その価値は
女王モモの側近となり、どれほど経ったか。
魔族を訪ね、銀世界へ走り、雷雲族の元へと飛んだ。今は海中族へ行くために、ヘリュウの町へと向かっているところだ。
レイリアが正しく世界の記録を遺せるよう、世界を巡れ。
護衛長としての任の他に、モモが自分に下した命令はこれだけだ。彼女の意図も解っているから、苦痛に思ったことは一度もない。
女王は、自分が旅の仲間たちと会う機会と切っ掛けを与えてくれているのだ。
「お待ちしておりました」
「……む」
ひたすらに走っていると、町の入り口に青年が立っていた。藍色の短髪を揺らしながら丁寧な礼をされ、立ち止まってしまう。
ヘリュウの使いとして、迎えに来てくれたのだろうか。ならばこちらも正装に着替えた方がいいかと、炎を出した時。
イフリートが飛び出してきて威嚇を始め、咄嗟に体を押さえつけてしまった。
「そんなに過敏にならなくとも、あなたの主人を客人として迎えているのですよ、そもあなたでは私に勝てないでしょう、相性が悪すぎます」
「……まさか」
「はい。ヘリュウ・マイムの使い魔、名をルカと申します」
いったい、いつの間に。
ヘリュウが使い魔と契約したなんて話は聞いておらず、目を丸くしてしまった。
「地上ではこのような姿を取らせていただいていますが、水中ではシャチとなります」
「……オルカで、ルカか」
「その通りです。我が主の元へ案内いたしましょう、ご家族もお見えですよ」
誰のことだと首をかしげるも、ルカは主人とよく似た薄い笑みを浮かべるばかりで。
とりあえず促されるがまま、着いて歩いた。
軍服で盗賊の町を歩くのは、視線を浴びてうるさかった。それでも、レイリアからの使いとしてきている以上、脱ぐ気はないし胸を張って歩いていく。
案内されたのはヘリュウの部屋。彼に用があってきたのだからそれは当然なのだが、見えた姿に目を剥いてしまった。
「美代! なんでここに?」
「バーナー! どうしたの、その恰好?」
「来たか死神、いま、この嬢ちゃんに説教中やで」
頭を痛めているのか、ヘリュウは眉間にしわを寄せて額に手を置いていた。美代はソファの上で体を小さくしているし、何が起きているのか理解が追い付かない。
「説教……?」
「おどれは知っとんのか、人間やのうて妖精族で、最後の純血で、挙句に王族やって?」
「あぁ、まぁ……」
「ほんまもんのアホやぞ、この嬢ちゃん。自分の希少価値を欠片もわかってへん」
「なにがあったんだ、なにが」
今にもべそをかきそうな美代に、バーナーは隣に座ると背を撫でた。眉をハの字に寄せたまま、困った様に見上げてくる。
「今度、お城を開放して、立食パーティーをするんだって。お酒が苦手な人でも飲めそうなのがないかって困ってて、知ってたから、買いに出て」
「待て待て、なんで王女のお前が?」
「その……お城の人に、頼まれて。陛下に外出することを伝えたら、許可をくれたから」
「護衛もなしに一人で出るのを?」
「断ったんだ。兵隊さん達も準備が大変そうだったし、一人でも大丈夫だろうって思って」
「んで、ワイの縄張り圏内で賊に襲われとったと」
眉を下げて落ち込み、申し訳なさそうに頭を下げた。どうやらヘリュウが助けてくれたらしい。
