届かない
ギリギリと痛む胃を、ニルハムではどうやって止めればいいのだろう。胃薬の類似品はあるのだろうか。
顔には笑みを張り付けながら、そんなことを考えていた。パーティーが始まる前の、ゼルスの演説は聞き流している。そうするよう、本人とヘーゼに言われているからだ。
「――ここ、混血妖精族の国、ティータの建国を記念し。身分も立場も、血筋も気にせずに。皆が楽しく祝えることを望む」
そう。
今日は、純血妖精が滅んだあとに、混血妖精族の国が出来た記念日。
城を開放して、一族のみんなで、迫害からの解放を祝う日。
「乾杯!」
杯がぶつかり合い、歓声が上がる音が、遥か遠くから聞こえてきているようだった。自分もゼルスの隣で同じように動いているけれど、自分の体ではないみたいだ。
「セイント、大丈夫」
背中を突かれ、見上げるように振り返った。心配そうに眉を寄せるヘーゼが寄り添ってくれていて、ふにゃりと笑う。
「ありがと、だいじょうぶ」
「辛かったら、部屋で休んでいて。宰相どもには必ず、罰を与える」
「ダメだよ、元々、十年ごとにやる催しなんでしょ? 宰相様たちは、何も悪くないよ」
美代の返事に、ヘーゼは顔を歪めた。話が聞こえていたのだろう、ゼルスが持つ杯からも、ピキリと乾いた音が聞こえてくる。
ゼルス自身は、純血妖精からの迫害が終わった日を祝う宴を、過去に行った一度だけで終わらせるつもりだった。美代がティータに入ってからは、催すつもりは毛頭なかった。
それなのに。宰相たちが陰で企てていて、美代をも丸め込んで準備を進め、気付いた時には手遅れとなっていて。
彼女は、立食パーティーだとしか知らされず、支度を手伝わされたのだ。
「ごめんなさい、私が国に慣れるのが遅くて、開催が遅くなってしまって」
「それは違うよ、セイント。だってこんなの」
「ヘーゼ様ぁ!」
キラキラと明るい声で呼ばれ、ヘーゼはどうにか笑みを浮かべるとそちらを見た。ドレスを纏って綺麗な化粧を施した数人の女性が、近くに来ている。
「一緒に踊ってくださいな!」
「すまない、ボクは」
「行ってきて、ヘーゼ」
信じられないものを見るように、目を見開かれた。それでも美代は微笑んだまま、女性の方を見る。
キラキラと輝いている彼女たちは、おそらく貴族らしい彼女たちは、この日を楽しみにしていたのだろう。
ただでも遅れてしまった記念日なのに、自分のせいで壊してはいけない。
「私はだいじょうぶ。だから、彼女たちの楽しみを奪わないであげて」
「セイント……!」
「私とも踊ってくださいな、以前の記念日の様に!」
「ヘーゼ様ぁ」
両脇から腕に纏わりつかれ、体を硬直させた。表情は崩さないように緊張しながらも片膝をつき、美代に頭を下げる。
「……しばらくお傍を離れることを、お許しください」
「いつも護衛をありがとうございます、楽しんできてください」
引っ張られるようにして離れていくヘーゼを見送り、ゼルスを見上げた。傍に来ている大臣と話をしながらも、不安そうにこちらを気にしてくれている。
「陛下、私はだいじょうぶです。いつも、ありがとうございます」
笑いかければ、少しでも安心してくれたのだろうか。頭を撫でて頬にキスを落としてくれて、席を離れていく。
ゼルスの背を見送って、ヘリュウからもらったベリー酒を一口、含んでみるけれど、味なんてしなかった。
「セイント様」
声を掛けられ、肩を震わせるとゆっくり振り向いた。顔も名前も知らないけれど、貴族らしい男性が立っている。
「お手をどうぞ」
「え、えっと」
「さぁ、演奏が始まりましたよ。踊りに行きませんか」
音楽隊の演奏が流れ出し、ゼルスが会話を弾ませながら耳を傾けているのが見えた。ヘーゼも女性と代わる代わる踊り、町の人々も体を揺らしている。
この男性に対する、正解の行動は何だろう?
