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再生記  作者: 夢野 幸
それぞれの道編
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愛をこめて

 一族に戻ったブルーには、大きな壁が立ちはだかっていた。


 以前、美代たちと旅をしている時に、自身が一族のみんなの言葉を正確に聞けていないことが発覚した。見も知らぬ他人どころか、身内である祖父の言葉も歪んで聞こえているらしい。

 まずはそれを正したい。しかし自分一人では正せない。

 悩んだ末に助けを求めたのは、初めて地上に出た時に助けてくれた人だった。


「ヘリュウ殿。こちらの生活には慣れましたか」

「そうやねぇ、二年も居れば流石に慣れるわぁ。たまに地上に戻ったりしよるしな」

「我が孫のために、ありがとうございます。何とお礼をすればよいものか」

「もー、この会話何回目やじいちゃん。貴重な体験、させてもろうとるからえぇって」


 夜も遅く、海面からわずかに差し込む光を眺めていると声を掛けられ、ヘリュウは笑った。




 二年前。神の元に上がったはずのブルーが、困り切って弱り果てた表情で現れた時。原因ところし合いをしてやろうと事情を聴いて、自身も困ってしまったのをよく覚えている。

 旅を終え、地上に戻ってこられたのは僥倖だ。しかし海中族である彼はやはり、地上で生き続けるには体に負担がかかる。海中に戻ろうにも、一族の人たちの言葉が歪んで聞こえてしまい、まともな生活が送れないなんて誰が想像したものか。


 そうしてブルーに頼み込まれ、驚きと戸惑い、興味と好奇心を秤にかけ。

 手下たちの後押しと、ルフトの実を食べた彼の祖父から依頼されて。

 さらに決め手として、たまたま見つけた自身と相性がいい分身・・が出来たことで、ヘリュウは海に潜ることを決めたのだ。




「しかしアクアはんよ、最初のころに比べたらマシにはなってきたけど、ブルーのアレは随分ひどいんやねぇ?」

「……あの子の母親が。私の娘が、悪いのです」

「他人に興味がなかったワイでもわかったもんなぁ、あん子が親に愛されてへんかったの」


 海に入ったばかりの頃は本当にひどいものだった。片時もヘリュウの傍を離れずに、一族の人に声を掛けられれば顔を伺うようにして見上げ、言葉を伝えてやると初めて返事が出来る。

