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「啓太」


「……げ」


 昼休み。生徒たちが思い思いに授業の疲れを癒しているせいで、廊下は実に騒がしい。ただ、そんななかでも、彼女の透き通るような声は啓太の背中を掴んで離さなかった。

 まさか本当に昨日で終わりではなかったとは。別れの挨拶が社交辞令的なものだったという一縷の望みも叶わなかった。

 暮坂歌乃。相も変わらず、類まれな外見をしている。彼女ひとりだけに後光が差しているかのような神々しさ。それにあてられた啓太の眉と瞳は、苦いものを口にしたときのように歪んでいた。


「随分嫌そうな顔ね。話しかけられたくなかった?」


「いや、そんなことは」


「あるでしょ」


「あります」


 素直な返答に、歌乃はハア、と呆れたような溜め息を吐き出す。呆れたいのはこちらのほうなのだが。

 幡屋高校は学年ごとにフロアが分けられている。一年は四階、二年は三階、というふうに。つまり何が言いたいかというと、普通はここにいるはずのない二年生が一年の廊下にいるせいで、啓太まで一緒に注目を浴びているのだ。まさに、とばっちり。しかもその相手が校内で有名な暮坂歌乃なのだから、もうこれ以上言わずともわかるだろう。

 だが歌乃は、啓太の腹の奥の気持ちなど気にもかけない。それどころか心底どうでもいいという様子で、勝手に話を続けた。


「啓太、お昼ご飯は食べ終わった?」


「……食べ終わっていた場合、どうなりますか?」


「話があるから聞いてもらうわ。あと、頼みも」


「弁当がまだ九割ほど残ってますね」


「そうなんだ。じゃあ、頼みがあるんだけど」


 なんだそれは。どう考えても「じゃあ」で繋げる文章ではなかっただろう。


「待ってください、俺は今お昼ご飯を食べ終わっていないと返答したつもりだったんですが」


「食べ終わっていなかった場合は話をせずに戻る、とは言ってないでしょ」


「子供みたいな屁理屈だ……」


 変身したらおじさんになるくせに。もっと大人の交渉術を学んだほうがいい。あまりにも強引すぎる。

 とはいえ、歌乃は歌乃で彼女なりの考えがあったらしく、


「そもそも、お昼は済んでるでしょ? もう昼休みも終わりに近いし、その背中に隠してるの、次の授業の教科書じゃないの。ふうん、五限は化学なんだ。実験室、遠いから大変よね。早くしないと遅刻しちゃいそう」


「う……」


 何という性悪女だろう。すべてわかっているらしい。

 歌乃が上体を屈めて覗き込んだ先には、確かに啓太が片手で隠すようにして持っていた教科書があった。大正解だ。認めざるを得ない事実を指摘されて、たじろぐしかない。ここまで丁寧に詰められれば抵抗は無理だろう。昨日も同じようなやり取りをした気がするが、啓太の負けだ。……シャーロックホームズみたいですねとか適当に言ったら、怒られるだろうか。


「あー……はい、その通りです。昼はずっと前に食べ終わっていて、今は移動教室の途中です」


「最初から素直に認めればいいのに」


 仕方ないわね、もう、とでも言いたげな笑みを浮かべる歌乃。いや、そんな先輩の余裕みたいなものを見せつける表情は求めていないのだが。

 そう啓太が腹の中で黒いものを煮えたぎらせていると、


「おーい、けいたー?」


 少し離れたあたりから、聞き慣れた声が飛び込んできた。青だ。彼は廊下の奥、階段の踊り場から、足を止めている啓太を呼んでいた。


「先に行っててくれ、青」


 青は首を傾げる。しかし、体を動かしたことで奥にいる歌乃の存在に気が付いたらしい。彼は得心したように両腕で大きな丸を作った。可愛らしい動きだ。ちなみに青が教科書類を持っていないのは、いちいち持ち運ぶのが面倒だかららしい。というか、内容は大体頭に入っているので必要ないのだ。


