13話 勝てばいい
大きく振り下ろされたベルデの剣を、リオは衝撃を逃しながら受け流した。そこに相手からの反応はなく、一撃二撃と次が襲いかかる。ベルデの攻撃は一つ一つが重く、リオは押されるがままに後退を続ける。
激しく響く金属音。ササハはそれを少し離れた場所から見守り、防戦一方のリオに不安が募る。轟く衝突音は高く、殴りつけるような剣撃はリオなど簡単に吹き飛ばしてしまいそうだ。
ハラハラと、レイラの背に庇われながら身を乗り出すササハとは裏腹に、リオは重い一撃を受けながら僅かに眉を寄せた。
(……らしくない)
ガキン、ガキンと加減を感じさせない激しい音。刃こぼれなど気にした様子はなく、ただただ相手をねじ伏せてやろうとする乱暴なだけの力。リオがベルデについて知っていることはそう多くないが、違和感を持つには十分だった。
ベルデは貴族ではあるが土地は持たず、男兄弟はなく妹が三人いる。父親もかつてはリオーク家に仕えていた騎士であったが利き腕を負傷し、今は引退し療養も兼ねて田舎へと移り住んだ。妹三人はすでに嫁に出ており、ベルデ自身も早く身を固めろと急かされている。
元は通常騎士隊にいた男だった。それがフェイルが視えると判明してから異例の出世をし、それは部隊移動後すぐに班長を任される程であった。
フェイル討伐を行う四大家門であっても、通常騎士隊にいる騎士たちにとって特務部隊は謎の隊だった。何をしているのかは何となくは知っているが、何と戦っているのかは理解出来なかった。ベルデも最初はその内の一人で、自分たち通常騎士とは違う、自分には関係のない――関係することが出来ない部隊なのだと思っていた。
「おいおい、本当にどうしちまったんだよ! 騎士団長さんは!」
「……」
力任せの一振りを大きく流し、リオが初めて反撃をする。
ベルデはリオに剣を教えてくれた人物でもあった。リオーク家に来てから、リオにも専属の家庭教師がいたらしいが、まともに会うことはないままリオは騎士たちの寄宿舎に転がり込んだ。強くはなりたかった。だが、リオークの為の剣は学びたくなかった。周りの声は無視し勝手に訓練場に来ては一人剣を振るうリオに、他の騎士たちはどうすることも出来ず静観し関わらないようにした。
そんなリオに剣を、騎士とは何かを教えたのはベルデだった。そしてベルデも異例の出世を遂げ、名ばかりの班長である若造に勝負を挑みに来る奇妙な小僧だと、そうリオのことを捉えていた。
「く、」
ベルデの手の甲を掠めた切っ先に、ベルデは初めて身を引いた。それを逃さずリオは後を追う。ベルデとは違い重なる打撃音は軽く、しかし響く回数は速い。
「なに頭に血ぃ滾らせてんだよ。騎士たるものいかなる時にも冷静に、なんだろぉ!」
「煩い! 黙れ!」
ベルデの剣がリオの首を僅かに裂く。傷は深くない。しかし真横に引かれた一線から赤い雫が伝い落ち、ササハが引き攣った悲鳴を漏らした。
「リオ!」
「駄目、オ嬢サマ。今近づくのハ危なイ」
「でも、リオがっ」
ササハに剣術のことは分からない。分からないから最悪の想像が簡単に出来てしまう。
「大丈ブ。さすがにオブビリドも殺シはしな…………しない、ハズ、と思ウ。たぶん」
「たぶんってなんですか!? やっぱり可能性としてはあるんじゃないですかぁ!! うわあああ、リオ~」
