自分らしく
地上から再び神様の元に戻り、育った魂から神様の力を返して、あるべき場所へ帰っていくバーナー達を見送った。もちろんシャドウも、あるべき場所として神様の傍に残った。
その日からずっと、胸が痛むのだ。
神様の手伝いをしていても、地上を覗いてみても、何をしていてもギリギリと締め付けられている。
自分は使い魔であると同時に小人でもある。バーナーの炎で形成されているイフリートとは違い、食事も休息も必要だ。
それもきちんとわかっている。なのにだんだん食が細くなっていき、眠れる時間も短くなった。最近は特にひどくて、普段通りに飛ぶことすら難しかった。
「ごめんなさい、神様。肩を貸してもらってありがとうございます」
「かまいません。こちらも、手伝ってもらっています」
神様は魂の浄化を、シャドウは肩に座って洗浄と誘導を行っていた。失礼だとはわかっているけれど、時折食べ物を口に運んで無理矢理飲み下す。
少しでも魔力を回復させるために、食べられそうなタイミングで食べているのだ。
「シャドウ」
「はい、神様」
「……いえ、なんでもありません」
いま、明らかに何かを言おうとしたのに、それを飲み込んだ。内容を知りたくて癖で心眼を開こうとするけれど、神様には通用しないことを思い出して首を振る。
視線を戻せば、列から逸れていく魂がいた。元の場所に案内しようと前のめりになってバランスを崩す。
掴もうとした神様の髪の毛も、手をすり抜けていった。痛みを覚悟して目を閉じれば柔らかく受け止められ、見上げて眉をハの字に寄せる。
「ごめんなさい。いまのボクは、足手まといだ」
「……あまり、無理をしてはいけません。こちらはもう大丈夫です、休みなさい」
神様の両手の上で深くうつむき、小さく頷くと降ろしてもらった。地上に居た時はいつも飛んでいたため、歩くという行為にはまだ慣れ切らない。
それでも歩いていくシャドウを見送るようにして、神様はまつげを震わせて目を伏せた。
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これは、シャドウの日課だった。
美代は妖精族の中で、自分の立ち位置に迷っていた。そんな彼女をゼルスとヘーゼが支えようとしている。今はお互いに苦しいだろうけれど、彼女ならばきっと乗り越えられると、旅の最中を思い出して微笑んだ。
ブラックは何とかラオエンと和解して、ダークを頼りつつも彼を父として認められるよう進み始めたようだ。独り立ちしていくような感覚がくすぐったくて頬を掻き、泣いてばかりいた小さなころを思い出して肩を揺らす。
バーナーは、これまでとは違う道を歩むことを決心したらしい。彼の心の中にいつもあった王女様と共にありたいという我儘を、吐き出すことが出来たのだ。他者のためならば個を殺してきた彼の、その我儘が嬉しくて、視界が滲んだのを慌てて拭い取った。
なんと雷斗は、一人で魔族の領土に突撃していた。何事かと見つめていればダークネスに稽古を申し入れており、みんなから習った戦い方を自分なりに昇華させて彼に認めてもらおうとしたらしい。そして無事に成し遂げられたそれを見て、頬が緩んだ。
海中に居るブルーを見るためには心眼を使うしかなくて、そっと目を閉じた。ヘリュウはすでに地上に戻っており、ブルーは一人で、きちんと一族の人たちと交流を出来ているようだ。旅での出来事を思えば大きな成長だろう、嬉しさに小さく笑う。
スノーは黒疾と共に旅をして、一族を治めるとは何かを学び始めている。一番幼くて心眼を使えるのに、純粋なままでいられたスノー。母親と対面して意見をぶつけ合い、一族のために牙を剥こうとした彼を黒疾が止めてくれた。これからスノーは幼き族長となって、銀世界をより良くしていくのだろう。
ボンドッツとリンは国の再建に向けて動き出し、それでも国には戻らず、旅をして回ることにしたらしい。それは魔族のため、特異能力一族のため。彼らも人族と変わりはないのだと、受け入れていこうと訴えていくため。同じ人外である自分たちが旅をしていくのだと。
毎日地上を見て、大好きな彼らが進んで行く道を見守った。どうするのだろうと、大丈夫なのかとハラハラした時もあったけれど、彼らは自分の力で最良の道を選んで歩いている。
反対に、いまの自分はどうなのだろ。それぞれの道を歩き始めた彼らに、胸を張ってこの姿を見せられるのだろうか。
「……あ、れ」
シタシタと、手の甲に何かが落ちてきた。それは頬を伝ってきているようで、手を顔に当てる。
口の傍に流れるそれはしょっぱくて、喉が震えるのが分かった。聞こえた足跡に振り返れば、そこに立つ彼女がわずかに目を見開く。