「彼女さんも待たせているみたいだし、手短に済ませるわね」


「いや、あいつ彼女じゃないですけど」


「そうだったの? あの子、学年で一番可愛いから有名だって聞いたことがあるけど」


「はは……」


 それは多分、学年で一番可愛い「女装男子」だから有名なのだろう。大事なところがすっぽり抜け落ちているあたり、歌乃の交友関係の狭さを如実に示している気がする。


「それで、何ですか。頼みって」


 青を見送ってから、啓太が改めて問いかける。

 すると歌乃はうん、と一拍置くように頷いて、答えた。


「啓太に、この高校にいる異能持ちの子を紹介してほしいの」


「えっ」


「私、異能について何にもわからないんだもの。同じ境遇にいる人と悩みを分かち合いたいと思うのは、当然じゃない?」


「なるほど、ええと……」


 啓太は困ったように頭を掻く。無論、頭皮が痒いわけでも何でもない。ただの見せかけだ。

 昨日は必死になって助けてしまったが、彼女とこれ以上関わり合いになるのは避けたかった。深く関わり過ぎれば、きっと良くない結果に終わる。望ましくない結末が待っている。そのことを、直感で理解しているから。

 君子危うきに近寄らず。啓太は、それを貫く。


「すみません。俺、友達が少ないので、紹介できる人は――」


 だが、暮坂歌乃はそれを許さない。


「本当に?」


「え」


「本当に、そう?」


「……」


 啓太の眼が据わる。歌乃も。

 まただ。また二人は、舌戦ともいえる問答を始めようとしている。

 勝つか負けるか、ただそれだけ。……まあ、啓太は昨晩から連敗中なわけだが。


「本当ですよ。さっき見たでしょう。あの茶髪の女子くらいしか、俺には友達がいないんです。だから紹介するもなにも、当てがありません」


「そうかしら。啓太、昨日『俺たちは』って言ったわよね。私と啓太が持っているような力を、『俺たちは』異能と呼んでいます、って。誰と一緒になって異能なんて呼び方をしているの? まさか、イマジナリーフレンドとか言わないわよね」


「……そんなこと、言った覚えがないですけどね。先輩の聞き間違いかも」


「私の記憶力を嘗めないでくれるかしら。それに啓太、他にも異能を持っている人が幡屋高校にいるって知っていたわよね。つまり、友達と呼べるほど仲がいいわけではないけど、同じ異能を持った人として認識している誰かは確かに存在するってこと。親交は深めていない。でも存在は知っている。そんな中途半端な状態を作り出せる何か――異能を持った人たちが集まる場所、とかかしら。クラブ、部活、団体でもいいわね」


 さすがは歌乃だ。彼女の推測は、着実に答えへと向かっていた。


「ねえ、何かあるんでしょ? この高校で異能を持っている人が集まるような、寄り合いが」


「……」


 啓太は返事をしない。黙り込んで、考えている。


「寄り合い、ね」


「違う?」


「……別に、そんな大したものじゃないですよ。ただ、アドバイザーみたいな人がいるんです」


「アドバイザー?」


「はい。異能に関して、少なくとも俺よりは詳しい人ですね」


 啓太はまた彼女に言い負かされた。正直、言いたくはなかった。なぜか。簡単なことだ。

 歌乃とまともに会話をしたのは昨夜が初めてだったが、そこに行きつくまでの前情報と、実際に接したことで感じ取れた印象からして、彼女にかなり強引なところがあるのは火を見るよりも明らかだった。

 つまり、啓太は確信していたのだ。自分がこう言えば、


「会わせて」


 彼女は絶対にこう言うだろう、と。



「……それで、私のところに来たと」


「はい。すみません、突然」


「いえいえ、構いませんよ」


 その日の放課後、啓太たちが訪れたのは職員室だった。来たところで教師しかいないのだが、今回ばかりはその教師に用がある。ちなみに青にも声を掛けたら、どうしてかはよくわからないが一緒についてきた。

 三人揃ったところで、啓太は歌乃に四人目の人物――キャスターが付いた椅子に腰掛けた女性を紹介する。


「津田加奈子先生です。この高校にいる異能持ち……といっても、今は俺と青だけですけど。俺たちの相談役みたいな感じで、話を聞いてもらっています」


 啓太がそう言って目配せすると、津田はうんと頷いて、


「津田加奈子です。担当教科は歴史と倫理。今年は二年生を受け持っていないから、直接話すのは初めてですね」


 にっこりと優しげな笑みを浮かべて答えた。彼女は啓太と青のクラス担任でもある。何を隠そう、昨日啓太に委員会の仕事を頼んだ「優しそうだけど容赦ない」津田先生とは彼女のことだ。

