太陽と神話の元に
神様の元から地上に戻ったものの帰る場所もなく、盗賊と戯れながら森の中で生活していた。特定の住居を持つのも面倒くさくて木々の枝の上や洞窟の中などで野宿を繰り返す。
そんなある日、ざわりと胸騒ぎがした。バーナーは眉を顰めて自身の胸元に手を置き、即座に駆け出す。
向かう先はレイリア、モモの元だ。
たどり着いてみたけれど、国内の雰囲気は何ら変わらないようだった。あえて言うならば、普段よりもわずかに活気があるくらいかと首をかしげる。
城下町で情報を得てもいいのだが、どうせここまで来たのならば寄りたかった。王城まで歩くと門番の目を盗むようにして裏に回り込み、壁の凹凸に指を掛ける。
これまで何度もやっている。実に慣れた作業だ、あっという間に目的の部屋まで登って窓を叩こうとし、思わず手を止める。
彼女が、声もなく、静かに涙を流していた。
「モモ? どうした?」
「あ……ゆ、優火?」
押してみれば開いたので、勝手に中に入ってしまった。彼女が目元を強くこすって涙を止めようとしたので、慌てて両手を取る。
「なにがあった、なんで泣いている?」
「……国にとっては、喜ばしい事なの。だからこの涙は、叶わないわたしのわがままです」
「どういうことだよ、王様は何を考えて? 国にとっていい事でもモモが」
「隣国の第一王子との、結婚式の日取りが決まりました」
モモの手首を持つバーナーの手に、力が入った。緩めなければ彼女が痛いと解っているのに、体がうまく言うことを効いてくれなくて、細く息を吐き出していく。
上げようとした口角が、激しく痙攣した。自分は今、笑えているのだろうか。
「そうだったのか。おめでとう、モモ。婚約はいつから?」
「わたしが婚約のことを知ったのは、あなたが二度目に、白柱神の元へ行った後でした。……もう二年もなるのに、言い出せなくてごめんなさい」
「構うもんか。オイラは、一般人だ。ただ昔、モモの護衛をしていて、友人だってだけで。王族でも貴族でもないオイラは、本当はここに居られる身分じゃない」
ゆるりと首を振り、バーナーの手を取って額に押し付けるモモの肩は震えていた。何とか体の緊張を解くことが出来た彼の肩も、震えているように見える。
「優火。わたしの戯言を、聞いてくれる?」
「……なんだ?」
「わたしを、ここから連れ出して」
息を詰まらせ、モモの前に膝をついて座り、肺の中身をゆっくりと吐きだした。眉をきつく寄せて顔を覗き込もうとするけれど、モモは拒絶するように、バーナーを握る手に力を入れる。
「モモ」
「わかっているわ、あなたは絶対にそうしてくれないことを。だから戯言なの」
「オイラも、モモが嫌な思いをするかもしれないけど、もしもの話をしてもいいか?」
「……なあに?」
「モモに、他に兄弟がいればよかった」
モモは目を丸くして、ようやく顔を上げた。腫れた目でバーナーを見れば寂しそうに微笑んでいて、思わず抱き着いていく。
「優火、優火。わたしは王族としての覚悟が出来ていなかったわ、こんなにも胸が張り裂けそうなの! 分かりきっていたことなのに!」
「……たぶん、オイラもだよ。勝手にまだ先の話だと思ってた。こうして会えるのも、最後になるのかもしれない」
「イヤよ、イヤ! これくらいのわがままは聞いてくれてもいいじゃない! 最後だなんて、そんなことを言わないで!」
頭を振り、服にシワを付けながらしがみついてくるモモの背中に、手を乗せることは出来なかった。代わりに額へ乗せて、目が痛くなる程に瞼を閉じる。
まさか胸騒ぎの正体がモモの涙だったなんて。
自分も覚悟が出来ていなかった。いつか来るとわかっていたこの日を、喜ぶことが出来ない自分が腹立たしい。
「どうしていつもみたいに抱き締めてくれないの!」
「モモ……」
「愛しています。あの時から、わたしをならず者たちから助けてくれたあの日から、ずっと」
「バカ、そんなこと言うな!」
肩に頭を乗せ、ポロポロと涙をこぼしていくモモの頬に手を運び、拭いても落ちてくるそれを何度も拭った。何か方法はないかと考え掛け、何を考えるつもりだと自問する。
「あなたは、わたしと一緒に居たいと、思って、くれないの?」
「残酷なことを聞きやがる。叶わないと諦めているこの感情を、頼む、オイラの口から言わせないでくれ」