背後から抱きすくめられたササハは、涙声でリオを呼んだ。それだけでリオはササハの表情が思い浮かび、無意識に口元が緩んでしまう。
「何を、笑っている」
聞いたこともない、普段のベルデとは違う低い声がリオを咎める。
「お嬢様を――守るべき妹を悲しみの中に置き去りにしたキサマが、自分だけ笑うなど許されるものかぁ!!」
リオの手から剣が弾かれる。今まで同様受け流すことは出来たはずなのに、硬直したように身体が動かなかった。握っていたものを力任せに薙ぎ払われ、受けた衝撃に両手が痺れる。
「キサマの敗けだ、ノア・リオーク」
まっすぐに伸ばされたベルデの剣。その切っ先がリオの首元へと突きつけられる。先ほど流した血はほぼ乾いた。傷が治ったわけではないので痛むはずなのに、それらを感じる余裕すら今のリオにはない。
リオにとってベルデは勝てない相手である。しかし、今回は勝てない試合ではなかった。なぜなら相手が常の状態から逸していたからだ。まともな睡眠が取れていないであろう酷い隈に、血色の悪い顔色。圧倒的な力技で押し切るタイプのレンシュラとは違い、ベルデはどちらかというと相手の動きを見て仕掛ける技術タイプだ。その場合リオとっては前者のほうが厄介なうえ苦手だった。理屈が通じないから。リオが頭でどれだけ考えようが、最終的に熱量と馬鹿力でねじ伏せてくる。ので本当に嫌。
だから勝てると。今の、もしかして呪鬼のせいで冷静さを欠いているベルデになら、負けはせずとも剣を交え合いながら話をするくらいなら出来ると、そう勘違いしていた。
「ホント、最悪」
リオの声は掠れ、強張っていた身体は自身への憤り以外の力を失う。馬鹿で間抜けで、どこまでも自己中心的だ。
勝負は決したがベルデは剣を降ろさない。リオがまだ自身の敗北を、ベルデの持ちかけた条件への返事を口にしないから。
そこでベルデの意識が別へと移る。
「……何の真似だ」
ベルデの冷たい声と同時に、リオの足元に硬いものが触れた感触に気づく。複数体の布カタシロがリオの弾かれた剣を支え、えっほえっほとリオの足元まで持ってきたのだ。
視線の先にはレイラに抑え込まれ、涙を溜めたササハの姿があった。
「リオはまだ負けてない……負けたって、言ってない」
なぜかササハは怒っていた。が、怒っているササハは珍しいものではない。ササハは割と感情が表に出てしまうタイプで、些細なことでへそを曲げるし、なのに怒りは持続しないのか気づいたらしょうがないなとすぐに笑ってくれる。怒っているよりも、楽しい時間のほうが大事。だが、そんな彼女が今、本気で怒っていた。リオに対して。
「なのになんでリオはそんな表情してるの? ダメだって、勝つつもり無い顔してる! なんで? やるならちゃんと本気で戦って! 絶対負けないって、勝つつもりで頑張ってよ! やりたくないなら止めたらいい。けど戦うって決めたならそんな簡単に投げ出さないで!」
リオの口元が歪む。いつの間にかカタシロたちはササハの元へ戻り、足元にはリオの剣が転がっている。ベルデはそれを拾うことも、遠くへやることもせず静かにササハを見ていた。
「負けちゃってもいいよ! そしたら今度はわたしがベルデさんに挑むから。それで勝ってリオを返してもらうんだから……だから、そんな表情したまま諦めないでよ! 負けるなら負けるで、ちゃんと最後まで諦めるなぁ!!」
むちゃくちゃじゃん――そんな軽口は出てこなかった。
何とも情けないことか!
