治める者
地上に降ろされて、行く当てがない自分は兄と慕う盗賊の元へと向かった。彼は大層驚いていたけれど、何も聞かずに迎え入れてくれて、昔と変わらない彼に心が温まるのが分かった。
彼の仲間たちも、事情は聞かないままに受け入れてくれた。そのままここで生きていくのもいいかと、思っていたけれど。
それに関しては、取り付く島もないほどに拒絶されてしまった。
「お前がそのつもりでここに居るんなら、追い出すぞ」
「でもボクは、帰る場所がないんだよ?」
「あぁ? 帰れる場所はあるだろ」
「銀世界には戻れないの、お兄ちゃんも知ってるでしょう? お母さんから……族長から、追放されたのに」
きっかけは、なんだっただろうか。
雪山に迷い込んできた人族を助けた時に、なぜ触れたのかと言及された。その時は同行していた同族が、中には人肌で火傷しない者もいるからと、意味も分かっていない自分を庇ってくれた。
心の声が聞こえるのが日常だった。だから、誰かが何かを求めた時、すぐにそれを渡すことが出来た。これも察しがいい気が利いた子だと解釈されて、首を傾げた。
それから。
神託を受け、心眼能力を気付かれて、自分が他者とは違うのだとはっきり判った時。母は容赦なく追放という処分を下し、見も知らない場所に捨てた。
「盗賊としてがダメなら、ただの身内でもいい。ボクをここに置いて、お兄ちゃん」
「……スノー。お前にとっては酷なことを言うが、オレの元には置いておけない」
「お兄ちゃんが、最後の人だから?」
「お前にはやるべきことがあるからさ」
やるべきこととはなんだろう。
心眼はコントロールできるようになった。氷も、未熟ながらに扱えるようになってきて、魔力の練り方も魔術の練習もしている。
他に、自分がやるべきこととはなんなのか、わからなかった。
「随分悩むな、わからねぇの?」
「……うん」
「お前のかーちゃんを、長の座から引き摺り下ろせ」
思っても見ない内容に、思わず目を剥いてしまった。
「な、なんで?」
「理由が分かるまで、放浪して回ればいい。お前が目指したいと思う人間に会って観察すれば、自ずとわかるさ」
胸がドクドクと鳴っているのが聞こえてきて、思わず俯いてしまった。恐る恐る黒疾を見上げれば、彼は仏頂面で腕を組んでいる。
「ボク、一人で行くの?」
「そこまでは言わねぇよ。お前が行きたい場所に、オレも着いていってやる」
腕を伸ばされて、思わず抱き着いてしまった。ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれる手が嬉しくて、キュゥっと目を閉じる。
「ボクが一番目指したいと思ってるのはお兄ちゃんだから、その次に目指したいと思う人たちを訪ねて行くね!」
「嬉しいことを言いやがる。オレの方はいつでもいいから、出発はお前が決めろよ」
「じゃあ、明日準備をして、明後日出る!」
黒疾がどうして、母を引き摺り下ろせと言うのかは、まだわからない。
今はただ、また一緒に旅ができるのが嬉しかった。
盗賊たちに見送られ、出発したスノーは黒疾と手を繋ぎ、迷いなく歩き出していた。機嫌がいい様子に、言い過ぎたかと思っていた黒疾は口角を緩める。
「どこを目指すんだ?」
「ひみつ!」
教えてはくれないけれど、場所は決めているらしい。心眼をコントロール出来ている彼だ、道も問題ないのだろう。
そう思い、野営を繰り返して歩き続けた先が。
「ちっ……血吸いが来やがったぞおおおおお!」
「何しに来やがった! 頭もいねぇときに!」
盗賊団で構成された町だなんて、思いもしなかった。
「スノー、こういうことは先に伝えておこう? な?」
「あの! 以前お世話になりました、スノーと言います! バンダナのお兄ちゃんの友達です!」
呆れて白い目をする黒疾をものともせず、小さな体で声を精一杯に張り上げた。
バンダナ、という単語に敏感に反応する彼らを見て、誰の拠点なのかを嫌でも理解してしまう。
「バンダナの? 頭の愛し子の?」
「もしかして坊主、死神一行にいたあのチビ?」
「そうです! おひさしぶりです!」
ワッと、男たちが囲うように近付いてきた。歓迎を受けているスノーに、保護者代理としては頭を抱えながらも微笑んでしまう。
しかしふと、ある言葉が気になって一人の男に声をかけた。
「ここは、藍のが治める町、なのか? 藍のはいねぇの?」
「なんでぇ血吸いの、何にも知らねぇで来たのか」
「こいつが教えてくれなかったんだよ。あいつ、まだふらふらしてんの?」
「バンダナの子の元にいるんだ。町長代理も今は宝石どものところに行ってる、何の用で来たんだこんなところに?」
「ボク達は、ボクが目標にしたい人たちを訪ねて旅をしているんです」