 清潔感のある黒髪のショートボブで、歳は二十代前半だろうか。座っていてもわかるくらいに手足が長い。すらりとした肢体に大人っぽいブラウスとパンツが良く似合っていた。体が冷えるのか、丈の長いカーディガンを羽織っている。


「暮坂歌乃です。突然押しかけてしまってすみません」


「とんでもない。よりよい学生生活のために生徒の不安を解消するのは、異能に関係なく教師の責務ですから」


「ありがとうございます。……それで、あなたは」


 歌乃が安心したように顔をほころばせたのも束の間、彼女はすぐに質問の矛先をもう一人へと切り替えた。津田の隣、書類ケースが収納されている棚に背中を預けていた美少女。そういえば二人は、まだ面識がなかった。


「ああ、こいつは――」


「佐倉青。啓太の友達です」


 青が棚から離れて真っ直ぐに立つ。さすがは度を超えたマイペース人間、あの暮坂歌乃の前でもいつも通りだ。そのメンタルの強さを少しくらいは分けてほしい。


「友達……」


 青の言葉を受けて、歌乃は二人を交互に見る。


「本当にそうなんだ。よく一緒にいるのを目にしていたから、てっきり彼女さんなのだと」


 こちらも、そういえば。歌乃は青のことを啓太の彼女だと――いや、そもそも青のことを本物の女子だと勘違いしているのだった。このままでは面倒なことになるだろうから、今すぐにでも誤解を解いておかなければ。


「いや、青は」


「あはは」


 すると、青が笑い声をあげる。


「やだなあ、俺は男ですよ」


「……え」


 歌乃の顔が固まる。とても信じられないというような表情。


「あー、やっぱり女だと思ってました? こんな格好してるけど、俺、男なんです」


「……そう、なのね。声も綺麗だし、華奢だし、顔なんてほとんど女の子なのに」


「そんなに褒めても啓太の財布くらいしか出ませんよ?」


「出すな」


「けち」


 青は可愛らしく唇を尖らせる。上目遣いをして持ち前のあざとさをアピールしてくるが、ほとんど意味を為していない。青と啓太の身長はほとんど同じだからだ。


「……啓太がさっき言っていた青って」


「こいつのことです」


 溜め息をつくように、外見だけ美少女の小悪魔を指差す。別に青の話をしに来たわけではないのだが、当の本人は楽しそうにしていた。話題が自分に移ったせいか。


「俺も異能が使えるんですよ。『人を振り返らせる力』です」


「人を振り返らせる?」


「はい。たとえば、こんな感じで――誰か一人に対して、集中すれば」


 青が顎を引くと、彼の端正な目元に力が入る。その瞬間、


「――うわっ」


 青に力を使われたのだろう。啓太の視界が回転するジャングルジムに乗ったときのように揺れたかと思えば、彼は既に後ろを向いていた。足が勝手に回るように動いて、今や背後にあった職員室の鏡を眺めている。


「……すごい」


 歌乃が驚いたように呟く。ぱちぱちと瞬きを繰り返す彼女の横顔。

 と、その奥にいる青がにやりと口角を引き上げたのがしっかりと確認できた。詰めが甘い。写り込んでいるのだ、目の前の鏡に。


「急に力を使うな、青」


「ごめんごめん」


 眉を寄せながら振り返った啓太へ、青が軽い態度で謝る。絶対に反省していない。


「まあ、こういう感じかな。『人を振り向かせる』のほうが俺には合ってるけど、必ずしも俺がいる方向に向きを変えるわけじゃないので」


「だから、『人を振り返らせる』」


「そういうことです。まあ簡単に言えば、俺以外の他人が見ている向きを後ろに変えることができるんです」


 青はそう言って、手持ち無沙汰なふうに内巻きの髪をいじる。

 美少女。美青年。恵まれた容姿。男の姿でも女の姿でも、ファッションモデルとして第一線で活躍できそうな外見。すれ違ったら、誰もが振り返る――良くも悪くも人々の好奇の目を集めてしまう彼に相応しい異能だろう。