「ごめんねササちゃん。確かにこれは無しだね」
ニヤリと笑みを浮かべたリオの手に剣はない。リオが剣を拾う素振りを見せれば、ベルデはすぐに己の剣を振るだろう。殺しはせず、だが回復薬で治る程度には痛めつけはするはずだ。
「僕にだって負けられない理由があったの忘れてたよ」
リオの脳裏に浮かんだは祝福のタリスマン。普段は鞄にしまい込み、ササハと再開するきっかけとなったもの。
剣を拾うためならしゃがみ込むはずが、リオは身じろぎせず自身の頭につけている特殊魔具に魔力を集中させた。途端、結晶石の形を模したリオの特殊魔具が強い光を放ち、ベルデは咄嗟に視界をかばってしまった。
「くそ! 卑怯だぞキサマっ!!」
「卑怯で結構! 最終的に勝てばいいんだ、よ!」
光は一瞬でおさまったが、間近でそれを見たベルデへのダメージは相当のようだ。それでも悪い視界で無茶な攻撃はせず、刃先を外に向け剣首で当身を狙ってきた。――が、リオが足元の剣を拾い上げるほうが早かった。
「これで形成逆転だね、ベルデ♪」
「くっ……こんな、ふざけたこと」
ベルデの戻ってきた視界に、リオの厭らしく勝ち誇った笑みが映る。腹立たしいことこの上ない。二人は気づいてないが、遠くでレイラがめちゃくちゃ引いている。ササハ普通によっしゃと喜んでいる。
「ふふ~ん。僕も鬼じゃないからー、さっきのベルデみたいに自分で負けを認めるのを待ってあげるよ。だから早く負けましたって言いなよ、オブビリド先輩♪」
「キサマっ……」
「うわっ、そんな言い方しなくても……リオ最低」
「ゲスだ。最低最悪、クソ男め」
「外野が煩い!」
ベルデの顔は怒りで真っ赤に染まっている。しかし攻撃の体制を解き、その隙に突きつけたれた剣先に身動きが取れない。リオが油断しない限りは何も出来ない。
「悪いけど、今度は絶対に投げ出さないから」
敗北を宣言するまでは待つ。だが、根比べでは負けない。それが嘘でもハッタリの言葉でも無いことに、ベルデは目が眩むほどの怒りを感じた。
「あれ? あれって」
ベルデの足元。ササハは影から伸びた二本の手を見つけた。
「お嬢様のお言葉には背を向けたくせに、カルアンの娘には耳を傾けるのだな」
「呪鬼だ! 呪鬼がいた」
呆れて気を抜いていたレイラの横をササハが走り抜けた。
「オ嬢サマ!? ダメだ!」
「本当にキサマは、ローサお嬢様のことを見捨てるつもりなんだなぁ!!!!」
「サ――っ!」
ベルデが殺気立つよりも、リオの視界にかけてくるササハが見えたほうが早かった。逸れた意識、ベルデはリオの腹を蹴り後ろへと飛び退いた。来る――そうリオは身構えたがベルデはリオではなく、背後へと走り出す。ササハがいる方角へと。
「カルアンの娘! キサマさえいなければ!」
レイラの、リオの手が届くより先にベルデがササハの服を掴み引き寄せた。尋常ではない、血走った目。それから視線を外すことはササハには出来なかった。
ベルデが剣を握った右手を振り上げた。
「止めろベルデ! その娘まだ実年齢九歳の女児だからぁぁ!!」
リオの大声が広い訓練場内に響き渡った。振り降ろされたベルデの剣は止められる速さではない――――通常なら。
「そ――――――っれを早く言わんか愚か者がぁ! 危うく幼子を傷つけてしまうところだったじゃないか大丈夫かベラバンナ!! 怖い思いをさせてしまった申し訳ない!!!!」
「は、はひぃ!?!?」
常人には無理な動きで手首を捻ったかと思うと、流れるような動作で剣を手離し刃物は危ないと遠くへと蹴り飛ばしたベルデ。胸ぐらを掴み上げられ足が浮きそうだったササハは困惑の中、いつの間にか衣服を正され、ビビって足腰立たなくなったためそのまま片膝を立てたベルデの太ももに横向きに座らされた。ベルデ曰く、立てないのに座るところがないからだそうだ。
びっくりお目々を瞬かせるササハの目の前に、ベルデの影からひょっこり顔の半分を覗かせている呪鬼と目があった。気がした。
「オ嬢サマから離れろ、この変態稚児趣味ヤロウ!」
「俺は変態ではないし、稚児趣味もない!」
レイラが遠慮のない蹴りをベルデの顔面へと繰り出したので、ベルデはそれを避け、身体が揺らいだことによりササハは我に返り足元への呪鬼へと飛びついた。リオは早鐘を打つ心臓を鎮めようと、緊張の息を深く長く吐き出した。やっべー。ぎりぎり間に合った。一か八かだったけど、通じて良かった。
三……四者四様、様々な感情が入り乱れる中。ササハはせっかく捕まえたと思った呪鬼に噛みつかれ、取り逃がし、呪鬼はどこか遠くへと行ってしまった。