ふふん、と胸を張りながら言うスノーに、黒疾は再度頭を抱えた。まさか最初に来るところが、冷徹人間が治める地だなんて、自分が知らない旅の中で何があったのだと心中嘆いてしまう。
「おうおう、嬉しいこと言うじゃねぇか坊主。だがなぁ、町長はいつ戻るかわからねぇぞ」
「はい! やっぱりヘリュウさんは、優しい人です!」
ニコニコと笑うスノーは、ヘリュウがいない理由をすでに分かっているのだろう。片眉を上げる黒疾に催促して肩に座らせてもらい、こそこそと耳打ちする。
「……ブルーに、そんな事情が」
「ボクは、大切な人のために自分の苦労もへっちゃらなヘリュウさんをすごいと思うの」
口元を隠すようにして笑う幼子に、黒疾は目を和らげた。それからヘリュウの手下たちに視線を向けて頬を掻く。
「急に邪魔して悪かったな、オレ達はもう出るぜ」
「バカ言いやがれ、そんな小さい子を連れて野営してんだろ盗賊団のお頭さんよ? ここでくらい屋根の下で休んでいったらどうだ」
そんな提案をされるなんて欠片も思っていなかった。目を瞬かせれば、スノーがニコニコと笑う。
「ヘリュウもいねぇ、代理もいねぇんだろ。オレとタイマン張れる奴がいねぇのに泊めるの?」
「てめぇだけなら追い出してるわ。そっちの坊主のために、言ってやってんだ」
眉間いっぱいにシワを寄せ、腕を組みながら吐き捨てる男性を凝視し、スノーと顔を見合わせて。
黒疾は小さく笑うのだった。
サピロスに、アダマースに、レフォードに、スラマグドス、パクスにレイリア。
王都まではついてこられないので黒疾は外で待ち、スノーが一人で中に入って国王や女王への謁見を依頼した。
彼らの側近はみんな、知っている。誰もが快く受け入れてくれた。
あの時の小さな子供が! と昔の話に会話が弾み、あの頃は理解しきれていなかった彼らの心の中に、もう一度触れることが出来て。
レイリアから戻ってきたスノーの表情に、黒疾は口の端を緩く持ち上げた。
「おかえり、スノー」
「……お兄ちゃん。ボクは、お母さんを許せなくなったよ」
「おう。なんでまた?」
「お母さんは族長なのに、シャダッドの人たちから、一族の人たちを守らなかった。守ってくれていたのはお兄ちゃんなのに、それを完全に無視していたんだね」
暗い目をして呟くスノーに、黒疾はゆっくりと頷いた。今でも充分に幼いけれど、昔は解らなかったことが解るようになって。
母親がどれほど勝手なことをしていたのか、理解してしまったのだ。
「ボクが会った人たちはみんな、国の人たちのことを考えてた。大切な誰かのことを考えて、行動してた。……ボクが目標にしたいと思った人たちと、お母さんは全然違った」
「それが解ったお前なら、銀世界をより良く出来るはずだ。簡単じゃないだろうが、一族のことをより考えて治められるはずだ。そうだろう?」
ニヤニヤと口先で笑う黒疾に、強く頷いた。まだ十にもならない自分だけど、心眼能力のおかげで色々とは考えられる。見た目よりもずっと、大人である自信はある。
「お兄ちゃん。一緒に来てくれる? ボク一人では力が足りない」
「そこまで考えられるようになったか。死神も呼ぶか?」
「ううん。優火お兄ちゃんはいま、忙しそうだから」
両手で口を隠し、クスクスと笑うスノーに黒疾は肩を揺らした。
バーナーがいなくても、黒疾がいれば負ける気がしない。話し合いの間に、万が一にでも邪魔をしてくる人がいるならば、その人を遠ざけてくれればそれでいいのだ。
「ボクは、大切な人のために苦労をいとわない人になりたい。一族のことを考えて、守れるような人になりたい。……だから、自分の苦労を嫌って家に閉じこもる母を、長の座から追い出す」
真正面から黒疾を見つめて宣言すれば、胸元に軽い拳を受けた。ちゃんとわかる。彼なりの激励だ。
「そんじゃあ、行くか?」
「うん」
スノーの返事は、力強いものだった。
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今ならブルーの気持ちがよくわかる。追い出された場所に戻ってくるというのは存外緊張するもので、何を怖がっているんだろう? と不思議に思っていた当時の自分に小言を言いたい気分だ。
それでも自分は、こうして母の前に立っている。
「追放した異物が、どうしてここにいる?」
「久しぶりなのに、とんだ挨拶ですね」
「あぁ、歳に似つかわない言葉遣い。相変わらず気持ちが悪い」
氷で出来た立派なイスに深く腰掛けている母は、目を細くすると言い捨てた。残念ながらその程度で動揺するような心臓は持ち合わせていない、心眼を通してそれ以上の人の闇を見てきている。