「……ありがとう。その答えで、充分です」
ようやく顔を上げた彼女は、優しく目元を擦り、不器用に笑った。バーナーから少し離れて一礼し、目を閉じる。
「二十日後の、お昼の鐘が鳴った後。式が始まります。……無理は言いません。でも、あなたに晴れの姿を見てほしい」
「決まっている! お前の旦那より先に見させてもらうさ、なぁに、ここへの侵入はお手の物だ!」
冗談めかして言えば、声を出して笑ってくれた。こつん、と額同士をぶつけあえば、いつも通りの『友達』に戻れたような気がして肩を揺らす。
「二十日後。オイラは、誰よりも祝福しよう」
「これまでも、これからも。わたし達は、友達でいましょう」
「あぁ。……じゃあ、またな」
頬に触れるだけのキスを落として、バーナーは窓から部屋を飛び出した。バクバクとうるさい心臓が苛立たしくて胸元を殴り、むせてしまう。
何をしているのかと舌打ちを漏らし、ただレイリアを走り出た。
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馬を牽いていて、視界の端に映った姿に思わず足を止めてしまった。馬上の人物は何も言わずにいてくれて、甘えるよう体をそちらに向ける。
岩の上に座るひどく小さい背中に、人違いかと凝視した。しかしツンツンとがった紅蓮の髪を持つ人物なんて、そう多くはないだろう。
「死神か?」
「あら、死神さん?」
「……ルビー、と、レア女王」
ようやく、こちらに気が付いたらしい。バーナーは緩慢に振り返ると岩を下りてその場に片膝をつき、深く頭を下げる。立ち上がるように言うけれど、無言のまま首を振った。
「どうした、なにがあった」
「……いいえ、なにも」
「ないわけがないだろう、そんなにひどい顔をしておいて」
「死神さん、ともにおいでなさい。今のあなたを一人でここに残すことは出来ません」
ルビーだけではなく、レアからも案じられるほどひどい顔をしているらしい。静かに息を吐き出して顔を上げ、ピクリと頬を痙攣させる。
拒否権はない。ルビーの目は、そう言っていた。
「お言葉に、甘えさせていただきます」
「ルビー」
「承知いたしました。死神、走れるな」
頷いたのを見て、ルビーは身軽に馬へ乗った。レアは手綱を持つルビーの腰に腕を回し、しっかりと抱き着く。
「途中で離れるなよ。追うぞ」
「こわ。ちゃんと着いていくよ」
ジロリと睨まれて思わず苦笑し、馬を走らせる彼女を見失わないよう走り出した。
強制的にパクスへと向かうことになり、そのまま王城へ通されてしまった。公務は明日に回すとレアが部屋に戻り、ルビーに自室へ連れ込まれる。
「今日は、女王陛下と何を?」
「スラマグドスで魔術の勉強をしておられる、王太子の元へ。花への魔力の込め方の指導と、王都に配置している花の様子を見に」
「宝石ではなく花を魔道具にするのは、パクスの王家くらいだろうな。魔 弾 盾を込めているのだったか」
「害意ある者が入り込まないように、な」
会話をしながら次々と出されていく酒瓶に、苦い顔を浮かべてしまった。目頭を軽くもんで、ルビーを見つめる。
「で、これは?」
「お前が腹に抱えているものを吐くまで飲ませる」
「オイラにも、言いたくない事の一つや二つ、あるんだぜ?」
『パクスの女王側近、ルビーが命ず。お前は今から真実を話す』
魔力が乗せられたその言葉に、バーナーは目を丸くした。首元が緩く絞められたのがわかる、これはルビーの言霊だ。
「罪人にしか使いたくない、って言ってなかった?」
「時と場合によるな? こうでもしなければお前は何も話さん」
「横暴だなぁ」
軽口を叩くだけでも、気道が塞がれてしまった。ほんの数秒なので苦しさはないけれど、嘘をついたらルビーに気付かれる。
「何があった。お前から表情が抜け落ちるほどの何が」
「……そんな顔になってたの、オイラ」
「あぁ。死人かと思ったぞ」
低い唸り声をあげ、手近にあった瓶を掴むと一気に煽った。そんな無茶な飲み方をすれば酒の回りが早くなるのは百も承知で、机に突っ伏すと頭を掻きむしる。
「単なる嫉妬だよ」
「嫉妬?」
「あぁ。喉から手が出るほど欲しくて仕方がない奴を、赤の他人が掻っ攫っていった。それを止めるだけの権力も何もオイラにはない、それだけだ」
