8話 不思議な夢
一日の真ん中を示す四の鐘。のさらにもう一つ後。五つ目の鐘が鳴る中、ササハは目的もなく町を歩いていた。
レンシュラには速攻で約束を反故にされ、落とし物を届けてあげたノアには、なぜだか散々な態度を取られた。
(なんか、体だるいな)
今しがた全力で駆けてきたところではあるが、朝は依頼書とにらめっこをしていただけで、体力的には余裕がある。だが、地を蹴る足取りは重く、頭の奥がぐらぐらと煮えている。
ササハはこの気だるい症状に眉根を寄せる。風邪だ。
平素なら祖母に告げ、すぐに布団の中へと収納される。薄着で走りまわるからだの、夜遅くまで起きているからだのと文句を言われながらも、薬草を煎じてくれる。例えその煎じ薬が、元からなかった吐き気を催すほどにまずくても、そら見ろ馬鹿なことをするからだと、皺のある手をササハの額に押し当てながら怒られる。
村を出てから、ロキアにつくまで半月。
乗り物は使わず野宿をしたり、むしろ涼しいうちにと夜通し走ったり。無茶な道のりだった。
あまり時間を無駄にしたくは無かったが、気づけば宿のある道まで戻っていた。
ロキアの宿屋には食堂がなく、その為かすぐ隣にめし屋がある。昨日町で聞き込みをした時には、めし屋には行かなかったので、出来れば今日のうちに訪れたいと思っていたのだが。
(う……やっぱり気持ち悪いかも。今日はもう休もう)
一歩進むごとに重くなる足取り。ササハは時間をかけて宿への道を進んで行った。
◆◆□◆◆
夏の終わりとは言え、厳しい日差しが注ぐ日中。ノアは必死に町中を駆け巡った。
大通りや、そこから外れた裏道の奥。手入れの行き届いてない海岸沿いや、ぐるりと回って町外れの城門辺りまで。ノアが必死に走り抜けた細道から、建物を挟んだ向こう側の通りを、探し人であるササハがのろのろと歩いていたのをノアは見つけられなかった。
「あ! レーン! レンレンレン、レーン!!」
ノアがぐるりと町を一周し、海岸近くまで戻ってきた時。遠くに知った顔を見つけた。大声で名を呼び、呼ばれたレンシュラはチラリと横目で一瞥したあと、至極嫌そうな顔をしてから無視を決め込み足を早めた。
「なあ、女の子見なかった? 僕と同い年くらいの女の子!」
よくある対応なのか、ノアは歩く速度を一切緩めないレンシュラの横に並んだ。一方レンシュラは迷惑そうに眉根を寄せている。終いには服を掴み、止まれと足を突っぱねるノアにレンシュラは折れてやった。
「ナンパか?」
「違うよ! そうじゃなくて――、そうじゃないんだけど、あれ?」
ふとノアは、汗だくになってまで少女を探している自分に疑問を持った。
「ちょっと情報を整理するね」
「声に出すな。一人でやってくれ」
「うん、実はさ。昨日女の子に声をかけられたんだよね」
気にせず話し出すノアにレンシュラは遠い目をする。
「ほら、僕ってこんな見た目でしょ? だからいつもの『一目惚れしましたぁ』系か、客引きの女の子だと思ってたんだけど。なん……だろうな。失くしたタリスマンをその子が持ってて、しかもその子――何でか僕のだって判った上で返してくれたんだよね」
「……スられていた訳ではなく?」
「それは無いと思う。昨日その子に会った時はすでに失くしちゃった後だったし。……本当に、なんで僕のだってわかったんだろう?」
ノアは外出時にはタリスマンを鞄に取り付け持ち歩いていた。それが昨日はたまたま、サブのポーチだけを持って買い物に出かけた。
取り付けると言っても魔道具で固定しているため、滅多なことで外れるなんてことはない。
気味が悪い、というよりは、心底不思議だと首を捻るノアに、レンシュラは逆に違和感を感じる。
「落としたところを偶然見ていたんじゃないか?」
「そうなのかなぁ」
「それに、問題なく戻ってきたのならそれでいいだろう。探し出してどうする。礼でもするのか? お前が?」
「う……礼、よりは先に謝罪かな?」
「?」
「ちょぉ~っと勘違いしちゃって。すっげー体調悪そうだったのに、商売女と思って超冷たくしちゃった」
「・・・」
「うわーもう、マジのどん引き顔やめてよ。これでも反省してるんだよー」
レンシュラが、それは深い溜め息をつく。この性悪男に真面目に付き合うと疲れるだけだ。
「そんなことより」
レンシュラがやや堅い声音を出しノアを見る。
近くに人がいないことを知った上で声量を落とした。何度もこの町を訪れ、なのについ先程知ることになった情報を、連れに教えるために。
◆◆□◆◆
とても心地よい温もりだった。
赤茶色の屋根に、ベージュ色の壁。庭には大きな木が一本生えていて、小さなオレンジ色の花がたくさん咲いている。
遠くには青い海が広がり、白い船が浮いている。
大きなツバのある帽子をかぶった女性が、優しげに微笑んでいる。
――“ “
名前を呼ばれ、若草を踏みしめ駆け寄った。
――“ “
女性は若草に膝を付き、嬉しそうに両手を広げている。
伸ばされた手が“ “の手を握り、力強く、唐突に夜の森を引きづられるように駆けている。速く、速く、速く、もっと疾く――……
駆ける背のすぐ後ろには、黒と赤の化け物が迫っていた。
「きゃああ!」
自身の声に驚き目を覚ます。飛び起きはしなかったものの汗に濡れた胸元を握りしめ、ササハは目を見開いて硬直する。
見上げる天井は焦点が合わず、短い呼吸がやけに耳についた。
「ゆ、ゆめ……?」
乾いた声が空中へ消える。
ササハはゆっくりと身体を起こすと、ベッドから足だけ下ろし自分自身を抱きしめた。握った肩は震えており、痛いくらいに心臓が脈打っている。血液が流れる音が耳の奥から聞こえ、しばらくの後、ようやっと周りを確認する余裕が生まれた。
慣れない町の、宿屋のベッドの上。
カーテンもない窓から差し込む日差しは強く、早朝や日暮れ間近ではなさそうだ。宿屋は城門の近くにあるため、開門前であれば人の出入りは少なく、しかし今は外から喧騒が届いている。
(今は何時……いや、今日はいったい何日?)
