楔の国
久し振りに訪れる地をゆっくりと眺めまわし、口から漏れ出る白い息が視界に入って思わず身震いした。仲間たちに魔力で寒さを遮断する方法は教えてもらって、自分なりに嚥下して拙いながらに使用しているけれど、視覚だけでも寒さを感じてしまう。
それでも目的の場所まで確実に進んで行けば、扉に触れる前に開いていった。
「いらっしゃい、お兄ちゃん」
「おう、元気してるかスノー」
「お兄ちゃん、なかなか集まりにも来てくれないんだもの。最初に集まったきりでしょ」
眉をハの字に寄せて笑い、招き入れると迷うことなく自室に案内した。魔道具に魔力を流して火を灯し、暖かいコーヒーを淹れる。
前に出せば、黒疾は表情を和らげた。
「気を遣うなよ」
「大事なお客さんだもの。ボクにおもてなしをさせて」
「すまねぇな」
一口含めば、体が芯から温まるようだった。スノーはコップに氷を浮かべて飲んでおり、一族の差を感じて苦笑してしまう。
「本当なら死神と来る予定だったんだがよ、魔族に殴り込みに行っちまって」
「え? なんでまた……」
「嫌がらせに厭きて家出したダークを、匿っていたらしくてな。セイントは何だかんだ言って、国がイヤだって飛び出してこねぇだろ? だからあいつも手出しが出来ねぇが、そうやって避難してきたなら話は別だと。サピロスとの演練を口実に嬉々として行ったわ」
「あぁ……なるほどねぇ」
と、スノーは一口、コーヒーを飲んだ。
「優火パパが認知できちゃった時点で詰みでしょ、ブラックお兄ちゃんだと思われてるけど、ボク達の中で一番過激なのは優火パパだよ?」
「お前もそう思う?」
「うん。判り辛いけど、怒らせたら一番怖い人だよね。まぁ、ダークママを虐めた人を擁護するつもりは一切ないけどさ」
冷たい目をするスノーに、黒疾は指先で頬を掻いた。窓から外を見てみると、銀世界の集落に明るい火の光がポツポツと見える。
それを見ているのに気付いたのだろう、スノーが頬を緩めた。
「いつまで続けられるか、わからないけど。行き場や逃げ場がなくて、追い詰められてしまった人たちを受け入れているんだ。火 球なら、ボクでも魔道具を作れるから」
「そうか。銀世界のやつらは、受け入れているのか?」
「そうじゃなかったら、こんなこと出来ないよ」
苦笑しながらも、コーヒーに氷を足していた。黒疾には毛布を渡しながらも自身は頭の周りに氷を浮かべ、時折摘んで齧っている。
「暑いなら、オレに合わせなくてもいいぜ?」
「ボク達に合わせてたらお兄ちゃんが凍えちゃう」
不意に真剣な表情になり、黒疾も姿勢を正した。瞳を覗き込むように見上げてくるスノーに、反らさず見返す。
「本当はね、優火パパにも言いたかった」
「……オレが伝言するんじゃ、不十分か?」
「お兄ちゃんが来てくれたのはすごく嬉しいよ、それは本当。……だけどどうしても、ボクは、優火パパ達を大切にしたい」
「わかっているよ。お前たちは血の繋がらない兄妹だ、オレは一歩離れたところから見守れれば、それでいい」
口角を緩めて笑ってやれば、スノーは安心したように体から力を抜いた。コーヒーを含んで視線を泳がせ、深く息を吐き出すと再び顔を上げる。
「お兄ちゃんたちは。もう、時の流れがわからなくなってきているでしょ」
「……そうだな」
「これからきっと、たくさんの苦しいことがあるよ。どうしてもボク達は……お兄ちゃんたちを、置いて逝ってしまうよ。ごめんなさい、こればかりは避けられない」
「どうしようもねぇさ、理から外れちまったのはオレ達の方だ。お前たちが気に病むことじゃない」
頭を撫でてやれば、スノーはクシャリと顔を歪めてしまった。
