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再生記  作者: 夢野 幸
それぞれの道編
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王族として

 背後の気配に指を痙攣させ、恐る恐る振り返った。視線を合わせないように目を伏せたまま小さく会釈する。


「これはこれは。講義の最中に居眠りですか、純血の王女様は出来が違いますなぁ」

「……すみません……」

「宰相様。講義中に部屋に入ってこないで下さいと、何度お願いすればいいでしょう?」


 木版に向かっていたらしい先生が呆れたように目を細め、冷たく言い放った。クツクツと喉の奥で笑う宰相に美代は体を縮め、膝の上で拳を握る。


「ケイロス様はお優しいですなぁ。次期に女王となられるセイント様がこのようでは、国の未来が危ういというのに」

「ご安心を、セイント様は私の優秀な生徒です。……お引き取りを」


 肩を竦めるよう動かして出ていく宰相に、ケイロスはため息を漏らして扉を閉めた。落ち込むように俯く美代の頭に手を乗せて、書き写している文章に目を走らせる。


「さて、セイント様。読めますかな」

「……花が咲く、鳥が歌う。子ども達が、蝶を追う」

「正解です」


 銀髪を肩口で揺らし、満足そうに頷くと木版に向かった。墨を擦り落して修 復 術メティス・ティを使えば、最初の通り新品の木版になる。

 新たに書かれていく文章を、目を皿にして見つめ、羊皮紙に書き写しながら、美代の頭が再び揺れた。


 大分見慣れてはきたけれど、まだ妖精の文字は記号のようだった。油断すれば違う文字になるし、そもそも字にすらならない時もある。

 今習っているのは、幼児向けの絵本。それも言葉を覚え始めた子供が読むようなものだ。


「老いぼれ爺の言うことなど、お気になさらないように」


 必死に板書をしていると声を掛けられて、体が跳ねた。どこか冷めた目で柔らかく見られ、思わず顔を伏せてしまう。


「あなたはまだ、人間として生活してきた時間の方が長いのです、我々の言葉を短時間でこれだけ覚えられれば、たいしたものですよ」

「その……ごめんなさい」

「夜に休めていないのでしょう、眠れる時には寝てしまいなさい。私は咎めませんよ、こんなに疲れた顔をしている者を責められますか」


 顎に手を置かれて顔を上げさせられると、止める間もなく目の下を指で拭われた。息を止めて深くうつむき、肩を震わせる。

 取れきらないクマが、しっかりと存在を主張していた。


「作法の講義まではまだ時間がありますよ、カモミールティーを淹れましょうか」

「……ごめんなさい、大丈夫です」


 たぶん、いま、先生の講義で休んでいいと言われた。

 だけどそれに甘えたくはない。純血の妖精なのに妖精の言葉が解らないだなんて、笑えない冗談だ。


「そうですか。では私がいただきたいのでお付き合いください」

「……ごめん、なさい」


 体を小さくすれば苦笑され、頭を優しく撫でられて。

 美代はまた、深くうつむいた。




「$#‘*#&」


 部屋に入るなり妖精の言葉で話されて、美代は体を硬直させた。ゆっくり二度の瞬きをして、申し訳なさそうに眉を寄せる。


「すみません、聞き取れませんでした」

「我が国一の講師から指導を受けていて、未だに覚えられていないとは思いもよりませんでした。失礼いたします」


 ぐっと言葉を詰まらせて、小さく頭を下げた。隠しもされない嫌味に反応するのは無駄だと、頭上からの、一見こちらを思っているかのようネチネチと言われる言葉を聞き流す。

 ようやく落ち着いたかと思えば、講義中も止むことはなく。

 法学でも、歴史学でも。その他の講義でも、言われないことの方が少ない。


 純血なのに、純血のくせに。

 王女なのに、王女のくせに。


 始めの頃は一つ一つに傷付いていたけれど、もはや慣れてしまった。


「セイント様」


 今日も普段と変わらない時間を過ごすのだろうと思いながら、母国語の講義を受けていた。唐突に名前を呼ばれて顔を上げ、顔を凍り付かせる。

 いつの間にか正面に立っているケイロスの表情は硬く、嫌味を言うことがない彼に甘えてしまっていたらしい自分を恨めしく思った。


「ごめんなさい、少し、ぼうっとしていて」

「息をするように謝罪するのはお止めなさい。あなた、体調を崩していますね」

「え……」


 額に掌を置かれ、美代はキュッと目を閉じた。長いため息を漏らされたということはもしかして、熱を出してしまっているのかもしれない。

 そういえばなんとなく、体がだるい気がする。


「そのような状態で学んでも、身に付きませんよ」

「……その、体調不良に、気が付いていませんでした。ただの寝不足だとばかり」

「他の講義の書き取りはお持ちですか」

「はい」


 空 魔 箱マジック・ボックスから羊皮紙を取り出してケイロスに渡せば、彼は流れるように読み始めた。法学や歴史学はもちろん、魔術学、計算学、裁縫学。作法でやったことをメモしたものまで、渡したものを全て。

 ただでもあまり動かない表情筋が死んでいくのを目の当たりにしてしまい、美代は何か粗相をしているのかと不安そうに見上げた。


「これはあまりにもひどい」

「せ、せんせい……?」


 出てきた舌打ちに身を竦め、手首を取られるとそのまま教室を飛び出した。ケイロスが飛ぶのに必死についていけば辿り着いたのはゼルスの執務室で、美代はひくりと喉を鳴らす。


