父と息子とその従者
「ブラック」
声を掛ければざわりと髪が蠢き、警戒をするように振り返った。髪は少しずつ落ち着きを取り戻していくものの、目付きだけは変わらない。
「食事だ、行こうか」
「……ん」
短くも返事をしてくれるだけ、進歩したらしい。城で生活を始めたばかりの頃なんて言葉はおろか声を交わすことがほとんどなく、従者を通して会話をしていたものだ。
「ダークは」
「あ奴は今、修練場から戻り剣の手入れをしているようだ。もう少し待てば」
椅子を倒しながら立ち上がり、険しい顔のまま駆けて行ってしまった。思わず頭を抱えて両肘をつき、荒々しく息を吐き出す。
「ブラック、私はお前の父でありたいのだ。どうして逃げる……」
こうなれば彼は、戻ってこないことは解っている。
どうやら今日は一人の食事となりそうだと肩を落とした。
力強いを通り越し、ドアを壊さんばかりのノックに思わず肩を跳ねた。目を瞬かせてため息漏らし、手入れを終えた剣を仕舞う。
「開イテイル」
ノックの割には遠慮がちに開けられたドアの隙間から、ブラックが覗いていた。
「マタカ。ドウシテ避ケル?」
「……ダーク……」
「ワカッタワカッタ、入ッテオイデ」
眉をきつく寄せているブラックに手招きをすれば、叱られる前の子供の様な足取りで入ってきた。下唇を突き出しているためか、顎にしわが出来ている。
「一族ニ帰リ、モウ二年ハ経ツ。マダ慣レンカ」
「……うん」
小さく、コクンと頷いた。ダークは棚の中から砂糖菓子を一掴み出し、行儀も何もなく床に座り込むブラックに渡す。
「修練ガ白熱シ、食事ニ遅レテスマン」
「ダークのせいじゃないから」
砂糖菓子を少しずつ食べ進めるブラックに、ダークが頬杖を着いて苦い笑みを浮かべた。チロチロと、毛の先が揺れ動いているのは気分が落ち込んでいるからだろう。
「部屋デ休ムカ」
「………」
「随分ト大キナ子供ダナ」
からかうように笑えば、ムッと口を歪めた。ベッドにもう一つ枕を放り投げ、先に自身が横になると端ギリギリに転がる。
申し訳なさそうに、安心したように潜り込んできたブラックの背を優しくたたいてやった。
「オ休ミ、ブラック」
「……おやすみ」
布団を頭までかぶってしまい、体を小さく丸めるようにして落ち着いた彼に目つきを和らげ、ため息を一つ漏らすのだった。
ドアを叩く静かな音に目を開き、視線を送った。身じろぎをしたブラックの体をトントンと叩いてやり、起きていることを外の人物に伝えるため極限まで威力を落とした水 球を放つ。
「ダーク、起きて……」
懐に潜るよう眠っているブラックを見て、一つしかない目がわずかに丸くなった。ジロリと睨まれたダークは舌打ちを漏らす。
「静カニ。コ奴ガ起キル」
「口を慎めダーク。ブラック様はラオエン様を継ぎ、族長になられるお方だ」
「断ル。ワシマデソウシテシマエバ、余計ニ戸惑ウダロウ」
「なぜここに居られる、お部屋は別にあるだろう」
「本当、静カニシテクレンカ。先程ヨウヤット、寝付イタノダゾ」
むずがり始めたブラックを抱き込むよう動けば、ダークネスはますます目付きを鋭くした。そんなものに屈するわけもなく鼻を鳴らし、布団を引き上げる。
「用ハ」
「ラオエン様がお呼びだ」
「明日、必ズ行クト伝エテホシイ。不安定ナコノ子ヲ一人ニハ出来ン」
しばらく考えたが、無言のまま頷くと部屋を後にしていった。見送ったダークは胸元の宝石に触れ、呆れるよう首を振る。どうせ、ブラックについてだろう。
くありとあくびを零し、深く息を吐き出すと目を閉じるのだった。
「失礼シマス」
「あぁ、来てくれたか」
ラオエンに促されてソファに座り、出された紅茶に口を付けた。こうして呼ばれるのも厭きたので遠慮は放り投げている。
「今度ハドウサレタノデス」
「いや、すまん。ブラックの……」
「デスヨネ」
言葉を詰まらせ、俯きながらもラオエンは茶を口に含んだ。カップを持つ手が、震えているように見える。