「……これって、些細な力なの?」


 歌乃が啓太の目を見て聞いてくる。ところがそれに答えたのは青本人だった。


「まあ、やれることは限られてますし。俺自身、この異能を活用しようって気もそこまでないですし……そういう意味では、些細な力なんじゃないですかねー」


「青は他人に興味がないので。いたずらに使うようなことはないですよ、多分」


「その理論で言うなら、俺は今さっき啓太にいたずらで力を使ったから、啓太には興味があるってことになるなあ」


「論理の飛躍が過ぎるだろ」


「そうかな。俺は当然だと思うけど」


「……二人とも、今日は暮坂さんの話をするために集まったのでしょう?」


「ああ……」


 そこで話から外れていた津田が口を挟んだ。このまま放っておいたら永遠に進まないと判断したのだろう。

 だが、啓太が本当に歌乃の話をするために職員室を訪れたのかと言われると、案外そうでもないのだ。


「いや、俺は無理やり先生を紹介しろと迫られて、泣く泣く放課後の貴重な時間を割いているだけです。別に先輩の話がしたかったわけじゃありません。正直、今すぐ帰りたいですね」


「まあ、間違ってはないわね。感謝しているわ、啓太」


「声音がまったく有難そうじゃない」


 大根役者もびっくりの棒読みだ。もう少しくらい感謝の意を求めても罰は当たらないのではなかろうか。自由な放課後を奪われた恨みを視線に込めてみるが、歌乃は冷めた顔のまま腕を組んでそっぽを向いてしまう。


「なんなんだこの人……」


「いやあ、啓太も人のこと言えないでしょ。そんなに嫌そうな顔して人助けする人、初めて見たかも。あ、俺は啓太が面白そうなことに巻き込まれてるみたいだったから、野次馬根性で付いてきただけですよ」


「あなたも相当ですよ、佐倉君……」


 津田が呆れたように息を吐き出す。自分で言うのもなんだが、性格に難がある人間しかいないなと啓太は思う。どうしてここまで腹の黒い者ばかり集まってしまったのか。いや、類は友を呼ぶというやつか。

 すると津田がわざとらしくこほんと咳払いをした。きりがないから強制的に話を戻しますよ、の意だ。


「矢船君に佐倉君、そして暮坂さん……幡屋高校の生徒としては、異能が発現したのはこれで三人目です」


 歌乃にも説明した通り、津田は啓太たちにとってのアドバイザーのような存在だった。研究というと大袈裟だが、二人の異能に関するデータなどを収集して独自の調査も行っているらしい。『異能』という仮の呼称を付けたのも勿論、彼女だ。


「異能――世間には認識さえされていない日陰の存在ですが、私はこれに対して一つの仮説を打ち立てています」


「仮説……?」


 歌乃が首を傾げる。他の二人は既に聞き及んでいる話だ。

 すると津田は「はい」と頷いて、


「異能は、自身が抑圧している強い欲求が外に溢れ出たものなのではないか、という仮説です」


「強い欲求、ですか」


「心理学者のアブラハム・マズローは、人間が抱く欲求は五段階のピラミッドのように分類されると考えました。最も低次のものが食欲などの生理的欲求で、次に安全の欲求、社会的欲求、承認の欲求と続きます。そして、そのピラミッドの頂点に位置するのが、こうありたい、こんな自分に成りたいというような――自己実現欲求です」


「――」


 自己実現欲求。

 津田がその言葉を口にした瞬間、歌乃が目を見開いた。何か、悟った。そんな雰囲気だ。


「欲求というのは面倒なもので、私たちがそれを自覚的に意識していなくても心の奥底に潜んでいたりするんです。つまりあなたたちの異能は、その現れ――知らず知らずのうちに水位を上げていたダムが決壊するように、限界まで高められた自己実現欲求が、異能という形で外界に放出されているのではないかと」


「……」


 津田が座っているキャスター付きの椅子は歌乃のほうを向いている。だが、歌乃は黙り込んだまま何も言わない。目線を落としてはいるが、どこを見つめているのか定かでない。思考の渦に飲み込まれたかのような姿は、一種の恐ろしさすら感じさせるもので。

