彼女の立ち位置
「セイント、お前はどこに行っても歓迎されるのだな」
ゼルスから声を掛けられて、思わず肩を跳ねてしまった。傍にはヘーゼも控えており、ドレスの裾を上げると不慣れな動作で頭を下げる。
苦笑されたのがわかる、足音に視線を上げようとすれば頬に手が添えられて優しく持ち上げられた。
「聞いて、セイント。本当ならもっと長い時間をかけて、何度もその土地に赴いて。それでも結べるかどうかわからない友好関係を、きみのおかげでこんなにも早く築くことが出来た。ボク達だけでは絶対に無理だったよ」
「わ、私は何もしてないよ。何日も滞在して、族長様と話しあって……ゼル、国王陛下とヘーゼのおかげだよ、だって私はただ見ていただけだもの」
そう言って目を伏せた美代に、二人は視線を交わすと同時に眉尻を下げてしまった。俯いている彼女にはその表情が見えていないはずなのに、何かを感じ取ってしまったのか背中が震えている。
美代を城へ招き入れて、早二年。
彼女はいつも、何かに怯えているようだった。
「何を言うか、各一族の次期族長と共に旅をしていた、その上に現族長とも、少なかれ関連を持っていた。そんなお前がいたからこそ、こんなにも早く事が済んだのだ」
「妖精族は長く、魔族以外との交流を断っていた。本来ならようやく、一つの一族との交流が整っている……いいや、まだそれすら叶っていないかもしれない。これは、セイントのおかげだよ」
「……ありがとう、ございます」
本当に言っているのに、美代は困ったように眉を寄せて再び頭を下げてしまった。
思えば、自分の考えが浅はかだったのだと、ゼルスはわずかに表情をゆがめた。
城に招き入れて、生活のあれこれを整えたり国民へ説明をしたりと忙しい日々を終えた後。
美代は持ち前の好奇心で、城内どころか城下町まで探検して回った。
ともに練習し、飛べるようになった羽を使って。魔族の若長が、厳密にいればその付き人が編み出した瞬間移動術を使って。
着いていくから一人で行ってくれるなと伝えても、手を煩わせたくないからとこっそり抜け出しては好奇心を満たしていたのに。
半年も経たないうちに、部屋へ籠りがちになってしまったのだ。
ヘーゼが一緒に出掛けようと声を掛ければ、上目遣いでどこか顔色を窺うように姿を見せ。
ゼルスが様子を見に行けば、わずかに顔を強張らせて緊張したように震えていた。
その他の従者は自主的に彼女へ声をかけることはほとんどなく、時折気にかけるような素振りを見せるけれど美代が遠慮がちに断ってしまう。
このままでは息苦しいだろうと思い、友好を結ぶために他一族の元へと行く、そのために力を貸してほしいと声をかけて。
その旅の中で、彼女との間にある壁を見せつけられた。
魔族の元では、ブラックやダークと屈託のない笑顔でいるのを脇目に、気まずいながらもラオエンとこれからのことを話した。
雷雲族の元では族長である炸雷が美代に頭を下げ、慌てた彼女が雷斗に助けを求めるもからかわれて、それでも笑っていて。
海中族の元ではブラックが事前に連絡を入れてくれていたのか、若長が直々に陸地まで迎えに来てくれた。そして水を怖がるはずの美代の手を引き、彼女も目を閉じて彼に身を任せ、一族の領土へと案内をしてくれて。
万人を避けさせる銀世界でも、幼い族長が歓迎の宴を支度してくれた。
火炎族の彼と、風の一族らしい盗賊には会えなかったけれど、これからいつでも会えるからと寂しそうに微笑んでいた。
かつての仲間たちと話をしている間、本当に楽しげに笑っていた美代は。
自分たちの前だと途端に、その笑顔を曇らせてしまうのだ。
「……一年近くかけて、世界を巡ったのだ。疲れただろう、部屋で休むといい」
「……はい」
小さく頭を下げて部屋を後にしていく美代を見送り、ヘーゼはしゃがみ込んで悔しそうに頭を掻きむしった。ゼルスもまた、緊張から解放されたように玉座へと背を預け、長く息を吐き出していく。