「私は父親として近付きたい、なのになぜ嫌う」
「オ言葉デスガ」
困り果てた表情で言うラオエンに、多少腹が立ったのは間違いない。カップを置く際に荒くなったのか中身が零れ、布切れで拭いながら睨んでしまう。
「アレハ不安ナダケデス、嫌ッテイルワケデハ、アリマセン」
「すまん……。不安、と?」
「アノ子ハ心眼能力ヲ持ッテイマス」
次期族長に対する態度も言動も、しきたりを破ったことも今更どうこう言うつもりはなかった。
それでも親である自分よりもずっと近しいところにいる彼が羨ましくて、妬ましくて目を細めるよう睨んでしまうが、鼻で笑われてしまえば立場なんてまるでない。
「ソレニ加エテ、規格外ナ魔力ニ念動力。ブラックハ力ニ恵マレ過ギタ。ソノ結果、人里デ化ケ物ト呼バレ迫害ヲ受ケテ、一度ハ心ヲ壊シカケテイル。
……アノ子ハ、自身ノソノ力ノセイデ捨テラレタノダト、ソウ思ッテキタ」
「それはっ」
「エェ、仕方ガナカッタ事デス。ワシトテ、ラオエン様ノ御子ダト最初ニ気付イテイレバ、アノ子カラ離レテイタ。シカシ気付イタ時ニハスデニ、懐カレ過ギテイタ」
目を伏せたダークは、鎖骨の間にある宝石に指を乗せ、一度深呼吸をした。
意図せず魔族のしきたりを破ってしまい、育ての親となったのは、確かに自身の罪咎かもしれない。
しかし、それとブラックがラオエンから距離を取ってしまうのは、別の問題だ。
「化ケ物ト言ワレテキタ力ヲ丸ゴト受ケ入レ、堕チカケタアノ子達ヲ救ッタノガ美代殿達デス。ソノ彼女達ニ何ヲシマシタ?」
それを言われてしまえば、ぐうの音も出なかった。涼しい顔で紅茶を飲むダークを恨めしく見つめるが、反対に睨まれてしまう。
「ソレニ、ラオエン様ガブラックヲ受ケ入レ切レテイナイノニ、アノ子ガ警戒ヲ解ク訳ガナイデショウ」
「そんなことは!」
「ダーク!」
いきなり開け放たれたドアに、ラオエンは思いきり肩を跳ね上げた。ダークはため息交じりに紅茶を飲み干して振り返り、眉を寄せる。
「ブラック、ノックハセヨ」
肩で息をし、髪の毛を騒めかせている彼が相当慌ててきたのだろうことは容易に想像できた。それでも礼儀は礼儀だと苦言を漏らせば肩を落としている。
「ドウシタ、夢見デモ悪カッタカ」
「……起きたらいなかった」
「ワシハ起コシ、出ルコトヲ伝エタゾ。寝惚ケテイタカ」
立ち上がってガシガシと頭を撫でまわし、ムスッくれるブラックの額を指で突いた。
「モウ少シ、落チ着ケ」
「ごめん……。修練場に行こう」
「ヨカロウ。……デハ、失礼シマス」
軽く頭を下げて、さっさと部屋を後にしていくダークに、ラオエンは両手で顔を覆って項垂れた。顔色も悪く細く息を吐き、ふらりと立ち上がる。
そのまま、誰にも何も言わず。ラオエンは姿を消した。
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使い慣れた移動方法だ。今回も同じようにやった、間違いなどあるはずがない。
それなのに目的の人物の姿は見えず、視界には白い靄が広がっていた。何かあったのかと腕を払い、靄を散らしていく。
「だ、だれかいるの……」
「セイント! どこに」
「は? ラオエン、ちょ、待って待ってなんで!」
パシャリと水の音がする。彼女は水辺を恐れているはずだ、やはり何かあったのではと声に近付く。
随分と湿気が多い場所だと眉を顰めていれば、ようやく美代の姿を見つけた。手を伸ばした先にいた彼女が硬直して、自分も固まる。
「ちょ……っとおおおおおおおお!」
「わあああああああああああああ!」
甲高い悲鳴と低い悲鳴が響き渡って、従者と国王が飛んできたのは言うまでもなかった。
「貴様ぁ……用があるなら門から入れ! 私がセイントに会わせんとでも思ったのか!」
「不精するからこんなことが起きるんだろう! あんたじゃなかったら斬り捨てているところだ!」
執務室でゼルスとヘーゼから揃って説教をされ、ラオエンはひたすらに体を小さくしていた。見ていてあんまりにも可哀想だと目尻を下げる美代を、ヘーゼが抑えている。