「もしかしなくても、モモ様のことだな?」
首筋まで赤くしたバーナーが、勢いよく顔を上げた。呆気にとられたような表情でルビーのことを見ている。
「言っておくが、私たちの中でお前とモモ様の仲の良さは、周知だぞ」
「なんで」
「どれだけ長い付き合いだと思っている。イヤでもわかるさ」
どこまでも長いため息を漏らし、再び突っ伏した。背を揺らすようにして笑う彼に、ルビーは眉を寄せる。
「まぬけだ。言った言葉に行動が伴わない、大バカだ」
「死神」
「なぁルビー、オイラはまだモモと離れたくねぇよ。だけどそんなわけには、いかなくなっちまった。だって結婚しちまうんだぜ、女王になっちまうんだ。新国王が快く思うわけがない」
「傍にいられる方法ならある」
ルビーを見上げる視線は、縋るようだった。ふわりと微笑みかけて纏わせていた魔力を解き、背を撫でる。
「言霊まで使ってすまなかった、今日はもう休むといい。部屋まで連れて行ってやろう」
「だいじょうぶ、行ける」
椅子から立ち上がろうとしたけれど、バランスを崩して倒れてしまった。心配そうな目がなぜだか可笑しくて、床に座ったまま笑い声をあげる。
ますます、眉を寄せていくルビーに、目を閉じた。
「オイラはだいじょうぶ。ちゃんと、モモの結婚式を見れる」
「話しは明日にしよう。ほら、肩を貸してやる」
今度は素直に支えてもらい。
バーナーはもたつく足になんとか力を入れながら、長い廊下を歩くのだった。
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痛む頭を抱えながらも、呼び出された場に来てみれば、いきなり肩へと腕を回された。こんなことをしてくる人物は限られている。
「サファ、勘弁してくれ……」
「空きっ腹に、米酒を一本一気飲みしたって? そりゃあそうなるだろうよ!」
「ルビー、なんで全員いるの……」
円卓の間には、宝石たちが揃っていた。正面に居るルビーを恨めしく見るけれど、座るよう促されて仕方なく座る。
ピリピリと肌に刺さる空気に、真剣な話が行われることには気付いているけれど、そんな気分にはなれなかった。
「どうしたんだよ?」
「単刀直入に言う。死神、役人になれ」
「……は?」
二日酔いの頭では、言葉を咄嗟に理解できなかった。数秒待って、ルビーが言ったことを口の中で反復し、ようやく意味を捉える。
「いや、なんで」
「正式に私たちの仲間になれ」
「待って。待ってルビー」
「今、決めろ。全力で各種必要なものをそろえ、二十日以内には手続きを終わらせてやる」
寝耳に水とはこのことで、考える暇もくれないらしい。サファイアやエメラルドは見世物でも見るかのように笑っているし、ダイアモンドも口添えすらしてくれない。
「……オイラは、最後の純血だから、死ねないんだぞ」
「お前が望むまででもいい。生き方ややり方を変えろとも言わない、ただ、その地位を受け入れろと言っている」
「どうして今更、そんなことを言うんだ」
「おぉい、死神? 五か国同盟設立時から、なんでルビーがパクスとレイリアを兼任していると思ってんだ?」
「他に適任者がいなかったからだろ。パクスならレイリアもそう遠くない」
誰の口から出た笑い声か、わからなかった。痛む頭を押さえながら眉を寄せ、正面に座るルビーを見る。
「最初から、レイリアにはお前を当てようと考えていたからだ」
「な」
「お前はいずれ、地上を去ると言っていたから、一度は諦めた。だが今はこうしてここに居る。私が兼任していたのはあくまで代理だ、これはレア女王もレイリアの国王陛下も承知してくださっている。レイリアには、お前が適任だと。
なぁ? バーナー・ソル・レイリア」
その名を呼ばれ、全身に鳥肌が立つのが分かった。誰も驚かないところを見ると、全員知っているらしい。
「オレ達を舐めるなよ。火炎族がインズ表記の名前な訳ねぇだろ、お前のその名は、モモ様から与えられたもので違いないな」
「どうして、それを」
「紅蓮のは、モモ様が九つの頃からの知り合いでしょ? ルビーと知り合ったのはそのあと。その時にはすでに、バーナーと名乗っていた」