「藍の、オイラの妹分をありがとうな」
「問題はその後やアホんだら。そりゃあな? 冗談で言ったワイもあれやったが、本気にされるとはこれっぽっちも思ってへんかった」
ギリギリと眉間のしわを深くしていくヘリュウを見上げ、開きかけた口を閉じてしまった。
綺麗な紺色の髪の毛には白髪が混ざり始め、目尻や口元のしわが一目でわかるほどに増えていたからだ。
「おまえ、老けた……?」
「あぁ? 喧嘩なら買うぞ死神ぃ。ワイももうすぐ五十になる、棺桶に片足突っ込みかけとるわ。話反らすなボケ」
「いや、そんなつもりでは」
「その嬢ちゃんな、礼をさせてくれ言うから血をくれ言うたら、躊躇なく腕を切り裂きよったで。何を考えてん?」
美代を見れば視線を合わせないよう目を伏せていて、膝の間に腕を挟むようにして座っていた。優しく掴み、持ち上げれば、傷跡はないけれど袖に血の跡が残っている。
それは、ヘリュウの話が事実だということを如実に伝えていた。
「だって、血でいいんなら、いくらでもあげられるのに。誰にでもあげるわけじゃないよ、ヘリュウさんならいいかなって」
「おどれの妹分、こんなアホやったか?」
「美代、そういう問題じゃないだろ?」
「……でも、私はほかに、何も持たないから……」
戸惑うように言う美代は、自身を卑下しているように感じた。ヘリュウも同じだったのだろう、眉間のしわをようやく緩めると美代の頭に手を乗せる。
以前は、手を伸ばされてきつく目を閉じるような動作を、していなかったはずだ。
「あんな。嬢ちゃんらはブルーの大切な友達や、嬢ちゃんらが傷付けばあの子が悲しむ、せやから守ったる。それはわかるか?」
「………」
「それなのに、自分から傷付いてどうするんよ。それに女の子やん? もっと自分の事、大事にしたりぃ?」
「でも」
「でもやない。それに言うたやろ、純血妖精族の、しかも王族の血なんてレア物、魔術師なら目の色変えて欲しがるもんや。誰にでもあげへんから? 問題はそこやない、万が一にでも出所が知られたら嬢ちゃんは囲われるで」
力強く頭を撫でられてもなお、美代は目を伏せていた。バーナーからは励ますように背を擦られて、視界が滲みそうになるのを唇を噛みしめて耐える。
「妖精族の血には魔力がある、増強剤になる、魔方陣や魔道具を作るのに使える。寿命が延びる、なんかも言われていたか。
挙句にこれまでは他一族との交流もなかったから、より貴重品扱いだ。それを簡単に扱ってはいけない」
「それなら、なおさらお礼になるでしょう?」
「こんなわからず屋やったか、この嬢ちゃん?」
とうとう呆れられたらしい、ヘリュウが口を曲げてバーナーに視線を送った。当初の目的は放り投げたまま、困った様に美代を見る。
委縮したように体を小さくし、泣きそうな顔を伏せ、涙を耐えるように震える姿はこれまで見たことがなかった。
「わかった。率直に言おう。お前が傷付くところを見たくない、ヘリュウもそう言っているんだ」
「なら、私は何をお礼にすればいいの?」
「あーもー、わかった!
縄張りに入ってきたボケを追い払ったら、たまたま嬢ちゃんがおった。縄張り争いに巻き込まれんでよかったなー危なかったわぁ!