「す、すまない……まだ日も高く、まさか湯あみをしているとは考えもせず……」
「そもそも、侵入をしてくるなと言っている。このド阿呆が」
あまりにも真っ直ぐに突き刺さる正論に、ラオエンは深く頭を下げてしまった。
「セイントに何用だ。サッサと吐け」
「お、お前、そんな口調だったか?」
「………」
「ひぇ」
控えめに言ったつもりなのだが、ゼルスの額に筋が浮かび、柔らかい笑みを浮かべた。自分の喉からもこんなにか細い悲鳴が出るのだな、と他人事のように考えつつ冷や汗を流す。
「ヘーゼ」
「御意に。セイント、きみはこっちにおいで」
「へ、陛下、ヘーゼ、私は気にしてないよ、だって事故だもの」
「あのねセイント、これは、ぜぇったいにあったらいけない事故なの」
ヘーゼに手を取られ、部屋を出ていく美代から心配そうな視線を送られてラオエンは胸元を抑えた。あまりの申し訳なさに顔を上げることも出来ないでいると、襟首をつかまれる。
半ば引きずられるよう連れてこられたのは、ゼルスの自室らしい。
「何の用だ」
「……息子に、ついて」
「あ?」
口調が崩れるとフラグーンに瓜二つだった。苦い表情を浮かべていると何かを放り投げられて咄嗟に掴む。
上品なグラスだ。気付けばゼルスも同じものをテーブルに置いていて、問答無用でワインを注がれる。
飲め。無言の圧力だった。
「貴様の息子がどうした」
「その、慣れてくれん……」
「はぁ?」
口を付けてみるが、アルコールの独特な臭いがやはり苦手だった。チラリとゼルスを見てみればフラグーンとは違って上品に、それでも速いペースで煽っているのがわかる。
「ダークからは私が子を受け入れていないと言われた、無論そんなつもりはない。ただどう接すればいいか……。だから、セイントに聞こうと思って」
隠すことも抑えることなく放たれたため息に、ラオエンは口を閉じた。細められた目と、刻まれた眉間のしわに、何かが彼の気に障ったことは解る。
「接し方を考えているようじゃあ貴様らは他人だな」
「なっ」
吐き捨てるように言われ、拳を固めた。
「何を考える、何を気にする? ただただ単純なこと、それすらも解らないときたか」
「わからないから、こうして話をしにきたんだ!」
「あの小僧は捨てられた。一族のしきたりにより人里に放置され、迫害を受けたという。ならばあの小僧に足らんものはなんだ」
見て取れるほど、ゼルスは苛立っていた。それでも解らずに眉を顰めていれば、ピキリと乾いた音が聞こえる。
「私はそれが欲しかった。ヘーゼは裏切られたと長年思い続け荒れていた、そして……セイントからは、それを、奪った」
「なにを」
「貴様とて与えられてきただろう。なぁラオエン、お前はたったの一言でも息子に伝えてやったか?」
ゼルスが持つグラスが、ひび割れ始めていた。本人は気付いているのだろうか、このままでは手に刺さってしまうだろう。
止めてやりたくても、方法がわからない。自分はこんなにも他者との付き合い方が下手だっただろうか。
「お前を、愛していると。たったの一度でも抱きしめてやったか、お前よりも小僧の方が戸惑っているだろうに」
グラスが砕けてしまう前に、優しく放した。組んだ手の上に額を乗せて深く息を吐き出し、口元を痙攣させる。
「あの時に、信じてもらえなかったことに絶望し、愛していたセイントを傷付けたとありえん罪で追放され、愚かな事をしたと今でも悔いている。
どうせ愛されることがないのであれば、混血妖精を助ける代わりにこの首でも明け渡してやればよかったと、今でも考える時がある」
「ゼルス、お前は」
「子はいつでも不安だ。愛してくれんとわかっている身内にさえ、縋りたくなるほどに。だからお前は、キチンと小僧を子として愛しているのだと伝えてやれ」
どう声を掛ければいいのかと半ば立ち上がれば、面倒くさそうに手を振られた。一呼吸おいて上げられた顔は、いつもの表情に戻っている。