「……ありがとうございます、不慣れですが、よろしくお願いします」
椅子のひじ掛けに杯を置き、男性の手を取った。慣れないヒールにバランスを崩しながらも広間まで歩き、彼に合わせるよう体を動かす。
社交ダンスは未経験だ。見よう見まねでやるしかない。
「セイント様が降りてこられているぞ」
「純血の方なのに、我々に混ざって踊られるのか」
すれ違いざまに聞こえた会話は聞き流した。対面している彼がイヤな顔をしないように、何でもないフリをする。
「今度は私と」
「相手を変えたぞ」
「すごいよな、自分の国が滅んで出来た国の、記念日なのに。笑っていられるの」
ただの雑音だと言い聞かせ、心配そうな視線を送ってくるヘーゼにも笑いかけた。
彼らにとって、今日は喜ばしい日なのだ。城を開放して祝うべき日なのだ。自分が、水を差してはいけない。
「本当に、あのフラグーンの娘なのか?」
「到底、同じ血が流れているとは思えないな」
父親のことを言われても、聞こえないフリ。こんな時ばかりひそひそ話を拾ってしまう耳が恨めしい。
「セイント様、良かったら食べてみてくださいな!」
「お口に合うかわかりませんが、どうぞ!」
「庶民的なものも食べるのね」
「王族らしくないよね」
キリキリ、キリキリ。
味なんてしない食べ物を食べ、飲み物を飲めば胃が痛む。
それでも、彼らが嫌な思いをしないよう、笑顔を張り付けて要望に応える。
「ゼルス様のおかげですなぁ、我々混血がこうして、無事に暮らしていけるのは」
貴族の男性たちに連れ回されて、皮が剥けジクジクとかかとが痛むのを堪えながら歩いていると、こそこそと小さく話している声が耳元で聞こえてくるようだった。遠くにいるゼルスと視線が合ったような気がして、緩く頬を持ち上げる。
「よく笑っていられるわね」
「ヘーゼ様も護衛をさせられて、苦労なさっているでしょう」
ついに、視界で星が瞬き始めた。それでも大丈夫だと、台無しにするなと、言い聞かせて。
「なにがゼルス様の子か、大罪人の子が」
こほん、と小さな咳をしただけなのに。
「せ、セイント様!」
「どうされたのです!」
口元を抑えた手と、腕と、ドレスが、どうして赤黒く染まっているのだろう。
「お前たち、どけ!」
険しい顔をしたヘーゼが、いつの間にか目の前にいた。呆然と見上げ、条件反射で笑ってしまう。
「ごめんなさい……せっかくの、お祝いの、場なのに」
「言っている場合じゃないだろう! なにがあった、お前たち、セイント様になにをした!」
剣を出して柄を握るヘーゼの裾を力なく握り、口の中に残る血を吐き出した。貴族の男性たちは愕然とした表情で立ち竦んでおり、申し訳なさに目尻を下げてしまう。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。治療術」
胃が痛かったのは、極度の緊張で胃壁に穴が開いてしまっていたかららしい。原因がわかれば対処は簡単だ。
詠唱すれば予想通り、痛みが幾分マシになった。しっかりと立っているつもりなのに、実際にはそうでもないらしい。ヘーゼから体を支えられて、へらりと笑いかける。
「ごめんなさい、ビックリさせて」
「セイント、なにがあった」
ゼルスも、歪んだ顔で正面に膝をついて座っていた。自分は立っていたはずなのに、いつの間に座り込んでしまったのだろう。陛下に膝をつかせてしまうのは、失礼だ。
「ごめんなさい、もう、だいじょうぶです。ごめんなさい、建国記念日を遅らせた挙句、こんな騒ぎを起こしてしまって」
「立つな……! いいから、座っていなさい!」
立とうとすれば無理やり座らせられ、ぬるいタオルで手と顔を擦られた。ドレスも、血を隠すよう大きな布を掛けられている。
流れていた音楽は止まり、響いていた談笑は完全に消えて、視線が自分に集中していた。
楽しんでいたはずの祝いの場を、自分が、壊してしまった。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい、……ごめんなさい、わたし、わたしのせいで」
「なにを謝る……? セイント、どうした、どこを見ている? 私がわかるか? 私を見ろ!」
「兵士、セイント様の壁になれ!」
体を揺さぶられても、自分の体ではないようだった。ガチャガチャと重い鎧の音がして、鉄の壁で囲まれてしまう。
あぁ、そうだ。今の自分は血まみれで、とても見苦しい。
「わたしは、へやに、もどります」
「その前に医務室だ、ヘーゼ、付き添って」
「だいじょうぶ、ひとりで帰れる。……だから、えっと、ごめんなさい。みなさんは、お祝いをしててください」
「セイント」
「ご迷惑をおかけして、ほんとうに、申し訳ございませんでした」