「誇り高き火炎族が、自身の名を名乗らずに別の名を語ったのだ。疑問に思って調べるくらいはするだろうよ?」
ニヤニヤと笑う彼女たちに、背が冷たくなるのを感じた。
そうだ。最初から役人をしていたのはルビーだけで、他の三人は殺し屋で、魔盗賊で、暗殺者だった。
そんな彼女たちを引き上げたのはルビーだが、手伝ったのは自分だ。彼女たちが自分のことを調べ上げたとしても、なにも可笑しくない。
「それに、数日とはいえルビーに城を任されて、回せたんだろ?」
「だ、だけどレイリアの役人になったところで、モモの傍には居られないだろ」
「思い違いをしているな。シャイン家は隣国の第一王子を、婿養子として受け入れる」
「なんで、第一王子を婿養子に……?」
「さぁな。第二王子に比べればいい人ではあるんだが、これは両国間で決まったことだ。オレ達じゃわからねぇ」
あまりに急な話で、二日酔いなんぞ飛んでいった。ダイアモンドの指が、トントンと机を叩く。
一番年上で、気が長い彼女がそうするのだ。本当に時間をくれないつもりらしい。
「我々は随分と待ったんだ、幼かったお前が一人前になるのを。ルビーには長く負担をかけてしまったが、この話をする機会をずっと待っていた。……お前にとっては急な事だろう、だが今すぐに、決めろ」
「……オイラ、は……」
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
式まで、残り二日となった。
ようやく自分の感情を諦めて、両国で決められたがゆえに顔も知らない相手を愛していくのだと覚悟も出来たのに。
今日聞いた話の内容は、自身を揺らがせるのに充分すぎた。
「お父様、どういうことです!」
はしたないと分っていても、父がいるベッドに近寄るまでの足取りは荒くなってしまった。
「彼女は長くこの国を守ってくださいました、もちろんお父様のこともわたしの事も。それなのになぜ、いま、解任になるのですか!」
自身のことを知る者がいなくなる。それも、碌に理由も教えてもらえずに。
たとえ父親で、国王が相手でも、納得がいく説明が欲しかった。
「モモ、いま、使いの者を出そうとしていたところだよ。そのことを話すために」
「お父様……!」
「後任者はもう、隣の部屋に待機している。詳しい話はその者に聞きなさい」
微笑むばかりで、何も言ってはくれないらしい。頬が紅潮しているのが分かり、落ち着こうと深呼吸をする。
「悪いようにはならないよ。モモ、我が愛しい娘、我が国の女王よ」
額にキスを落とされて、モモは黙り込んでしまった。
そうだ。自分は間もなく、女王となる。これくらいで動揺していてどうするのだ。
ゆっくり息をして、モモは一礼した。今度は落ち着いて部屋を後にし、父の隣の部屋、亡くなって長い母の部屋。
そして、いずれの自分の部屋へと向かう。
(ルビーさんが、解任された。ならば今度は誰が? パクスの次に近いのはサピロス? それとも、誰か、新しい人が)
「考え事をしながら挨拶かい? 王女さん」
声を掛けられて我に返り、ドアを開いたまま立ち竦んでしまった。見慣れない格好で、照れくさそうに頬を赤くしているその人が、頬を掻いて笑う。
「驚いただろ。正直、自分も驚いている」
「な、ん、で?」
「ルビーの後任だ。まぁ、たまには賞金稼ぎもするだろうけどさ。護衛長として、モモの傍にいる」
黒を基調にした軍服を纏い、左の肩口から胸元に金の細い鎖を走らせて、深紅の剣を腰に下げたバーナーが立っていたのだ。目を見開いて固まってしまった自分を見て心配したのか、近寄ってくると手を握る。
「もちろん、結婚式の時にはモモの相手より先に、晴れ姿を見てやるさ!」
「ゆ、優火!」
にかりと歯を見せて笑う彼に、モモは加減も考えず飛びついた。その程度で揺らぐわけもなく、しっかりと抱き止める。
「最後の火炎族、優火。バーナー・ソル・レイリアはこれから、宝石たちに加わり同盟五か国の役人となる。少なくとも、モモの命が尽きるまで、共に居よう」
「ありがとう、ありがとう優火。違う形だけれど、一緒に居てくれるのね……!」
「あぁ。モモがくれた、名前に誓って」
眉をきつく寄せ、大粒の涙を流すモモの前に跪き、彼女の手を取り直して。
手の甲にキスを落としたバーナーは、いたずらっ子の様に笑っていた。