乗り越えるため
いったい何がどうしてこんなことになっているのか、呼ばれてきたばかりのブラックには解らなかった。隣にいる、着いて来てくれたダークを見てみるけれど、彼も頭を抱えて見ている。
朝早くに騒ぎが起きていたのは知っていた。詳しくは聞いていないが、どうにも領地の外れにある、エメラルドの魔方陣を通じて何者かが侵入してきたらしい。
別に嫌な気配ではなかったため聞き流していたものの、長としての心得を教えてくれていたラオエンが呼び出されてしまえば、やる事がなくなる。
暇になったとダークを誘い、修練場の一角で遊んでいればラオエンの配下の一人から呼ばれた。面倒だと思いつつも着いていけば、縛られて武器を突き付けられている雷斗がいたのだ。
「む、ブラックにダーク、久しいな!」
「いやいや、流石のオレでもわかる。いま、そんな空気じゃない」
「何ヲシテイルノダ、雷斗……」
こちらを確認するなり気さくな挨拶をしてくる彼に、二人そろって呆れてしまった。とりあえず武器を突き付けている同胞に退室するよう伝えれば、火花が散るような音がする。
振り返ると、雷斗が縄を焼き切り、ひらひらと手を振っていた。
「なんでまた、こんなことに」
「理由を言えば呆れられてしまうからなぁ」
「スデニ呆レテオル。言ウテミヨ」
「用があってここに来たかったのだが、どうにも場所が分からなくてな。侵入して捕まってしまえば連れてきてもらえるだろうと思った次第だ」
ブラックに加え、玉座のラオエンも呆れていた。カラカラと楽し気に笑う雷斗に、ダークは大きなため息とともに両手で顔を覆ってしまう。
「オ前ハ、コンナ事ヲスルヨウナ子デハ、ナカッタダロウ……!」
「悲しまないでくれ、母上」
「産ンダ覚エハナイワ。エェイ、ワシヲ、カラカッテイル場合カ!」
腹を抱えて笑った雷斗に、ダークが脱力した。やり取りを見ているとラオエンから手招きされ、近寄っていく。
「ブラック。雷斗と言えば、お前の仲間の一人だったな?」
「妖精族と友好結んだあと、オレ達も一族回りしたじゃん」
「あの時私は、ほとんど炸雷殿としか話しておらん。あの小僧はその、こんなではなかったか?」
こそこそと耳打ちながら手で示した高さは確かに、ラオエンが初めて雷斗に会った時の身長だった。今の雷斗の背丈はラオエンより少し低い程度、昔のバーナーよりも高いかもしれない。
地上に降りてきているからだろう、服も雷雲族のものではなかった。パッと見た限りは別人か。
「大きくなっただけだろ」
「……人間の成長とは恐ろしいものだな」
口角を引き攣らせるラオエンに苦笑して雷斗を見れば、ダークから押さえつけられてつむじの辺りを拳で撫でられていた。少々からかいすぎたらしい、涙目になっている。
「ところで雷斗、用って?」
「あぁ、ダークネスに会いたいのだ」
助け船ではないけれど、話しかけてみればダークの腕から抜け出してラオエンを見上げた。ギラギラと輝く黄緑色の瞳は戦意に溢れており、なんとなく納得する。
「ダークネスならば修練場にいるだろう。……そんなに闘気を顕わにして、我が右腕に何用か?」
「なに、簡単なこと。改めて我が力を見てもらいたい、そして、認められたい。それだけだ」
ダークが雷斗を手招きし、ブラックも後ろから着いていった。勝手に案内を始めた二人にラオエンは一人慌て、遅れて立ち上がる。
「お、おい! 待て!」
「雷斗、オレとダークで修練場に壁を作ってやるから全力でやっていいよ」
「感謝する。なに、魔族の長よ! 私のような弱小者では、あなたの右腕を傷付けるようなことは出来ん! 自己承認欲を満たさせてもらうだけだ!」
「それは何の説明にもなっておらんぞ!」
修練場に向かう三人を追いかけるが、止まる気は更々ないようだ。歩きながら掌で自身の剣を遊ばせている雷斗は、楽しそうである。
「親父! 客人ダ!」
「私に? ……は」
兵の訓練中に突如声を掛けられ、ダークネスは不機嫌そうに振り返った。それもわずかな時間で、ダークの隣にいる人物に一つしかない目を点にする。
雷雲族の衣装に着替えた雷斗が、目をギラつかせながら立っていた。
「小僧……」
「忙しいところすまない、ダークネス。私に稽古をつけてくれないか」
「……よかろう。全員、休憩に入れ。見学をしたいならばブラック様か我が愚息の傍にいるように」
