~閑話~ 気にくわないやつ
「手荒い歓迎やのぉ、小僧が」
縄張りに盗賊団頭が侵入してきた、と報告を受けてきた黒疾は、胃がキュッと締まるのを感じた。信じられないことに、紺色の髪を地面に垂らしながら大人しく押さえつけられている男は、薄く笑いながら見上げてくる。
「舐めた口をききやがる、てめぇの状況がわかってんのか」
「雑魚に大人しゅう、捕まってやっとるやん? ワイもすっかり、丸くなってしもうてなぁ」
「役人の狗に成り下がった奴から何を言われても、怖かねぇな」
「止めろ放せ、藍のを、放せ」
念を押すように命じられた若い男は、眉を寄せて黒疾を見上げた。地面に跪かされ、首先に切っ先を突き付けられるヘリュウはニヤニヤと笑ったままだ。
「しかし頭! こいつは役人に下った」
「お前はまだ盗賊になっちまって短いから、知らなくても仕方がないが。オレが盗賊になったのと同時期からやってるやつらの、常識だ。ヘリュウ・マイムには手を出すな。
藍の剣なんて可愛い二つ名を付けられているがな? 死神よりそいつの方がよっぽど死神だぞ」
なおも食い下がろうとしてくる手下に、黒疾は笑いそうになった。もちろん微笑ましいからではない、顔が引きつったからである。
「いいから、放せ。それともなんだ、お頭の指示が聞けねぇっていうのか」
「かしら……」
「血の気が盛んでいいわぁ、ワイがもう少し若かったら、どうなってたんやろうねぇ?」
押さえつけてくる腕を筋力だけで押し返し、口先で詠唱すると首元の剣を凍てつかせた。目を丸くしている男に眼光も冷たく、足を払って転ばせると腰に隠して下げていた短剣を、喉元に当てる。
「えぇか、若いの。死にとぉなかったらお頭の言うことは大人しゅう聞くもんやで? よかったなぁ、おどれのお頭がこれで。ワイのところなら、首と体がお別れしとるところや」
「なかなか、どうして。お前の全盛期を知らないやつらが増えてきてな……」
「しゃあないわ。ワイももうすぐ五十になる。……こんなに長生きしてしまうなんざ、想像も、しとらんかったわぁ」
なんとなく遠い目をしながら、短剣を仕舞った。首から一筋の血を流す若い男を逃がすように追い払い、ヘリュウの一挙一動を見逃さないよう見つめる。
「今日は何の用だ」
「こんな所で立ち話させる気か? おどれも拠点は動かさんから、あるやろ、自室。案内せぇ」
この男に関しては、二つ名を得て頭になる前から知っている。育ての親である先代お頭から、散々言い聞かされている。
『ヘリュウは冷酷な人間だ。おおよそ、人の感情を持ち合わせているとは思えない、奴が笑うのは相手を始末する時と、した時だ。
だから気を付けろ、派手な殺し方をしないから賞金が付かないだけで、実力は相当なものだ。万が一殺り合う機会が出来てしまったならば、確実に殺せ。生かせば必ず殺しに来る』
そんなことを幼い頃から聞かされていれば、怖さを覚えても仕方がないだろう。
「……殺り合う気は、ないんだな」
「あるんやったら、あんな洟垂れ小僧に捕まってやるかい。おどれに、興味があって来ただけや」
冷たい笑いに頬を引き攣らせ、なんとか笑い返したのはいいけれど。
キリリと痛む胃に、ソッと手を置いた。
部屋に連れて入るなり何かを放られ、振り向き様に受け取った。米酒のようで、訝し気な視線を向ける。
「死神からの土産や、一人で飲むのもええんやがな?」
「……レイリアの役人になっていたな、そういえば。お前とも繋がりがあるのか」
「せや。ほんま、気に喰わんガキやで」
眉間にしわを寄せながら椅子に座り、足を組んだ。懐から紙タバコを取り出して片手で器用に巻き、魔道具に魔力を流して火をつけている。
こちらは非喫煙者なのだが、という文句は飲み込んだ。
「おどれ、幾つになった」
「……あー、えー。四十と……?」
「おどれ死ねんのやろ、なら滅んだ風のか」
いきなり核心をつかれて、出してやろうとしていたコップを二つ、握り砕いてしまった。血みどろな両掌を唖然と見ていれば、引き笑いが聞こえて振り返る。腹を抱えて涙まで流していた。
「動揺しすぎやろ! はいそうです、言うてるのと変わらんわ!」