魔力をかき集めて空間を歪めれば、次の瞬間には自分の部屋だった。鏡に映る血まみれの姿がなぜだか可笑しくて、込み上げる笑いを堪えるよう、手で口を隠す。
ぼとぼとと流れ落ちる水滴に、喉の奥が小さく鳴った。
「バカだなぁ。本当に、バカだ」
ゼルスが自分の娘だと言ってくれたからと、彼らの恨みや憎しみが消えるわけではない。押さえつけられた感情は、機会があればあふれ出す。
「そんなことわかったうえで、ここにいるのに。彼らのために、耐えることすらできないなんて」
鏡の中の自分は、へらへらと笑ったまま大粒の涙を流していて。
それがまた滑稽で、声を出して笑った。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
息を切らし、部屋のドアを開こうとしたヘーゼは、笑い声に指を痙攣させた。
もはや祝いの席どころではなく、国民の収拾はゼルスに任せて姿を消したセイントを追った。元々開くべきじゃなかった宴なのだ、陛下の誕生日の時にでもまた開いてやればいいだろう。
それよりも今はセイントを支えるのが先だと、自分の魔力では空間を歪める移動術が使えないから飛ぶしかなくて、息を整える間も惜しんで来たのに。
彼女の笑い声が恐ろしくて、ドアノブを持つ手に力が入らない。
「ヘーゼ、いるんでしょ」
「せ、いんと」
「やっぱり!」
普段と変わらない声音に、背中を汗が伝った。開けた口からは空気が走る音しか出てこない、いま、なんと声を掛ければいいのかがわからない。
「ごめんなさい。せっかくのお祝いの日だったのに、メチャクチャにしちゃった」
「そんなこと」
「純血からの迫害が終わった記念日を、私が壊しちゃった。どうしよう、また、純血が、みんなのことを……!」
「セイント、入るよ。何があったの、お願いだから教えて!」
「止めて!」
悲鳴に、肩が跳ねた。声の近さから、ドアの向こう側にいるのだろう。咳き込み始めた彼女に血の気が引いていくのを感じるけれど、それでも強行突破することも出来ずに縋りつくよう座り込んでしまう。
「誰も悪くない。ただ、私が弱かっただけだから」
「セイント……」
「おねがい、いまは、放っておいて。わがままを言って、ごめんなさい」
励ましたいのに、支えたいと思っているのに、隣にいることすらできないのか。こんな時、魔族の若長ならば簡単に傍に居られるのだろうか。
今は、自分の無力さがあまりにも歯痒かった。
「わたしは、だいじょうぶだから」
「……わかった。でも、忘れないで。誰もきみの事を責めたりしていない、みんなが心配していたよ。少し厳しい言い方になるかもしれないけど、きみには説明の義務がある。だから必ず、なにがあったか教えてもらう」
「……うん」
こんな言い方しかできない自分にも嫌気がさし、足早に部屋の前を離れた。動悸がする胸元を握るように押さえつけ、荒い呼吸を繰り返す。
「ヘーゼ様、セイント様のご様子は」
「セイント様はご無事で……」
「セイント様は」
「セイント様」
「セイント様」
普段彼女に声をかけることもしないくせに、こういう時ばかり心配したように装って話しかけてくる城の者たちにすら苛立ち、返事もままならない状態で飛び出した。
感情のままに飛び続け、人の気配のない場所に降り立った。木に手をつき、肩を上下させながら大きく息を吐き出す。
「……きみが、こんなに良い子じゃなかったら、よかったのに……!」
建国記念日に城を開放しての宴を、と始めに言い出したのは自分だ。
混血妖精族が長い迫害から解放されて、自由を得た日を祝うべきだと。
ゼルスが純血妖精族を滅ぼし、導いてくれたから皆が助かったのを忘れないよう、国を挙げて祝うべきだと。
乗り気じゃないどころかやる気すらなかったゼルスを、国営を少しでも行い易くするためにと唆した。
純血妖精が憎くて仕方がなくて、ゼルスが純血妖精族の最後の王女を気に掛けていたのが腹立たしくて。もし万が一にでも、そいつが国に入ることがあった時に、精神的に痛みを負えばいいと思っていた。
今回の結末を迎えさせたのは自分だ。
あの時の自分が、セイントが吐血してしまうほどに、彼女を苦しめた。
「思わなかった、想像もしなかったんだ。フラグーンの娘が、こんなにも……他人のために、自分を犠牲にしてしまう子だなんて。は、昔のボクの思惑通りになっちまったわけだ。
ボクのせいだ。ボクがセイントを追い詰めた……!」
カサリ。
草を踏みしめる音に鋭く振り返り、細く息を吐き出して剣を握った。
ここは、自分がセイントを見つけた場所。つまりは国の外。
近付いてくる人間は、警戒しなければならない。
「誰だ、何の用でここに来た」
唸るように言うけれど。
黒い服の男は、表情一つ変えなかった。