何の説明もないのに要求を飲んだダークネスに、ラオエンはため息を漏らして観戦席に腰を落ち着けた。何が起きるのかと同族の兵たちも騒いでおり、ダークとブラックだけが涼しい顔で壁を作る。
雷斗が修練場に降りたと同時、ダークネスが詠唱した。
「お前が戦いたいのは、こちらの私だろう」
変 幻 偽 視を唱え、人の姿になったダークネスに、雷斗は目礼した。
「重ねて、感謝する。あなたが刻んでくれたこの刺青に恥じないよう、鍛錬を重ねてきたつもりだ。もう一度だけ、見てもらいたい」
「殺す気で来るがいい。施設の事ならば心配いらん」
「承知している」
ダークネスは素手のまま、静かに身構えた。ならば合わせようと剣を仕舞いかけ、止められる。
「言っただろう、殺す気で来いと。……魔族を相手に加減するつもりか、小童が」
「すまない。では、参る!」
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
「お前たちだけで楽しまず、説明をしてくれないか?」
ラオエンから白い目で見られ、雷斗が走らせる雷を魔力の壁で受け止めながらも口の端を緩めた。ダークネスはほとんど無音で高速移動している雷斗を的確にとらえ、魔力を纏わせた腕で剣を防いでいる。
「雷斗が言わないのには、詳しいことは言えないけど。昔、ダークネスから助けてもらったんだって」
「ダークネスが? 小僧を?」
「そう。それで約束したって。強くなれって、強くなるって」
振り下ろした剣を受け止められると、即座に柄を分離させて刃を生み出した。横薙ぎに払うと背を反らせるように避けたダークネスの体勢が崩れ、今が好機と言わんばかりに追撃の姿勢を見せる。
何かを感じたのだろう、目尻を痙攣させた雷斗が雷に乗って距離を取った。その後を地 雷 撃が追いかけ、ダークネスが薄く笑う。
雷斗の首筋に、一筋の汗が流れた。
周囲で蠢く大地の動きを瞬きもしないように睨み、足元の突き上がってきたそれを踏み台にして高く飛んだ。雷を走らせてダークネスの目前に飛び、躊躇いもなく十字に剣を突き出す。
鈍い手応えと同時、地面にごとりと腕が落ち、雷斗は息を止めた。
「忘れたか。私の触手は全部で十二本ある」
腹部を蹴り飛ばされ、修練場の壁に叩きつけられた。咳き込みながらも立ち上がると、再び二本の腕が付いているダークネスに息を漏らす。
「しかし、魔力で覆うのが間に合わなかった。まさか落とされるとは思いもしなかったぞ……速度を上げたな」
「これでもまだ、バーナーには追われてしまう」
「魔族の私が追えなかったのに? 嘘だろう?」
信じていない物言いに、小さく吹き出してしまった。肩を震わせながらも剣を握る手に力を入れ直し、呼吸を整える。
「そろそろ、反撃をしてもらえないだろうか」
「言うではないか」
ダークネスが口の端を上げ、わずかに動かした。
剣を一つに戻して自身の左側を守るよう動いたのは、無意識だった。気付けば再び壁に衝突しており、冷たく笑うダークネスへと目を向ける。
一瞬見えたのは、炎の鞭のようだった。
「お前が言ったのだぞ、反撃せよと?」
「……どこまでできるか。自身のすべてを、見せるだけさ」
ブラックは修練場に壁を張りながら、ダークを見た。彼は観客席の方に壁を張っており、座って頬杖をついている。
「ダークネス、楽しそう?」
「マァ、気持チハ解ル」
「そうなの?」
「ボンドッツヤリンニ魔術ヲ教エテイル時ニナ。我等カラシテミレバ弱者デアル人間ガ、魔族ノ教エヲ受ケテ強クナル。マァ、楽シカッタナァ」
自分にはよくわからないが、そんなものらしい。修練場に視線を戻してみれば、大地が蠢いて雷が轟き、風の刃や炎に晒されて雷斗に傷が増えていく。
反撃を始めてから、ダークネスはその場を動いていないようだ。
「雷斗、大丈夫かなぁ」
「心配アルマイ。親父モ、気分ガ高揚シテイテモ、加減ハデキル」
「そうだけどさぁ」
「あいつ!」
「汚い真似しやがって!」
唐突に周囲の空気が沸騰し、ブラックは慌てて目を凝らした。ダークネスが片手で腹部を抑え、反対の腕は目元を覆っている。
何が起きたのかと目を閉じて心眼を開けば、なんとかダークネスに接近できた雷斗が砂を投げつけて目潰しをし、雷の球をぶつけたらしい。観戦席に罵倒の声が広がっていき、髪がざわつく。
雷斗を守ろうと魔力を揺らめかせたのを止めたのは、修練場から低い笑い声が聞こえてきたからだ。
「あぁ、あぁ。これでこそ戦いだ、綺麗な戦闘なんて訓練だけで充分だよ。強くなった、本当の意味で戦えるようになったのだな、小僧!」