「どうして、ボク達の言葉が届かない……!」
「……我々は、あの子を深く傷付けた。仕方あるまい」
「ボクはそうです、怯えられても怖がられても、それこそ嫌悪されても仕方がないことをやっている、言ってしまっている。
でも陛下は違う! セイントを守ろうとしていたじゃないですか!」
「故郷を焼き尽くし、父親が死ぬよう仕向けた私がか? 私は罪人だ。本来ならば許されるはずもなく、今ここで生きているはずもない大罪人だ。……時間をかけて、歩み寄るしかないだろう」
そう言うゼルスの、伏せられた目は苦しそうだった。ヘーゼは寄せていた眉間のしわを伸ばすよう指の腹で撫でつけて、立ち上がると恭しく頭を下げる。
「ボクは、彼女の様子を見てきます」
「頼んだ。野営は一切せず、一族内で休ませてもらうとき以外はセイントの術でここまで戻ってきていた。……負担は大きかったはずだ」
「えぇ。そんな無理、しなくてよかったのに」
口を尖らせるよう呟いたヘーゼに苦く笑い、彼のことも見送った。
全身から汗が噴き出たのがわかる、手が震えていたのを、うまく隠せていただろうか。
「セイント……私はお前が笑ってくれれば、それだけでいいんだ。他には何もいらないのに、どうすればいい?」
これが罰だというのならば、これ以上に苦しいことはない。
細く長く息を吐き出し、握った両手を額に押し付け、天井を仰ぎ見た。
体が痙攣して思わず跳ね起き、首筋に流れている大量の汗を拭った。普段よりも速く脈打つ心臓が不快で、胸元を緩く掴むと深呼吸を繰り返す。
それから、ゆっくりと周囲を見回した。
ここは二年前から、自分の部屋。着ていたドレスが鏡台の前の椅子に掛けられている、鏡に映っている自分は王族と思えないほどラフな格好をしていて、目の下のクマが遠目でわかるほどに刻まれている。
ずきずきと、鼓動に合わせて痛む頭に、ゆるりと首を振った。
「あせ、きもちわるい……」
ベッドを下りようとして、ドアがノックされる微かな音に、反射的にドアノブへと飛びついた。開く直前に自身の恰好を思い出し、体が硬直してしまう。
(着替えたほうがいい? ドレスに? でも時間がかかる、だけど王族として……)
「眠っているのかな……」
ぐるぐると回る思考の波に飲まれ、吐き気を催しかけていた時、聞こえた声に短く息を吐き出した。そっと開けば驚いたのだろう、目を丸くするヘーゼが立っている。
「えと、こんな恰好でごめんなさい」
「なんて顔色を!」
彼の表情が険しくなり、鋭い目付きで見つめられて息を詰めた。動けないでいると抱え上げられ、ベッドに押し付けられる。
ギュッと目を閉じれば気配が離れていき、恐る恐るドアを見た。ヘーゼが出て行ったらしく開け放たれていて、閉めようと体をよじるようベッドから降りる。
二人の女中を連れて戻ってきた彼が、ドアの外でますます顔を歪めていった。
「いいからベッドに戻って。……セイント様のお体をぬるま湯で拭って、着替えを。ボクは飲み物を持ってこよう」
「わ、私は大丈夫。だから、えっと……タオルだけ、お願いします。あせを、拭きたいから……」
弱々しく、困ったように微笑んでいる美代に、ヘーゼは目を怒らせていった。しかし彼女の手元が視界に入り、ゆっくりと肩を落としていく。
微かに震えているのをごまかすよう、固く拳が握られていた。
「……暖かい茶と、果汁をいくつか頼む。それからタオルと桶にぬるま湯を」
「かしこまりました」
下がっていく女中にため息を漏らし、美代の傍に寄った。出来ているクマに指を這わせれば俯いていく。
「やっぱり、無理をしていたんだね。ずっと休めていなかった?」
「ごめんなさい……」
「謝らないといけないのは、気付けなかったボク達の方だ。お化粧で隠していたの?」
「……ごめんなさい」
震える声に柔らかく微笑みかけてやり、頭を撫でてもう一度ベッドに入れ直した。顔を隠すように潜っていくのを見守って、飲み物と桶を受け取る。