 啓太の体に緊張が走る。地雷を踏み抜いた感触が、確かにあった。乾いた喉を唾液で湿らせる。その剣呑とした雰囲気を見ていたら、さすがに黙ってはいられない。


「だから先生は、その異能が、俺たちの成りたい自分――本当の自分と、強く関係しているんじゃないかって。ですよね、先生」


 助けを求めるように津田を見る。彼女は教師らしく、落ち着いたまま応じてくれた。


「ええ、その通りです。心の奥の奥、自分でも気が付かないような暗い世界から、異能は生まれているのではと考えています」


「……自己実現欲求の発露。そういうことですね」


 ようやく歌乃が声を発する。とはいえ、それも堅く尖った石のようなものだったが。

 捻り出されたような確認にも、津田は冷静に「はい」と答えた。


「ここまで異能持ちに学生が多いのは、精神的に未熟で多感な時期だからでしょう。まだ若いからこそ、自分自身と向き合うことができていない」


「……」


 何となく重苦しい空気が充満している。津田のデスクがある職員室の片隅、そこだけ雰囲気が異様に重い。原因は分かりきっている。すぐ隣にいる歌乃が、思い詰めたような顔で立ち尽くしていたから。まるで毛を逆立てた猫のようだ。触れたら、きっと怪我をする。

 啓太には何も言うことができなかった。場を和ませるような気の利いたことは、ひとつも。歌乃をなだめるために声を掛けることさえ、恐ろしくてできやしない。どんな返り討ちに遭うか、わかったものではないからだ。

 だが、一人だけ言葉を紡ぐ男が存在した。青だ。


「先生、それだと異能を持ってない先生は若くないってことにならない?」


 教師をからかうように優しげな笑みを浮かべて、青が言う。彼は楽しげだった。

 だが、啓太にはわかる。それが作られた虚像であると。女子に手を振られているときと、同じ。青は場の空気を読む。何もかも理解する。だがまれに、それらをあえて壊す。そうすることが必要だと思ったら、躊躇しない。気遣いなんて欠片もしなさそうなのに、人一倍他人の機微に聡い。

 啓太は珍しく彼の優しさに感謝した。津田もそうだったかはわからない。ただ彼女は少し安堵したように頬を緩ませて、


「先ほどから論理の飛躍が過ぎるようですね、佐倉君」


 いや、割と本気の怒気をにじませながら、忠告した。さっと青の目線が彼方へ飛んでいく。


「……先生は異能持ちではないのに、どうしてそこまで異能について詳しいんですか?」


 すると、二人の会話を聞いていたらしい歌乃が、津田に小声で尋ねた。歌乃が先ほどまで放っていた並々ならぬオーラのようなものは、いつの間にか霧散している。

 津田は彼女の問いを受けて、頬を緩ませた。だが同時に目を細めて、どことなく物悲しげな顔つきをする。


「……以前に勤めていた高校で、あなたたちと同じような悩みを抱えていた生徒がいたんです。私が『異能』という存在を初めて認識したのは、そのときでした。その生徒も実際に、自己実現欲求が異能の発現に関わっていて――乗り越えたい、新しい本当の自分に成りたい、そんな望みを、心の奥底に抱え込んでいたんです」


 語る津田の表情は、やはりどこか悲しげなものだった。遠い過去を思い出して、まるで自分を嘲っているかのような、自虐的な声音。恐らく、その生徒と何かあったのだろう。だが津田は追及を許さない。すぐに歌乃に目線を移して、話を戻す。


「ですから、暮坂さん。あなたにも、何かあるはずです。その異能を持つ原因となった過去の出来事が。そして、あなたが密かに望んでいる本当の自分が、いるはずです」


「……」


 歌乃の右手が、だらりと伸びた左腕を掴む。


「心当たりは、あります」


 その意味ありげな声と表情は、「言いたくない」という歌乃の本心を悟らせるには十分なものだった。今日はこのくらいで解散にしたほうがいいだろう。何せプライベートなことを話すには、この空間は関係ない他人が多すぎる。


「先生、ここでは」


「そうですね。また後日、場所を変えて話しましょうか」

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