「観客が言う通り、汚い真似をしたと思っている。だが私の力では、こうでもしないと魔術を止められなかった」
「それでいい。
見ておけ貴様ら! 使えるものは全て使え、狡い? 汚い? 命のやり取りに綺麗も何もあるものか! それが解らぬ者は、戦いの最中に死ぬぞ!」
充血した目をギラつかせ、観戦席に向かって吼えるように話すダークネスに、罵声の声は一瞬で止んだ。息を切らし、傷まみれになっている雷斗を見ると目つきを和らげる。
「族荒らしに捕まってピーピー泣いていた子が、ここまで育つとはなぁ。……あぁ、実に愉快だ」
「しかし、そろそろ限界だ。……最後に、私が出せる最大の雷を受け取ってくれ」
「よかろう。貴様のすべてを見せてみろ」
雷斗は剣を仕舞って一礼し、大きく息を吸い込んだ。体からは力を抜いて、ダークネスを見つめる。
彼は笑みを湛えたまま、同じ場所に立っていた。
「いきます」
「来い」
「ぜ、全員身構えろ!」
この号令は、皆に行き渡ったのだろうか。
ブラックが修練場と自分、ダーク、ラオエンを覆う魔力の壁を一層厚くした刹那に修練場を飲み込むほどの巨大な雷が落ち、咄嗟に耳を塞ぐ。
目を閉じて体を小さくし、コートの襟で顔を隠しているにも関わらず、閃光が瞼を貫いた。あまりの眩しさと鼓膜が裂けたかと思うほどの轟音に吐き気がする。
周囲は無事かと見回せば、実際に嘔吐している者もいた。心眼を開き、呆れてしまう。
所詮は人間だ。そんな油断をしているから、視覚と聴覚だけでやられるのだ。
「ダーク、父さん、大丈夫!」
「……お前が壁を厚くしてくれなければ、危なかったかもしれん」
「耳鳴リハヒドイガ、大丈夫ダ」
「よかった。雷斗とダークネスは!」
雷斗は地面に崩れ落ち、ダークネスは膝をついていた。肩で息をしながらも立ち上がり、気を失っている雷斗の体を横抱きにする。
「ブラック様、この子を」
「部屋で休ませるよ。ダークネスは大丈夫か」
「人間の小僧に、負けられますか」
笑ってはいるけれど、見ただけでわかる。最後の雷から身を守るために相当な魔力を削られたらしい、変 幻 偽 視を維持しているのは彼の意地か。
「お騒がせいたしました。こやつと、私の我欲に付き合っていただいたこと、感謝いたします」
「構うまい。お前にはいつも苦労を掛けている、楽しめたのならばよかったではないか」
「それじゃ、オレは雷斗を連れて行くから。訓練を邪魔して悪かったな!」
ラオエンに頭を下げるダークネスから雷斗を受け取ると、瞬間移動術を唱えて自室に向かった。体をベッドに横たえて、魔力を流し整えてやる。
「本当、バーナーに似てきたなぁ」
ダークネスと稽古している時に雷斗が浮かべていた笑みを思い出し、眠る彼の髪の毛を揺らすよう撫でるのだった。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
目を覚ました雷斗に水を飲ませてやり、ディスティに体調を診てもらった。しばらく動けなくても可笑しくないほど消耗していたはずなのに、なんともないらしい。
「ブラック様のご友人方は、その、大分人間離れをしていますね?」
「私が目指した男が、そうだったからな」
「それにしても無茶をするよ。ダークネスの強さは知ってるだろ?」
「無論、この身で実感しているさ」
バーナーを人外扱いしたけれど、ブラックもダークもさらりと聞き流していた。ディスティと入れ替わりに入ってきたのは、元の姿をしたダークネスだ。
「具合はどうだ」
「大事ない。急な訪問で願いを聞き入れてくれたこと、改めて感謝する」
ベッドから降り、頭を下げた雷斗に触手が柔らかく乗せられた。視線だけを上げれば笑うダークネスと目が合う。
「あの雷で、同胞が多く倒れたぞ。私も慢心していれば、地に伏せていたかもしれん」
「すまない、周囲のことは考えなかった」
「構うものか。お前を侮った結果だ、いい薬になっただろう」
「……あの時の約束を、守れているだろか」
不安げに揺れた瞳に、ダークネスは目を細めた。
「それはお前が決めることだろう。
だが、勝てん相手と判っていながら、セイントを守るために一人で立ち向かってきた。雷を自在に操り、こうして私と対峙できた。それが答えではないか」
まるで幼子にするよう、頭を撫でられている雷斗は。
くすぐったそうに、嬉しそうに。鼻の頭を赤くしながら笑っていた。