自身の目には、スノーは昔と変わらない、幼子のままに見えてしまっている。
だけど実際は、すでに子供もいる立派な族長なのだ。
「だから、お前が泣きそうな顔するな。オレがちゃんと傍に居てやるから、優火のこともセイントのことも心配するなよ。魔族のところでも集まって交流して、奴らの寿命は千年近くあるだろう? あいつらは、孤独にならない」
「ボクが心配するのは、優火パパと美代お姉ちゃんだけじゃないよ。お兄ちゃんの事も心配だよ」
「なぁに、オレは盗賊だ。適当に生きていくのはお手の物さ」
口角を軽く上げて言えば、スノーは目頭を軽く押さえ、ふにゃりと笑った。
「だけど、そうだね。優火パパは、レイリアといろんな一族を繋げてくれた。魔族も混血妖精族すらも、繋げてくれた」
「そもそも、忌み嫌われてきた魔族の領土で食事会をやるなんて、有り得なかっただろうからな。確かルビーは参加したことがあるんだったか?」
「前回来てくれたよ。流石にちょっと、動揺してたけど」
「そりゃそうだろうよ。だけどまぁ、これからはサファも参加できそうだな」
「サファイアさんなら食事会よりも、修練に混ざりそう」
「あいつならやりかねんな」
思わず声を出して笑えば、スノーも肩を揺らした。窓の外へ視線を向けて瞼を震わせ、胸元に手を乗せる。
「神話の国レイリアは、その名を変える」
「うん?」
「特異能力一族と交流していることは、領地の人々はもちろん、同盟五か国の人たちも知っているから。何て呼ばれ始めたか、知ってる?」
「……いや、オレの耳にはまだ届かねぇな」
「楔の国。一族と一族を繋げて、正しく歴史を遺す使命を負う国。優火パパが、国としての在り方を変えたんだ」
レイリアの女王に命じられて、特異能力一族を駆け回るその姿は、まさしく一族間を結びつける楔と言っても過言ではないだろう。
そういえば、国の紋章に炎の鳥が描き加えられたという噂も聞いたが、それも噂ではないのかもしれない。
「優火パパの活躍は、これから長く伝えられることになる」
「はは、そいつぁいい! イヤでも記録に残るわけだ、あいつの存在が」
「だから、一人じゃないよって。ボク達の軌跡は、優火パパの軌跡は。必ず世界に刻まれるからって、伝えて」
「直接言えよ、まだ魔族の元で集まれるだろ?」
「みんなが居るのにはちょっと……。みんなの前で、ぱ、パパって呼ぶのも、恥ずかしいのに」
「お前が頑なにお兄ちゃん呼びをしてるの、そんな理由?」
ぽっぽと頬を赤く染め、俯くように頷いた。髪の毛をぐしゃぐしゃにして撫でまわせば恨めしそうに見上げられ、コーヒーを少し飲み、一呼吸おいて顔を上げる。
「お兄ちゃんもまた、集まりに来てよ。盗賊稼業が忙しい?」
「言ったろ、オレは一歩離れたところから見守れればそれでいいってよ。あいつの事父親呼びしてみたらどうだ、微妙に嬉しそうにするぜたぶん」
「ダークママも、お母さんって呼ばれるの慣れてきちゃってるしねぇ」
苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、受け入れているダークの顔が容易に想像できて笑ってしまった。スノーも堪らず笑い始め、空になったコップを置く。
「今日はどうするの? 泊っていく?」
「そうさせてもらおうか。後任育成も、頑張れよ」
「うん。これからのためにも、ボク達の経験をきちんと伝えていくよ」
閉鎖的だった銀世界が変わっていくのを垣間見て、黒疾は自身の事の様に嬉しく思い。
もう一度、両手で頭を掻きまわして撫でれば、スノーから短い悲鳴を上げられるのだった。