自覚してはならない、自覚したくない。そう思っていたのに。
「シャドウ、泣いているのですか」
神様がそれを、あっけなく崩してしまった。
「なんでも、ないんです。みんなの成長が嬉しくて、それで」
「辛い思いを、させてしまいましたね」
零れる涙を止めようと、加減も考えないように目元を擦っていれば、柔らかく抱え上げられた。顔を上げれば目を伏せる神様がいて、漏れる嗚咽を抑え込もうと全身に力を籠める。
頭を撫でられてきつく目を閉じ、肩を大きく振るわせた。
「自分の思いを吐き出しなさい、私はそれを否定しません」
「かみさま」
「あなたが壊れてしまうより、生きてほしいと思っています」
体を支えてくれる掌に、力いっぱい抱き着いてしまった。ボロボロと大粒の涙が落ちていくのを止めることが出来ない。
「美代ちゃんが、地上に戻された時、彼女はそれをきちんと……受け入れられたのに! ボクも、しっかりしないといけない、のに……!」
「彼女とあなたは、違うものです」
「でも! ボクはあなたの使い魔なんだ!」
わかっていた。見ないふりをしてきただけだった。
寂しいのだ。育ててきたブラックやボンドッツ、リンと一緒に居られないのが。共に見守ってきたダークと引き離されていることが。
異物の自分たちを受け入れてくれて、一緒に困難を乗り越えて、たまには喧嘩もしたけれど笑いあった彼らと別れたことが悲しくて仕方がないのだ。
それもただの別れではない。次に彼らと会えるのは、彼らが死んで魂となり、ここに来た時。その時には口を利くことも出来ない、挙句の果てに特別な彼らから記憶を消さないといけない。
役目を忘れていたとはいえ、自分は神様の使い魔だ。イフリートの様に、主人に忠実であるべきなのだ。
それなのに自分の感情が邪魔をして、胸がいっぱいになって、何もかもがままならなくなっている。
そんなこと、とっくにわかっていたのに、気付かないふりを続けてきた結果がこれだ。
「こんなにも辛いだなんて思わなかった! みんなを見送った時、ちゃんとわかっていたつもりなのに。一緒に居られないことが、笑いあえないことがこんなにも苦しいだなんて。みんなには幸せに生きてほしいのに、死ななきゃ会えないなんて、思いたくないのに!」
背を向け続けた感情に向き合ってしまえば、歯止めは聞かなかった。小さい子供の様にわぁわぁと泣き叫び、宥めるように頭を撫でてくれる手を握りしめて顔を押し付ける。
「ごめんなさい、ごめんなさい神様。本当は気付いていたのに、ずっと蓋をして無視してて、体がちゃんと動かせなくなっちゃって。それでもずっと、気付かないふりをしてて。だけどもう、限界なんです。
ボクは、みんなと一緒に生きて、死にたい……!」
「……あなたの願いは、わかりました」
暖かい言葉に、歪んだ視界で神様を見上げた。悲し気に揺れる瞳に息を詰まらせて、眉を寄せる。
「あなたの魔力を、返してもらいます」
「え……」
「あなたが人と同じ時間を生きられるように、魔力の量を減らします。もちろんその小さいからですから、常時宙に浮ける程度は残しましょう。
地上にお帰りなさい、あなたはもう、私の使い魔ではありません。我が子たち同様、自由に生きる権利があります」
瞬きすら忘れて、神様を凝視した。見放されたのかと心臓が跳ねたけれど、湛える笑みは暖かい。
「セイントの様に、どうにもならないこともあります。ですが、どうにかなる時にはしてあげたいという、私の願いです。彼らと共に生きなさい、シャドウ」
「……いいの? 本当に、みんなと一緒に居てもいいの?」
「えぇ、私はここから見守りましょう」
――空っぽになりつつあった魔力を何とか回復させ、神様に返した。地上を眺めて誰と合流するかを決めて、口元を隠すようクスクスと笑う。
一度だけ、瞬間移動術を使えるだけの魔力は残してもらった。あとは扉を通るだけだ。
「準備は出来ましたか」
「ありがとうございます、神様。……ボクは、本当に地上に降りて、いいんでしょうか」
「はい。急いで戻ってこないで、ゆっくり楽しむのですよ」
「はい!」
ようやく、心臓の痛みがなくなった。大きく頷けば小さく笑われて、扉を開いてくれる。
一度振り返って、頭を下げた。飛び出して出てきた場所は、風の一族の聖地、なんにもない場所。
「瞬間移動術!」
高らかに唱えれば、彼らの目の前に出た。突然のことに驚いたのだろう声もなく目を見開くが、すぐに満面の笑みを浮かべてくれる。
「シャドウ様!」
「シャドウ様、どうしたの!」
抱き締めてくれる二人の腕が暖かくて、じわりと滲んだ視界に慌てて目を擦り。
シャドウは、ボンドッツとリンにきつく抱き着いた。