「いいから行け、下らんことでセイントの手間をかけるな」
「その、世話になった。すまない」
「まったくだ。今度はちゃんと表から来い」
「いや本当にすまん」
と、ラオエンは苦い表情を浮かべて姿を消した。それ見たゼルスはため息漏らして頭を抱える。
「あれはもはや癖か、またやるな」
きぃ、と蝶番がきしむ音にドアへと視線を送れば、頭が二つ覗いていた。思わず目を瞬かせていれば二人は互いに顔を見合わせ、部屋に入ってくる。
そのまま懐に飛び込んできた衝撃に、体がソファに深く沈んだ。
「セイント、ヘーゼ?」
「私にも、たくさんください。私も陛下に、これまでの分もたくさん渡したいです」
「陛下、あなたはボクにたくさん与えてくださいました。これからも、よろしくお願いします」
「お前たち、話しを聞いていたのか!」
幼子の様に抱き着いてくる二人に笑みを漏らした。頭に手を乗せれば身を揺らす子供たちの、なんと可愛い事か。
(今度はお前の番だぞ、ラオエン)
一度手を離し、肩に手をやると力いっぱい抱きしめ返すのだった。
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修練場ではちょっとした騒ぎが起きていた。
ダークがブラックの胸元を踏みつけ、切っ先を鼻先に突き付けているのだ。
「……負けた」
「迷イ乱レルノナラバ、歩ミ寄レバイイモノヲ。ワシナンゾニ負ケル今ノオ前デハ、何モ守レンゾ」
悔しそうに顔を歪めるブラックに手を貸してやり、立たせると胸板を殴りつけた。周囲で二人の手合わせを見ていた者たちは騒然としているが、ダークは気にする様子もなくブラックの胸倉を掴むと睨み上げている。
「何ヲ悩ム、何ヲ戸惑ウ? イイ加減、間ニ入ルノモ面倒臭イノダガ?」
「だ、だって、今更どうすればいいのかわからないんだ。オレにとっての親はシャドウとダークだ、オレに色々と教えて育ててくれたのは二人じゃないか!」
「ド阿呆ガ。ソレガ本音カドウカ、ワカラント思ウタカ。不安ナラ直接聞ケ」
「だ、って」
近くで魔力が揺らぎ、ダークは突き放すように手を引いた。姿を現したのはラオエンで、ブラックがざわりと髪の毛を揺れ動かす。
誰が何を言う前に、覚悟を決めた表情をしているラオエンが、ブラックに両腕を伸ばした。突然のことに驚いて後ろに下がろうとしたけれど、それを止めるよう手が回される。
何が起きたのか理解が追い付かず、ブラックは目を見開いた。
「……育ての親はダークかもしれないが。お前は私の息子だ」
「ら、らおえ……?」
抱き締められていた。ラオエンからこんなことをされるのは初めてで、どうすればいいのかと両手が彷徨う。
「すまん。お前が我が元に戻ってきてから、伝えていなかったな。それが当然だと思っていたから」
「な、に?」
「愛している。……しきたりとはいえ、お前を捨てて、すまなかった」
ラオエンの言葉に、ブラックが息を止めた。ダークが呆れながら修練場に残る者達に解散するよう声をかけて回り、カウンツもそれに付き合う。
「お前の仲間を傷付けた私が許せんというのならば、それでもいい。だが私は、お前の父でありたい」
「……オレの力、気持ち悪くないの」
「気持ちが悪いものか。立派に育ったお前を見て、どれだけ嬉しかったか」
「だって、心眼持ってる」
「ならば覗いてみるといい」
静かに目を閉じたブラックは肩を震わせ、彷徨わせていた手を戸惑いながらもラオエンの背に乗せた。ポン、と頭を撫でられて、大粒の涙をこぼす。
「オレは、忌まれてたんじゃ、ないの。いらない子じゃ、ないの」
「ずっと、そう思ってきたのだな。……もっと早くに、言葉にしてやればよかった。これから少しずつ、私の家族になってくれないか」
声もなく涙をこぼしながら、微かに頷いてくれたブラックにラオエンは微笑みかけ。
震える彼を落ち着かせるよう修練場に座り込み、いつまでも背中を擦っていた。