 幸いなのは、海中族の人々がブルーの状態を把握してくれていることか。返事が遅れても、怯えても、なんてことないように接してくれている。

 目を細めて口元で笑えば、ブルーの祖父は、アクアは顔を伏せてしまった。


「でもまぁ、そのお陰でワイはあん子に会えたんよなぁ」

「ヘリュウ殿?」

「人の心を持たん、血も涙もない冷酷人間。そんな風に言われてきたワイが、変わったと言われるようになったのはブルーのおかげや」

「地上を離れ、二年も共に暮らしているあなたが、人の心を持たないだなんて!」

「せやからブルーのお陰やて。これもあの子から頼まれたから聞いてんねん、他のやつに言われても知ったこっちゃないわ」


 頭を掻くと、紺色の髪が水中に揺れ、広がらないように手で抑えた。申し訳なさそうに体を小さくしているアクアに苦笑してその体を押す。


「ほらもう、ご老体に夜更かしはよくないで? さっさと休みぃ」

「お気遣いありがとうございます。おやすみなさい、ヘリュウ殿」


 頭を下げたアクアにもう一度頭を掻き、ため息を漏らした。ぷくぷくと口元から上がっていく気泡が頬を撫で、くすぐったい。


「盗賊相手にペコペコしおってからに……。ここのやつら、人懐っこいしお人好しやし」


 しかし今回ばかりは、自覚しよう。


 ブルーに頼まれたからといって約二年、陸と海中とを往復している自分も、昔に比べたら相当に甘くなっている。

 喉の奥で笑えば再び気泡が零れていった。それが見えなくなるまで眺めているとあくびが漏れ、自分が借りている部屋へと向かうのだった。




 海中に来た頃と比べれば、ブルーの成長は見違えるほどだった。無理をしているのではないかと、アクアと二人で彼の一日を盗み見してしまうほどである。


 ヘリュウと片時も離れなかったのが一年ほど。それから半年をかけて少しずつ距離を取り、陸と海中を往復すること半年。

 ブルーは一人で行動し、一族の人々と普通に会話ができるようになっていた。


「子供の成長は早いもんやなぁ」

「美代さん達にも、あなたにも、どれほど助けられているか……。いったい何をもってお礼とすればいいのか、私にはわかりません」

「じいちゃん、泣くなやー。礼はいらんて、あん子の笑顔が見られればそれでええわ」


 ただでもしわだらけの顔をさらにしわくちゃにし、声を抑えるよう全身に力を入れて涙を流すアクアにヘリュウは苦笑した。言葉の通りご老体、下手をすれば心臓を止めてしまいそうな泣き方で、見ている方が心配になってくる。


「そろそろワイも、お役御免か」

「まさか、あの子が笑う姿を、見られるようになるだなんて。あの子を地上に逃がしてから、考えもしませんでした」

「ワイも、来たばっかりの頃は無理やと思うてたわ」

「兄ちゃん、じいちゃん、なにしてるん?」


 今日も盗み見をしていたのだが、途中から普通に会話をしてしまった。さすがに気付くのだろうブルーが近付いて来て、ヘリュウがアクアをそっと背中に隠してやる。


「ちょっとお話ししてただけやで。ブルーが成長したなぁって」

「うん! 一人で、出かけられるようになったよ!」


 褒めて! と言わんばかりに頭を突き出され、満面の笑みで撫でまわした。嬉しそうな笑い声に破顔しかけ、なんとか表情筋を引き締める。


「せやからな、ワイもそろそろ、地上に戻ろうかと思う」

「あ……」

「そんな顔せぇんでも、会おうと思えばいつでも会えるやん。な?」


 途端に寂しそうに眉を寄せたブルーに、戻ろうとした心が傾きかけた。引き寄せて抱き上げれば、昔とは違って恥ずかしそうに身をよじり、顔を隠してしまう。

 幼かった愛し子は、もう間もなく自分の手を離れていくのだろう。


「でもなぁブルー、まだやってないことあんねん」

「なに?」

「お前の両親に、挨拶してへん」


 見る間に表情を曇らせていく。それでもヘリュウは、止めるつもりはない。

 これを終えなければ、自分は地上に帰れないのだ。


「アクアはん、海中族は死んだらどうするん」

「一応、地上で言うところの墓地にあたるものがあります。流されないよう少しだけ土に埋めて、あとは自然の中に返るのです」

「そか。あんたの娘さんも旦那さんも、そこにおるんやね? 案内してや」

「に、兄ちゃん」


 どんなものかあまり想像はついていない、それでも彼の両親はそこにいるらしい。

 震えるブルーの手をきつく握り返してやり、崩れてしまったバンダナを直した。


「お前も来るんやで。大丈夫やんな?」

「……う、ん」


 不安そうに瞳を揺らすブルーを見て、ひどく動揺しているアクアの背を押すように進みだし。

 ヘリュウは口元に、いつもと同じ薄い笑みを浮かべていた。

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


 集落の外れに、巨大な岩に囲まれた人工的に作られている広場があった。入り口らしきものはないけれど、そこは海中族らしいと言えばいいのか上から入れるらしい。

 アクアには外で待っていてもらい、二人だけで入った。両親の遺体の位置は大体聞いている、亡くなってすでに十数年、骨だけになっていれば海流に乗って動いてしまうだろう。だから大体の場所でいいのだ。


