり取りをしていた、何があっても仕方がない。私も、お前を殺すつもりで戦った」
「ありがたい話だ、魔族と戦うとはどういうことか、みんなに見せたかったからな。それに戦う相手を見て、加減してくれていただろう?」
「しかし」
手に力を籠めるダークネスを、制止した。
言いたいことはまだ山ほどあるのだろう、しかしこのままでは謝罪合戦になるのが目に見えている。
「あの時はお互いに為すべきことがあって対立した、今はもう垣根はなくなって、こうして杯を交わせる。それでいいんじゃないか?」
「……お前たちは、人が好すぎる」
「よく言われる」
「バーナー! 来てるんならイフリートなり送って教えてくれればいいじゃないか!」
荒い声音と共に部屋の中へ現れたブラックに、ダークネスはわずかに目を丸くして頭を下げた。バーナーはため息を漏らして立ち上がり、ムッと眉を寄せているブラックに近寄る。
そのまま手を上げると、頭部を押さえつけるよう力尽くで座らせた。
「人の部屋に入るときは、部屋の主人に許可を取るのが礼儀だ。いいな? お前は族長になるんだろうが、礼儀は正せ」
「ごめんなさい……」
なんとなく涙目で正座をしている次期族長に苦笑してしまい。
やはり、あの旅を支えていたのはバーナーなのだなと、微笑ましく見つめるのだった。