14話 意識良好
「呪鬼に……? …………そんな話、……いや、そうか。そうだったのか……」
ササハの前に立ったリオ。地面に座り込んでいたベルデは力なく言った。あの後、人が変わったように落ち着きを取り戻したベルデに、安堵したのはリオだった。
「たぶんだけど、その呪鬼ってやつのせいで一時的におかしくなってたんだと思うよ」
少し前まで冷たい視線と声を向けていたベルデ。なのに今では――特にササハに対しては、過剰とも取れるほどの気遣いを見せてくれるようになった。きちんと防寒対策をしてきたにも関わらず、寒いだろうとササハに自分が着ていた上着を貸してくれたり、怪我はないか、気分は悪くなっていないかと――物理的に――ひっくり返す勢いで確認され目を回しかけた。
放っておいたらいつまでも謝罪と心配を繰り返しそうなベルデをリオが遮り、大まかに状況を説明したのが今しがたである。
「では、もしかしたら奥様やお嬢様もっ――」
ベルデは呪鬼については多少知識があったみたいで、簡単な説明をしただけで理解を示してくれた。それと同時に、自身の状況についても積極的に口にした。
「俺……いや、失礼。私は」
「今更自己紹介のやり直しとかいらないから」
「リオーク騎士団騎士団長及び、特務部隊指揮隊長を務めるベルデ・オブビリドと申します。カルアンの小さなレディ、ベラバンナよ! 改めましてこの度の非礼のお詫びと、何より、それでも差し伸べてくださった慈悲深き御手に感謝申し上げます!」
「人の話を聞け」
「小さい何とかって、もしかしてわたしの事ですか?! わたし小さくないですけど!」
ご立腹のササハの横で、レイラが退屈そうに大欠伸をした。それでもベルデはにこにこ笑顔だった。
「ベルデさんは呪鬼に憑かれていたと――もごっ!」
「いやー、それよりさ。鍵。早く出せやごら」
「ちょ、リ――ん、んー!!!!」
「いいから。ササちゃん、しっ!」
急に口を塞がれ、ササハはくぐもった抗議を上げる。
「僕たちの目的は何だったかな? そう《赤の巫女姫》だね」
誰も何も言っていない。
「そしてそれを調べるための鍵。今から、これから調べるための、ね」
「その前にお嬢様と奥様の呪鬼について話がしたい」
「だから、話を戻すな! そんな暇も時間もないって言ってんだろうが!」
「ああ、そう言う意味だったのね」
「ササちゃん寄り道しないよ!」
「ならばこの鍵は渡さん!」
「振り出しに戻すな!!」
普段とは違う、少し乱暴でくだけた様子のリオ。ササハとは一つしか年齢が違わないはずなのに、どこか大人ぶった素振りをするリオとは違う姿。それがなんだか面白くて、ササハは知らずに笑ってしまっていた。
「……ササちゃん? 笑い事じゃないんだよ」
「少しくらいならいいじゃない」
「ベラバンナ! 君はなんて心優しい良い子なんだ!」
「小さい子扱いしないで下さい!」
「分かっているとも。本当にありが」
「何言ってんの。本当に駄目だからな」
冗談ではない、真剣を取り戻したリオの声がベルデを遮った。
「僕が甘かった。軽く考えてた。まさか騎士であるベルデが我を失ってササハに剣を向けるなんて、本気で思ってなかった。なのにそれが現実だった。なら夫人やローサなんて何をするか分からないじゃないか。もし、万が一でもさっきみたいにササハが危険に晒されたとしたら――――力尽く以外……僕にはあの二人を止める言葉なんて、分からないよ」
そう呟いたリオの声は、小さく掠れていた。ササハがうーんと首を傾げて、すぐに表情を変えた。
「ならベルデさんにお願いしたらいいよ」
「ん?? 私、かい? 一体、何を?」
急に矛先を向けられ、ベルデが驚いた表情でササハを見る。
「なにか危険なことが起こったら、ベルデさんが止めるんです」
「ああ、そういう」
「むしろ危険が起きないよう、前もって相手をふん縛っておくとか」
「ベラバンナ!?」
「ベラバンナって誰のことですか? わたしはササハです」
「オ嬢サマ、良い考エだ!」