「どうしたん、ブルー」

「か、海中族のお墓って、こうなってるんやね。入るの初めてやから、その」

「骸骨がたくさんやんなぁ。怖くないで、ほら、あの辺ちゃう?」


 最近亡くなった人はいないと聞いたが、小魚が骨を突いて遊んでいるのが見える。どうにかすれば啄んでいるようにも見えて、自然に返るとは食物連鎖に加わる事かと納得する。

 ゴロゴロと転がる骨に怯えるブルーを宥めるよう背を擦り、降り立った。恐らくこれだろうという頭蓋骨に向かって腰を落とし、口角を吊り上げる。


「あんたがブルーの母ちゃんか、ようわからんけど。ありがとなぁ」

「兄ちゃん?」

「おどれが我が子を愛さんかったおかげで、ワイがこの子に会えたんや。死に際にかけた呪いで、この子が長く苦しめられたんはこの際、水に流したる。

 こんなにいい子を手放してくれて、ほんまにありがとう」


 感謝の意が欠片も込められていないのは、声調と表情で明らかだった。思っていたのと違う墓参りに、思わず固まってしまう。

 これまであまり意識はしていなかったけれど、ヘリュウはやはり盗賊で、頭なのだ。


「ほれ、ブルーもなんか言うたり」

「え、あ、えっと」


 ニヤニヤと笑うヘリュウに背を押され、目を瞬かせた。恐る恐る座って頭蓋骨と向かい合う。

 記憶の片隅に出てきたのは、おぞましいものを見るような冷たい目。ふるりと体を震わせて瞼を閉じた。


「怖がらんでええよ、ただの骨やん。独り言と思うて好き放題言い」

「……かか様」


 何とか声を出してみれば、意外と平気だった。大きく息を吸って目を開き、今度はしっかり見つめる。


「かか様。神様に力を返しても地上で息が出来るワイは、かか様が言った通り海中族の中では化け物かもしれんよ」

「ブルー」

「でもワイね、それでよかったと思ってるんよ」


 自嘲的なことを言い出したので止めようとしたが、続いた言葉に息を飲みこんだ。目を伏せ、膝を抱えて座るブルーは、まるで頭蓋骨と視線を合わせているようだ。


「地上でね、たくさん友達ができたんよ。とと様みたいな人もかか様みたいな人もいて、ワイのために海の中に着いて来てくれる優しい兄ちゃんもおって、大家族みたいになって。……海中族の中におったらできへんこと、たくさんできたよ」


 独り言と思えば、言葉は自然に出てきた。自分を愛してくれなかった母親相手だと恐ろしかったけれど、対面しているのは物言わぬ骸。なんでも言える気がする。


「せやから、美代はんのマネじゃないけど、ありがとう」

「……?」

「本当のかか様に愛してほしかったけど、愛してくれんかったから、ワイはこんな形でみんなに会えたんやと思う。この経験は何物にも代えがたい大切なものよ。……だから、ありがとう。でもね、一つだけお願いを聞いてほしい」


 力のない笑みを浮かべたブルーは、泣いていた。目元を擦っても出てくる涙をごまかすよう、抱きかかえてみる膝に顔を埋めて肩を震わせる。


「ワイが、かか様を好きでいるのは許して」


 恨み言の一つや二つ、あっても可笑しくはないほどの苦労はしてきているだろうに。

 彼が亡き母に願ったのは、見返りのない愛を与えることだった。


「産んでくれてありがとう、地上に出てしまって、そのせいでとと様が死んでしまって。かか様もとと様を追いかけて逝って。ワイのせいでごめんなさい」

「今更返せ言われても返さんからな。これはもうワイの子や」


 泣くブルーを抱き寄せて吐き捨て、そのまま泳ぎ始めた。慌ててヘリュウを見てみれば不貞腐れているようだ。


「兄ちゃん?」

「なんやねんもー、ほんとお前らのお人好しさには呆れるわ!」

「ふふ、兄ちゃんもありがとう! やっと、かか様に会えた」

「これでもう大丈夫やな。ワイは明日、地上に帰るで。……辛いことあったら、いつでも来いよ」

「うん。兄ちゃん、大好き!」


 クスクスと笑いながらも抱き締めれば、眉をきつく寄せて唇を歪め。

 それでも、目元は嬉しそうに柔らかいまま、ブルーの頭を力いっぱい撫でまわした。

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