「なんとでも。……ボクはあなたを族長から降ろすために、戻ってきました」
「なに?」
眉が吊り上がり、氷の椅子のひじ掛けを砕かんばかりに握りしめた。その怒気に一瞬、気圧されそうになったけれど、深呼吸をして顔を上げる。
追放された自分が戻って来たのに、一族の人はみな、自分のことをここまで通してくれた。黒疾も一緒に着いて来ているのに、母の傍には誰もいない。
それがまるで答えのようで、スノーは目尻を下げてしまった。
「聞きます。シャダッドが、人族の国が一族の人を攫って行ったとき、お母さんは何をしていたの」
「人族に攫われるようなものなどいらん。我らは特異能力一族、なぜ人族に劣ろう?」
「いらない? 一族の人をいらないだって! あなたは族長として、それでいいと思っているの!」
予想以上の言葉に拳を握りしめ、足を踏み出すようにして詰め寄った。それでも母は面倒くさそうに顔を歪めて黒疾を一瞥する。
「余所者を招き入れるような小僧に、言われる筋合いはないのう?」
「彼はあなたが何もしない間、一族の人を守ってくれた。感謝こそしても、文句を言う相手じゃない!」
「余所者に変わりはないだろう、本当に忌々しい」
「あなたにはそれしかないの! 他人を受け入れようという思いがない、自分が気に入らない人は排除する! このままじゃ、銀世界は終わる!」
「黙れ!」
母のこの感じが、誰かに似ていると記憶を探り、体から力が抜けていくのを感じた。崩れ落ちないようどうにか膝を緊張させて、どうしようもないのかと下唇を噛む。
彼女の心の中は、ボンドッツとリンの国で見た、セデールの国王に似ていた。リンもシャドウも、あの時何も教えてくれなかったけれど知っている。
あの国王の結末を、自分はリンの心を通して覗いている。
「選んで、お母さん。自分で座を降りるか、降ろされるか。……ボクは一族を平気で斬り捨てるあなたを、長とは認めない。ボクはボクが思う、いい一族を作っていく。
みんなの意思は、追放されたボクをここまで通してくれたことでわかってくれるよね」
「十にも満たないお前に、何が出来る? どうせ、氷もまだ碌に扱えんのだろ」
「うん。あなたほどは上手く、使えない。でもね、ボクが異質だってことを忘れないで」
他一族どころか、火炎族にさえ触れられるこの体。
苦手ではあるけれど、魔術を使えないわけではないのだ。
「火 球」
スノーが唱えて出てきたのは、指先程度の小さな火の玉だった。それでも母は血の気をなくし、震えている。
「もう一度聞く。お母さんの改心は期待してない、だから長の座を降りるか降ろされるか、それだけ選んで」
「生意気な小僧が……! 慈悲など与えずに、殺しておけばよかった!」
ギュッと目を閉じ、術を母に向けようとした瞬間。
蛙が潰れたような声が聞こえ、息を飲んで顔を上げた。まだ自分の手には、火球がある。
母が喉元を抑えて椅子から転げ落ち、床をのたうち回っているのが見えた。何が起きたのかと背後にいる黒疾を振り返れば、意味深な顔で笑われる。
「倒れたそいつを、どうするんだ?」
「……そこまで、考えてなかった」
「じゃあとりあえず、オレに預けろよ。その火を消せ」
自分が出した術なのに、掌は軽い火傷を負っていた。自覚しないうちに呼吸も荒くなっていたようで、術を消すと大きく息を吐き出す。
床に転がって動かない母を見て、体が冷えていくのを感じた。よく見てみればわずかに背中は上下しているので生きてはいるらしい、緩々と首を振り黒疾を見る。
「風を使うっていうのは、空気を使うってことだ。なら体の周りで空気の流れを止めてやれば、そのうちに酸素が足りなくなる」
「……お兄ちゃん」
「スノーはよくやった。幼いお前が自分の母親に反抗して、一族のために奮い立った。……銀世界のやつらもちゃんと、お前の勇気を聞いてくれているぞ」
どういうことかと首を傾げ、黒疾の一族を思い起こし、顔を赤くした。スノーが理解したのを感じたのだろうニヤニヤと笑っている。
「まさか、お兄ちゃん、風で会話を……!」
「おう。銀世界中に運んでやったぜ」
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
啖呵を切ったのを、一族のみんなに聞かれたということだ。
あまりの恥ずかしさに蹲り、顔を隠してしまった。ゲラゲラと声を上げて笑う黒疾に背を叩かれて咳き込み、真っ赤な顔で顔をしわくちゃにする。
母が族長の座を降りるということ、幼い自分が族長に就いて、新しい銀世界を作っていくということ。
言い切ってしまったのだ。あとはそれを実行していくしかない。
スノーは自身の頬を両手で挟むように叩き、説明の手間を省いてくれた黒疾に向けて、照れくさそうに笑った。