「奥様やお嬢様をふん縛るなど……駄目だ! 私は賛同出来ない!」
「なら薬で眠らせておくとか?」
「ベラバンナぁぁ!!」
至って真剣な様子のササハ。リオは耐えきれず眉を下げて詰まっていた息を吐き出した。
「あはは、ササちゃんてばホント過激派」
「カルアンはどういう教育をしているのだ! 九つの幼子に、このような発言をさせるだなんて!!」
「先手必勝。やられる前に、やれ! ですよ!」
「ソーダソーダ」
青ざめうろたえ始めたベルデに、リオは大笑いした。
「けど、冗談抜きに呪鬼のことは後回しにしようか」
現在使用されている明けの館から、反対方向にあるもう一つの訓練場。同じ敷地内にあるとは言っても広大で、ササハたちもこちらへ来るために馬を用意してもらった。訓練場の外には三頭の馬。ササハも一応は馬には乗れるが初心者に毛が生えた程度で、訓練場まではレイラに相乗りさせてもらい連れてきてもらった。
「本来の目的地が途中にあるんだから、寄って帰るべきでしょ」
すっかり寒空が似合う木々の向こう側を指し、リオが言った。整備された林に遮られ、目視は叶わない。が、来る途中にそれらしき建物を通り過ぎたなと、ササハ小さく頷いた。
「私は一度明けの館へ戻るぞ。お嬢様の様子が気になるからな」
先程まではローサに呪鬼がついているか確認して欲しいと騒いでいたベルデも、意外と過激派思考のササハに、大事な主人たちの様子を確認してからだと警戒を抱いた。
リオはベルデから受け取った鍵をポケットにしまい、自身が乗ってきた馬を見上げる。その隣にササハがいて、ベルデが途中まで送ろうかと幼い子どもにするように身をかがめ訊ねているのが見えた。
「お前は本当に子供には態度が違うな」
「子供を慈しみ守るのは大人として当然の義務だろう!」
「子供じゃないです!」
「何を言っているベラバンナ。九歳は立派な子供だ」
「むきぃーーー!!!!」
流れる動作でベルデがデカめのキャンディを取り出し、レイラがササハの頭を撫でている。何をやっているんだコイツ等は。常備しているのかそのキャンディ。
「あんまりうちの子をいじめないであげて」
「いじめられてないし、わたしリオの子じゃないんだけど」
「それはそれは、大変失礼いたしましたお嬢様。お詫びに、私めに貴女様をエスコートする名誉をお与え頂けますでしょうか?」
「はあああ?? リオがいっちばんムカツク!」
「あっはっはっ」
「サイテー男。馬から落ちロ」
「全くだ。子供相手に何をやっているんだ。謹んで詫びろ!」
「うわーん! 皆キライーーーー!!」
一人で走って行こうとしたササハを、レイラが何事もなかったように抱えて馬に乗せていた。
◆◆□◆◆
ササハたちがようやく目的の鍵を手に入れた頃。
「一年も前に…………店を畳んでる?」
王都に来ていたロニファンとレンシュラが、一軒の酒場で飲みたくもない酒を注文していた。地下にある店には窓一つなく、昼間だというのに薄暗い。しかし客はそれなりにおり、漂うタバコの煙とつまるような酒の匂いに、ロニファンは顔をしかめないよう努めていた。
「理由は?」
室内の奥まった場所にある、小さな円卓の向かいに座るのは歯の欠けた男。その男にレンシュラが金を渡しながら話しかける。匂いと場の雰囲気にあてられそうなロニファンだったが、何でもない様子のレンシュラに任せきりにならないようにと平静を装う。
「詳しくは知らねーが、店主が良くない連中と関わっちまったせいだって聞いたことがあるなぁ」
薄汚い襤褸シャツの男は、そう言ってレンシュラが頼んでいた酒を煽った。真っ赤な顔の男は情報屋でもなんでもなく、ただこの街で生まれ育っただけの男。ろくな仕事もせず、ただ日々の酒代を稼ぐためなら簡単に口を滑らせるだけの男だった。それの真偽がどれ程かは分からないが。
「あの建具屋とはぁ、顔見知りだったが……息子が居たなぁんて~、聞いたことねーけどな??」
「いや、そこの店主がオレの親父ってわけじゃ」