「……セイント、体を拭いてもらおう」
「やれる、から、置いてて……」
「きみが嫌じゃなければ、ボクが拭いてあげようか」
しばらく無言だったけれど、小さく頷いたのが見えた。肌を見てしまわないよう布団の下で服をめくると背中が震える、羽の付け根には触れないよう体を拭いてやれば、少しずつ緊張がほぐれていっているようだった。
「混血妖精の国には、ティータにはまだ慣れない?」
「……みんな、優しいよ。純血の、最後の王女が、ここにいることを許してくれる」
「それはどういう意味?」
「だって私は、大罪人の子だから」
スッと、ヘーゼから表情が消えた。言うつもりはなかったのだろう、目を見開いた美代が触角を揺らし、ますます布団に隠れていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「だれがそんなことを」
「お願い、忘れて。だれにもいわないで」
「セイント!」
布団を無理やりに剥がせば、体を小さくして震えていた。頬どころか首元まで紅潮しており、しっとりと濡れている目尻を指で拭う。
そのまま額に手を置いてみれば、熱を出しているようだった。
「怒らないから教えて。だれが、そんなことを言ったの」
美代はただ、首を振るだけだった。目元を優しく覆ってやれば肩を跳ね、唇を震わせながら緩く手を掴んでくる。
「セイント」
「……めいわく、ばかり。ごめんなさい……」
かすれた声で呟いて、そのまま気絶するように眠ってしまった。割れ物に触れるよう頭を撫でるヘーゼは、口をきつく引き結んでいる。
大罪人の子。
直接言われたのか、陰口が耳に入ったのかは判らない。それでもこの国の中で、美代のことをそう呼んでいる者がいる。
その事実だけでも、憎悪に近い怒りに体が震えた。そしてそれを言われた時期も予想が出来てしまう。
「だからきみは、あんなにも外に出て回っていたのに、部屋に籠ってしまったんだね」
眠っているのに震えている。迷子の子供が泣くのを堪えているように、全身を緊張させている。
自分も、二年前まではこうさせる立場だったのだと思えば、嘲るように笑うしかなかった。
「ごめんねセイント。きみのお願いは聞けないよ」
名残惜しむよう、髪の毛を梳くように撫で、ヘーゼは部屋を後にした。
執務室に居たゼルスに美代の言葉を伝えれば、持っている羊皮紙を引き裂かんばかりに力が入ったのが分かった。こめかみには青筋が浮き出ており、思わず自分が姿勢を正してしまう。
「ほう、なるほど、大罪人の子。間違いではないなぁ?」
「陛下!」
「セイントは私の姪っ子だ。フラグーン亡き今は、娘のようなものだ。あぁ、あの子は私の娘だ。……ならば誤りとは言い切れまい、私は自らを大罪人だと思っている」
わずかに裂けている羊皮紙を置き、ゆらりと立ち上がるゼルスにヘーゼは息を飲んだ。目は座っているのに奥には鈍い光があり、玉間に出る。
すぐに家臣たちと兵士長、給仕長を呼び出して、演説の支度をするよう命じた。
「ティータの民に刻み付けよ。セイント・オウス・アスパル・ファータは我が娘だと。何人たりとも、無意味に傷付けることは許さんと。……無論城に使える者も同様だ、あの子は私の娘だ」
静かな中に潜む底抜けの怒りに、部屋の空気が凍り付いた。ヘーゼもあまりの重圧に息苦しさを感じ、それでも普段と変わりないよう、礼をする。
「セイント様は今、体調を崩しておられます。回復次第、すぐに支度いたしましょう」
「あぁ。……頼んだぞ、ヘーゼ」
そこに含まれている言葉の意味も、きちんと理解できたと思う。
かつてとは立場が逆だ。唯一の純血である彼女が、混血から迫害を受けようとしている。
彼女を本当に守ってくれるのは、この城の中で何人いるのだろうか。
「御意に」
深く頭を下げ、力強く答えればゼルスもようやく雰囲気を緩めてくれて。
ヘーゼは強く、拳を握りしめた。