~閑話~ 知りたい事
「ようこそ、人族の国の使者よ」
「招き入れていただき、感謝いたします」
軍服を纏ってゼルスに跪くバーナーに向けて、美代はこっそりと手を振った。体勢は変えないままに、指先が軽く床を叩いたのを見て、口元を隠すように微笑む。
建国記念日から約一か月が経っていた。一週間ほどはまともに声を出すことが出来ず、不安に夜も眠れなかったのを覚えている。
しかし、ゼルスやヘーゼ、ケイロスから献身的な世話を受け、自分が思っていた以上に削られていたらしい体力の回復と、精神的疲労を軽減してもらった結果、こうして普通の生活に戻れていた。
その間の叱責や小言は甘んじて受け止めた。彼らのそれは、自分のことを本当に想ってくれているからだと、ちゃんとわかっている。
それから、ヘーゼからバーナーと会ったことを聞き、ゼルスに申し入れて謁見の場を整えたのだ。
「この子達から話は聞いている、長い旅路、ご苦労だった」
「ありがたきお言葉です。本日は純血妖精族およびに混血妖精族の歴史を知りたく参りました、なにとぞ、我が矮小なるレイリア国のために、ご助力を頂ければ幸いです」
「ここではなんだ、応接間へ案内しよう。……セイント、使いを頼んでもいいか」
一緒に話をするものだと思っていたので、困惑してしまった。ポン、と渡されたのは羊皮紙の束とワインが入った籠で、首をかしげる。
「ディスティが使用している薬草の中で、こちらで自生している物と繁殖が可能な物、不可能な物を纏めたものだ。それは土産として渡してほしい、ラオエンに催促している、薬草の一覧も受け取ってきてくれないか」
「え……でもラオエン、様は、お酒は」
「後継者育成に勤しむあまりに、少々業務が疎かになっているようでな。それならば、若長に振り回されているだろう側近に渡るのではないか」
苦笑しているゼルスに、美代も同じ表情になってしまった。
ブラックが複数の業務を並行して行うのが苦手なのは知っていたが、どうやらラオエンもそうらしい。業務が滞った時にダークネスは割と容赦なく急かしているようだが、ダークはどうしてもブラックに甘い。
結果、カウンツやチチェに協力してもらいながらあれこれ抱え込んでしまっているようだ。
美代の仲間だからという他にそんな事情もあって、ゼルスはダークのことも気に掛けてくれる。それが嬉しくてキュッと目を閉じ、微笑んだ。
「では、いってきます」
それに、最近はブラックの姿を見ることもなかった。魔族の元へのお使いならば、久し振りに話ができるかもしれない。それもまた、嬉しかった。
「バーナー、また後で!」
「数日はお世話になる予定だ、今日はゆっくりしておいで」
「ヘーゼ、護衛を」
「御意に」
二人が出たのを見送って、部屋に通すと茶を淹れた。バーナーは深く頭を下げ、まずは香りを楽しむ。
「国王陛下御手ずから、淹れていただけるとは。ありがたく頂戴いたします」
「そんなにかしこまらなくても構わない、セイントの、大切な仲間なのだろう」
「そういうわけにもいきません。私は今、使者として参っています」
少しの間考えていたゼルスは、おもむろに立ち上がって立派な羽織を脱ぎ捨てた。無造作に王冠を掴むと適当に放り投げ、ソファに座りなおしてどこか楽しそうにバーナーを見る。
王冠は乾いた音をたてながら跳ね、床を転がり、壁にぶつかって倒れた。何のつもりかと眉を顰めて見据えれば、両腕を広げられる。
「いまの私は国王ではない、ただのゼルス・コントラ・ライン・ファータだ。魔族が純血妖精族を滅ぼすように仕向け、新たに混血妖精族の国を起ち上げようと、四苦八苦している一人の愚かな男だ。
さぁ、今から私が知る限りの歴史を話そう! しかしタダでは教えられん」
何かしらの要求があるのは、予想の範疇だ。これまでとは違い、彼とは正真正銘、初めましてだから。
とりあえず、彼が身分を捨てるというのならばこちらも倣おうと、軍服を炎に変えた。目を丸くして凝視してくるゼルスに、ただ姿勢を正す。
「どうなっているんだ、その服は」
「……オイラの炎が素材になっている。だから着る時には、炎を纏えばいい。服を作るときに魔力を籠め、構造を変えた」
「なんと……。お前は本当に人間か?」
「よく訊ねられるが、人間を辞めたことはない」
濃い空色の目を細めてカラカラと笑う様子は、美代との血の繋がりを感じた。目元に弧を描いて肩を揺らし、足を組んだ彼は人のいい笑みを浮かべている。
「なに、簡単なことだ。……美代のことを、教えてほしい」
「美代の事?」
「そうだ。私はあの子を、セイントとしてしか知らない。だから美代としてのあの子を知りたい。
どんな生活をしてきたのか、どんな人々と触れ合ってきたのか。旅の最中はどのようにしていたのか、お前たちが呼ぶ、美代の姿を知りたいのだ」
「……オイラが見てきた限りのことを、話しましょう」
そっと口の前に指を立てるバーナーに、ゼルスは眉を顰めた。音ひとつ立てずにドアへと歩いて行ったのを見て息を詰め、鋭い目を向ける。
気配は全くしなかった。それなのに、彼は何かを感じたというのか。
「……失礼します」
ドアの前まで行くと深く息を吐き出して、容赦なく、壊さない程度に拳を叩きつけた。けたたましい音が部屋いっぱいに響いて、思わず耳を塞いでしまう。
「盗み聞きは、よくねぇなぁ?」
「――! き! み! は!」
「ヘーゼ! セイントの護衛をしろと!」
聞き耳を立てているところにドアを殴りつけられたのは、ひとたまりもなかったらしい。耳を塞ぐよう頭を抱えて廊下に座り込み、涙目で見上げてくる。
目を怒らせて立ち上がるゼルスに手を軽く上げ、ヘーゼの腕を掴むと立ち上がらせた。
「美代は瞬間移動術が使えるから、ブラックの元であれば護衛は不要だろう。……悪いな、あいつの兄貴の立場を譲る気はねぇぞ」
「光栄に思いな、ボクがこういうことを言うのは珍しいんだから。……きみの事、ほんっきで嫌いだね!」
「そりゃどぉも」
クツクツと喉を鳴らして笑うバーナーは楽しそうで、ヘーゼは腕を振り払うと顔をしわくちゃにした。思いきり睨みつけてゼルスの隣に座り、腕を組んでそっぽを向く。
ゼルスはそんなヘーゼに苦い顔を浮かべ、バーナーに軽く頭を下げた。
「愚息が、すまない」
「構わない、そいつも美代のことが気になっているんだろう。……オイラが初めて会ったのは、美代が十二歳の時だ」
そうして話し始めれば、気にするよう視線だけがチラチラとこちらを向いて来て。
バーナーは肩を揺らし、笑った。