「それで、店主以外の従業員はどうなった」
ロニファンの言葉を遮ってレンシュラが質問を続けた。不用意に情報を与えるなということだ。酒の匂いを漂わせ、真っ赤な顔の男は目だけはロニファンを捉えていた。
街の住民である男からすれば、他所から来た怪しい二人組の男。相手の情報を引き出そうとしているのはお互い様であった。
やがて男は大きく頭を振ると、犬猫に餌の時間は終わりだと告げるように両手を広げて見せた。
「これ以上は本当に、何も知らねえよ。あそこには確かに建具屋があったが、一年前に突然店主がいなくなった。小さな店だから元から従業員も僅かで、そいつらも店主が消えてからすぐ姿を見せなくなった。で、三月もしないうちに気づけば次の店が出来てた」
ただ、その際騒ぎが起こることはなく、店主の夜逃げかなにかかと人の関心も噂もすぐに立ち消えたらしかった。
「そうか。助かった」
「へへへ。こっちこそありがとよー」
レンシュラは追加で金をテーブルに置き、男はすかさず懐へとしまう。ロニファンはこれで終わりなのかと困惑していたが、レンシュラに無言で促され大人しく従うことにした。
店の外。地上へと続く階段を登りきった先で、レンシュラがロニファンに聞こえるような声量で話す。
「あれ以上粘っても何も出ない。金の無駄だ」
「そうなのか? けど、なんでそんなこと分かんだよ?」
「……勘だ」
「勘って」
ロニファンは父親へ会うために王都へ来た。しかしレンシュラは違う。最初レンシュラは自身も王都へ行く用事があるついでだと言っていた。その回答には半信半疑だったが、ロニファンの面倒だけを見るためについてきたと考えるのも不自然で、ついでというのは本当なのだろう。しかしその用事とやらが何なのかは教えてもらえなかった。
「これから、どうするんだ」
いつの間にか立ち止まっていたらしい。同じく立ち止まったレンシュラがロニファンに問いかける。
「出稼ぎで働き口がなくなった場合、家に戻っている可能性が高いんじゃないか?」
「…………、けど、前の家は親父が出ていく時にぶっ壊して行きやがったから、人が住める状態じゃないんす」
「・・・そうか」
珍しく――いや、ササハといる時はそうでもなかったが――レンシュラの目が驚きに丸くなる。何のためにそんなことを、とでも考えていそうだが、レンシュラがその疑問を口にすることはなかった。
だが、こうなってしまった今、ロニファンが王都ですることがなくなってしまった。知り合いもいないこの広い街で、小さな店の一従業員の行方を調べるのは無謀だろう。それならば一度実家に戻ったほうが可能性としてはあり得るかもしれない。
「なあ、あんたは――」
これからどうするのかと、ロニファンがレンシュラに訊ねようとした時。
「あの――――、もしかしてチェイスさんのお知り合いの方ですか?」
チェイス。それはロニファンの探し人――父親の名前。
「おい、今、チェイスって、あんた親父の事なにか知ってるのか!」
「きゃあ!」
ロニファンは声がした方へと勢いよく振り返り、その人物の肩を掴む。小さな悲鳴が上がったが、ロニファンにそれを気にする余裕はなかった。
「すいません。父の店の事を聞き回っている人がいるって聞いて、それで気になって私――」
鈴を転がしたような甘い声。
「あ、悪い。つい驚いて」
「いいんです。私も急に声をかけてしまったから」
ロニファンより一つ二つは下に見える、長い髪の少女。少女は手を離し、一歩後ろに下がったロニファンを見上げると安堵したように息を吐く。
「でも、良かった。父の店のことを聞いて回っている人が、チェイスさんのお知り合いの方で」
言って少女は零れた長い髪を一房、耳へとかけ淡い笑みを零す。しかし、すぐに何かを思い出したかのように表情を曇らせ、可愛らしい顔を曇らせた。
「良ければ少しだけ、お話出来ませんか? ……ほんの少しだけで良いんです」
不安げに目を伏せる少女の肩は、小さく震えていた。