はい、これで終いや! 礼もなんもいらん!」
鼓膜を裂かんばかりに手を打ち鳴らされて肩を跳ね上げると、心配そうに顔を覗き込まれた。口は引き結んだまま、小さく頭を下げると、二人分のため息が聞こえる。
「とりあえず死神、おどれの用件をさっさと済ませぇ。預かっとるから送ってきぃ」
「すまない、ヘリュウ。実はどこに?」
「ルカに行かせる。嬢ちゃんは帰るのが遅くなっても大丈夫か?」
「……はい。パーティーに間に合えば、大丈夫です」
ヘリュウが緩く腕を上げれば、最初にバーナーを連れてきた青年が礼をして入ってきた。そのまま青年に着いて部屋を出ていくバーナーを見送り、上目遣いでヘリュウを見る。
苛立たしそうに髪をかき上げているのは、自分のせいだ。
「その、ヘリュウさん。ごめんなさい」
「なにを謝るん」
「えっと」
「自分、何を怒られたかわかっとるんか? 結局。何年前や、もう二十年近く前になるか? 最後に会ったのは。その時はそんな挙動不審じゃなかったやろ」
言葉を失った自分を、ヘリュウはどう思ったのだろう。
最後に会ったのは、セデールの人たちがお世話になったあの時だ。あれからもう、二十年近くが経っているというのか。
「妖精族は滅んだんやろ、どこにおるん」
「……混血妖精族の、国に。国王陛下が私の叔父なんです。周りの人がみんな、姿が変わらないせいか、時間の感覚が狂ってしまったみたいです。もう、そんなに経つんですね」
「普通に話せ、なにを緊張しとるん」
微妙に嫌そうな顔をされて、頬を掻いてしまった。放り投げられたものを慌てて受け取れば、何かを確認する前に、目の前に瓶が差し出される。
この香りは知っている。これを探しに来たのだから。
「ワイの酒が飲めんとは、言わんなぁ?」
「……いただきます」
放られたコップに、大人しくベリー酒を注いでもらった。わずかに口をつければベリーの香りが鼻に抜け、甘さが口いっぱいに広がる。これなら、お酒が苦手な人でも、少しは楽しめるはずだ。
「バーナーは、どうしてここに?」
「ブルーに用があるんやと。海中族に行くための実を、ワイがいくつか保管しとるからな。同盟五か国の公僕やからワイも大人しく手伝ってやるわけや」
「こうぼく?」
「知らんの? あれ、レイリア女王の護衛長やで。つっても護衛の他には、特異能力一族への使者として走っとるみたいやが」
初耳だった。察してくれたのだろう、ヒョイと片眉を上げながら杯を煽る。
「急やったもんなぁ、モモ女王の、結婚の儀の直前やったか、ルビーちゃんの仕事を引き継いだの。でももう十年くらいは経つで」
記憶が正しければ、みんながガーディアンとしての任を終え、地上に戻ってきてすぐの頃だ。
何も知らなかった。そういえば最後にみんなと会ったのは、いつだろう?
「しかし……ちと、安心したわ。嬢ちゃんが最後の純血で」
「え……?」
「兄貴分、大事にしたりな。死ねんのやろ、あれも」
盗賊頭であるヘリュウから、そんな言葉が出るなんて思わなかった。彼は気ままに、自分は舐めるように進めていくお酒で、瓶の中身は尽きつつある。
「国は楽しいか?」
「う、ん。何もわからない私に、色々教えてくれるの。みんな、親切です」
「ほー? 美代ちゃんが委縮するほど親切丁寧に、手取り足取り教えてくれるんやなぁ?」
細められた目が冷たく光り、美代は喉を震わせた。笑おうとしたけれど、口が歪んでしまっている気がする。
「なぁ、攫ったろか?」
「な、は?」
「妖精族の王女やバレて、知らん土地で誘拐されて行方不明。国のやつらが捜しに来ても後の祭り、あぁ可哀想な王女様は国には帰れませんでした。ってな?」
目元が弧を描くように笑った。合ってしまった視線を外すことが出来ず、喉がカラカラに乾いていく。
凍てつく瞳が恐ろしくて、唇を震わせても声が出てこなかった。もし、僅かにでも肯定の意を示してしまえば、彼はそれを実行する。
「盗った獲物に餌はやらん、好きに生きればいい」
「……私は、王族としての、純血妖精族としての責を負います。そのお気持ちは感謝します、だけどどんなに苦しくても……私は、国に帰ります」