「陛下、失礼いたします」

「ケイロス? どうしたのだ、それにセイントも」

「お尋ねしたいことがあって参りました。セイント様の日々の講義内容、お時間などを考えられたのはどなたでしょう?」

「あ、あの、出来る限り学ぶ時間を取りたいと希望をしたのは、私です……」


 おずおずとあげられた手に、呆れた視線が送られた。どこか狼狽えている美代にゼルスが片眉を上げ、ケイロスを見る。


「内容はそれぞれの講師に任せている。なにか問題があったか」

「問題しかありませんね」


 さらりと言ってのけられて、ゼルスが眉を顰めた。二人の間に挟まれて不安そうにしている美代の頭に手を乗せたケイロスは、顔を歪めている。


「嫌がらせとしか思えない詰め込み方です。よくもまぁセイント様も、文句の一つも言わず大人しく受けておられました」

「べ、勉強自体は嫌いではないので……。復習をすれば、どうにか付いていけましたから」

「その復習に時間を取られて、寝不足になっているのでしょう。それで体調を崩すのでは何のための学習なのか、わかりませんよ!」


 今まで一度も聞いたことのないケイロスの怒声に、体が震えた。す、と涙が頬を走ったのに驚いて目元を擦れば、今度はゼルスから険しい顔をされる。

 指の腹に着いた白粉に、美代は眉をハの字に寄せて二人を見上げた。


「セイント、どうして無理をする? 私が望むところではないのはわかるだろう?」

「ご、ごめんなさい……でも私、王族に迎えてもらったのに、陛下の、娘だって……言って、もらえたのに。なにも、なにもわからないんです」


 王族としての暮らしがわからない。

 妖精族としての言葉が、詠唱がわからない。

 次期女王として、必要なものがわからない。


 右も左もわからない事ばかりの中、自分に出来たのは教えてもらうことを全部吸収することだけで。


「だから、少しでも早く、身に着けたくて。私にできるのはこれしかないから」

「私にばかり負担が掛からぬようにと分担したのが仇となりましたね、ゼルス。今後すべての講義は持たせてもらいますよ」

「任せるしかあるまい。あなたもセイントも、無理をしないように」

「陛下、先生?」


 渋い顔をするゼルスに戸惑い、白けた目をするケイロスを見上げた。返事に満足したのだろう口角を微かに上げて、今度は柔らかく頭を撫でてくれる。


「私は四分の一が人間の混血です。学ぶのが好きで、国を出たりもしながら知識を得て回っていたのを、あなたのお爺様に見初められました。それで、混血であることは秘匿せよと命じられ、城に招き入れられたのです。あなたのお父様の教育係として」

「飼い殺されたの間違いだろう。フラグーンはどちらかというと前線に出たがる性格で、大人しく机に着いて学ぶことなどほとんどなかった。よほど、混血が力を持つのが気に喰わなかったらしい」

「あなたという生徒もいましたから、楽しかったですよ。私が混血であることはジュピタル様しか知りませんでしたし、あなたよりはマシな生活を送らせてもらいました」


 ケイロスの瞳が、いたずらっ子のように光った。旧知の仲だったらしい二人に、美代は静かに肩を落としてしまう。

 先生が自分に優しいのは、ゼルスを以前から知っているからだ。同じ城の、同じ人間に仕えていた、混血同士の仲間で、そんな彼の義娘むすめだから。


 自分を、見てくれていたわけでは、なかったのか。


 目の裏側が熱くなり、きつく口を閉じて俯いてしまうと、鼻を摘ままれた。驚いて顔を上げれば呆れた視線とぶつかって、目を泳がせてしまう。


「くだらない事を考えていたのでしょう、あなたがゼルスの唯一の安らぎだったのは知っています。私は、追放されたゼルスを探してあなたが国の外まで捜しに出ていたのも、見つからないと隠れるようにして泣いていたのも知っているのです。

 ……そんな事を何も知らないくせに、あなたが純血だというだけで理不尽に責められるのを見るのは、不快なんですよ」

「そも、わかっているのだろうか。セイントを血で見るのは、自分たちが嫌っていた行為だと」

「わかっていたらこんな事が出来るわけがないでしょう、アホ共が」


 心の底からバカにするよう、鼻で笑うケイロスに、ゼルスはゆるりと首を振った。


「講師には私から伝えようか」

「私から言いましょう。あなたが言えばセイント様の立場がまた悪くなる、あなたに泣きついたのだとなじられるのは目に見えていますからね」

「そうか……。悲しいことだが、頼む。それでも良いな? セイント」

「……は、い」


 拒否する理由はなかった。

 ゼルスとヘーゼしか味方がいないと思っていたのに、自分の立場が悪くなる可能性があるにも関わらず、ケイロスが盾になってくれるというのだ。


「では、しばらくの課題はきちんと休むことですよ。本来ならば倍か、それ以上の時間をかけてやる量をすでに終えています。理解できているかは別問題として、疲労を取ることに集中なさい」

「あ、たぶん、ちゃんと覚えてます」


 つらつらと、これまでの授業で習ったことを話していけば、羊皮紙を見ながら聞いていたケイロスが頭を抱えた。渡されたゼルスも一読し、ため息をついて組んだ手の上に額を置いている。


「体調も崩すわ、たわけぇ……」

「ほぼ暗記されていますね。しばらく授業は致しません、休みなさい」

「でも、でも」

「部屋に来るのはかまいません、わからないことを訊ねるのも、許可します。新たなことに手を付けるのは許しません、あなたが今なすべきことは体に休息を与えることです」

「……はい」


 目の周りが熱くなり、胸に込み上げてくるものをどうにか抑えつけるようきつく眉を寄せて。

 それでも下手くそに微笑んだのだった。


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