「うるっせぇな。なんでそう思ったんだよ」
「記憶が正しければ、おどれとワイは四、五歳ほどしか変わらん。それなのにおどれは若いまま、ワイはこぉんなにも老けてしもうて。……せやったらあのガキんちょハンターと同じや、なんて簡単に想像つくわ」
「一族まで当ててくれてまぁ、どうも……」
深いため息を漏らして両手に布切れを巻き付け、コップを投げつけた。片手で受け取ると手酌して飲み始める彼に、自身もコップに注ごうとする。
「治療術」
「なっ」
「ワイは水系統の術を、言えば白い柱の力を借りる術を得意としとる。そりゃあ疲労はするが、使えんことはない」
コップに並々と酒を注がれ、治療された手で持つと喉に流しいれた。
バーナーからの土産というだけあるらしい、ほどよい辛さの中で、奥底に残る米の甘さ。口から鼻に抜けていく香りに、思わず目を細めてしまう。
クツクツと喉の奥で笑われて、また、眉を寄せてしまった。
「あのガキ、老けた? なんざ抜かしやがった」
「死神が、お前に?」
「あれ、自分の中で時が止まったのを、まだ自覚できてへん」
愉快そうに笑いながらも、不愉快そうに吐き捨てて、随分器用なことをするなと感心してしまった。タバコを深く吸い込むと歯の隙間から煙を吐き出し、半ば自棄気味に酒を飲み干していく。
「さぁて、そんなんで耐えられるんかねぇ?」
「……オレも同じなんだが?」
「真っ当に生きとらん奴なんざ知るか、死神もほんと、気に喰わん」
吐き捨て、タバコをもみ消した。髪をかき上げると目尻にしわが見え、黒疾はなんとなく眉を下げてしまう。
「ガキのくせにガキらしさもなく、真っ直ぐに生き過ぎるあれが、癪に障る」
「つってももう、三十は超えたろ」
「ガキに変わりないわ。それにワイが初めて対面したんは、あれが十四の時。その時から重々思うとる」
二本目のタバコに火をつけて、部屋に紫煙を漂わせた。この男が自分の何に興味を持ってきたのかがいまいち判らず、とりあえず見守ってみる。
「あんなん、死神でも悪魔でもないひよっ子やん。あの涼しい顔ぶちのめしてやりたいわ」
「また物騒な……」
「ワイらみたいに好き勝手に生きるならどうでもえぇ、せやけどな、好き勝手に生きても文句を言われん歳で、おどれを殺して見も知らん奴らのために死ぬ生き方を選んだ。生意気やろ」
引っかかりを覚えて、ヘリュウを凝視した。彼はコップを傾けて眺め、熱っぽい吐息を漏らしながら、口角を歪める。
「あん時は知らんやったがな。あのガキ、一回と言わんくらいには死んどるで」
「……それは、神の子として旅をしている時の話しか」
「知っとるなら早いわ。死ねんことを利用して、率先して死ににいきよる。しかも心身ともにな、ほんっま、質が悪い」
苛立ちながら言うそれは、心配という感情なのではないか。
なんて疑問を、ぶつける気は起きなかった。敵に回すようなまねはしたくない。
気付けば米酒も空っぽで、とりあえず自室に置いていた麦酒をヘリュウに注いでやった。わずかに口角が緩み、楽しそうに目元が笑う。
「壊れるのも、時間の問題やなぁ?」
「……壊さねぇよ」
「あ?」
凄むように睨まれて、苦笑してしまった。
「お前が言う通り、オレも死ねないからさ。あいつが壊れないように傍に着いててやるつもりだ、オレも盗賊だからウザがられるだろうがよ、年齢だけみりゃあ親子みたいなもんだし」
「ワイならこんな親父はいらん」
「てめぇにだけは、言われたくねぇわ!」
三本目の煙草を咥え、喉の奥で笑った。差し出されれば受け取らないわけにもいかなくて、とりあえず火をもらい吸ってみる。
むせるまでもないけれど、正直な感想として、マズい。好んで吸う者の気持ちはわかりそうになかった。
「ところで用はなんだよ」
「言うたやん、一億ガロンの化け物に興味があるだけやて。人型の使い魔も出来たし、ふらっと散歩に来ただけで用なんざないわ」
ヘリュウの町からここまでは散歩感覚で来る距離ではないが、酒を干しながら部屋を見回す彼は、本当に用件もなく駄弁りに来たようにしか見えなくて。
口角を痙攣させるように笑い、タバコをもみ消した。