「そか、残念やなぁ。……いつでも来ぃや、死神に連絡とるくらいしてやれるからな。たまにブルーと雷雲族の小僧も来るし、タイミングが合えば会えるで」
「ありがとうございます。ふふ、やっぱりヘリュウさんは優しいんだぁ」
「歳もとったらなぁ、ちぃっとは丸くなってしもうて」
苦々しく笑ったのを見て、口元を隠して自分も笑ってしまった。
面白いと思って笑えたのはいつぶりだろう。視界が滲んでしまい、慌てて俯いた。両手で口元をきつく押さえつけ、溢れてこないよう体を緊張させる。
それなのに。武骨な手で優しく頭を撫でられてしまえば、耐えることは出来なかった。
「兄ちゃんの前では、よう我慢したなぁ。泣いてるとこ、見られたくなかったもんなぁ」
「……うん。きっと、バーナーは気付いているけど。泣くところは、絶対、見せたくなかった。本当は、苦しいのも知られたくなかった……!」
「いっぱい泣いて行け、すっきりしたらまた頑張れるやろ。兄ちゃんが帰ってくるまでは自由時間や思うてな」
「ごめんなさい。ご迷惑をおかけします、本当にありがとうございます……!」
「寝泊りは宿を使い、野郎どもにも話はつけといたる。礼はいらん」
そこまでしてもらうわけには、と顔を上げれば先を越すように言われ、美代はクシャリと顔を歪めてしまった。
ただ、ブルーの仲間だというだけでここまでしてもらうのは、あまりに忍びない。
「……あっ」
ふと思い出したことがあり、空 魔 箱を開いて両手を突っ込んだ。怪訝な視線を受けながらも目的の物を探して引っ張り出し、包みを開く。
シャロムから持ってきていた、コピー用紙の束だ。確かニルハムでは、上級品だったはずだ。
「これ、お礼になる?」
「うお……ちょい見せてくれ」
束ごと渡そうとしたけれど、数枚だけ取られた。しばらく触ったり眺めたりして、満足げに頷く。
「良いもん持ってやるん、こんな上等な紙、そう簡単には手に入らんで」
「どこで手に入れたかは聞かないでくださいね……。これ、束ごとあげます。もう使う機会もないだろうし、まだあるから」
「そやなぁ、これならもらえるけど、こんな量をもろうたらいくつ借りにすればいいかわからんな。ここで好きに寝泊りして、飲み食いしてもろうても割に合わんかもしれんで」
そんなつもりではなかったのに、ヘリュウは愉快そうに笑っていて。
美代は目を擦り、涙を拭うと、ようやく普通に笑い返せた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
早めに切り上げてくれたのだろう、バーナーに迎えに来てもらい、三日ほどお世話になった宿のおじさんとヘリュウに礼を言うと国の近くまで連れてきてもらった。
バーナーの足だ。自分では数日かかる距離を、たったの一日で戻ってくれた。
「この辺りでいいのか」
「うん。もうすぐそこだから、あとは大丈夫!」
「そうか。……美代、辛かったらちゃんと言うんだぞ。ため込むのは昔からの悪い癖だ」
眉を寄せ、窘めるように言うバーナーは、以前と何も変わらなかった。それが妙に嬉しくて、安心感を覚えてしまって。
美代は一度目を閉じ、息を吐き出してまっすぐに見上げた。
「ありがとう。私はまだ、大丈夫」
「近々、混血妖精族のところにも訪問させてもらいたい。聞き入れてもらえるかはわからないが、レイリアが歴史を記録するためだ。また、その時に会おう」
「うん! 陛下にも伝えておくよ、人族との交流はまだないけど……きっと、大丈夫」
美代が拳を突き出すと、バーナーが応えるように緩く握った拳をぶつけた。顔を見合わせれば互いに、肩を揺らして笑う。
「それじゃあ、帰りは気を付けて」
「そっちもな」
ペコンと頭を下げ、詠唱して姿を消した美代に、振っていた手を握りしめた。掌に爪が食い込むのがわかるが、緩めることが出来ない。
「なにがまだ大丈夫だ、オイラが気付いていることも、気付いているくせに。……お前には笑っていてほしんだ、オイラ達みんな、そう思っているんだぞ」
美代が混血妖精族の国にいる限り、部外者の自分には何もすることが出来ない。
それが歯がゆくて、バーナーは目を閉じると深くうつむいた。