早いうちから宿に戻り、どれくらい眠っていたのかは分からないが、おそらくは昨日。
町の散策中に気分が悪くなり、何とか宿に戻って着替えたところまでは覚えている。視線を床に落としてみれば、鞄と靴が無造作に転がっているのが見えた。
(ほぼ、丸一日くらい寝てたのかな?)
ササハは億劫そうに立ち上がる。
寝すぎのせいか頭は重いが、昨日感じた気だるさは無くなっている。てっきり風邪だと思っていたが、旅の疲れが出ただけかも知れない。
(それにしても、さっきの夢はなに?)
心地よく、なのに酷く恐ろしい夢だった。
何の心当たりもなく、見たこともない景色と知らない女性。いや――もしかしたらあの女性は……。
ササハはぶるりと身を震わせ、ありえないと大きく首を横に振った。
「馬鹿なこと考えてないで、はやく着替えよう」
明るい声をわざと出し、洗顔用の器に水を入れ、布に含ませ身体を拭う。一階に共同のシャワー室もあるが別料金な上、利用時のトラブルは自己責任なので利用する気にはなれない。
汗を拭うだけでも随分ましになりスッキリとした。自前の水筒で水分補給も済ませ、ようやくひと心地つく。
さて、夢で見たあの光景はなんだったのだろうか。
(大きな木が生えているお家。髪の長い女性。それと)
思い出そうとするも、ぼやけた記憶しか無く、二つの赤い光を放つ黒の大きな化け物。それに追われているような体験を、夢の中でしたのだ。
(あと、名前。女の人に名前を呼ばれた。けど、なんて言われたっけ?)
思い出せない。が、最近別の場所で知らぬ名を聞いた。
ルイス。
夢の中の女性ではない。町中で見かけた何かはそう言っていた気がする。
そもそも、なぜこんな夢をみたのか? 今までこの様なことは一度も無かった。産まれてから、一度も――。
(そういえば、小さい時のことはあまり覚えてないな。ばあちゃんは、わたしが昔から怖がりって言ってたけど……全く身に覚えがない)
ロキアに着いた日に泣きべそをかきながら木にしがみついていた事は棚に上げ、ササハは寝間着を着替え、髪を梳かしながら昔を思い返す。
「あれ? 本当に引っ越す前のことか、全然思い出せないぞ?」
むしろ己の記憶力の無さに絶望する。
ササハと祖母がアジェ村に居着いたのは七年前。それまでにも二度ほど住処を変えたことは覚えているが、それ以前のことはあまり記憶がない。アジェ村に住むまでは祖母以外の知り合いは殆どおらず、家を貸してくれていた大家だろうか、祖母が申し訳無さそうに頭を下げている姿は記憶にこびりついていた。
狭い、物置ほどの質素な部屋。
薄暗いその部屋の、めったに開けられない入り口が開かれると怖い人が来る。そうすると祖母は薄い背中を丸めて、ただただ頭を下げるのだ。
またある日の記憶では、たしかその頃のササハはドアノブに手が届かず、一人で扉を開けることすら出来なかった。なのにその日は偶然、立て付けの悪いドアを祖母がきちんと閉められず、入り口の石段まで出てしまったササハが二段しかない段差を踏み外し落ちた事は覚えている。
ある日は寒い冬の夜で。まん丸お月さまと、祖母の背で、たくさんの布でぐるぐる巻にされながら、ササハを背負って歩く、祖母の白い息をぼんやりと見ていた。それから、あの薄暗くて狭い部屋での記憶はない。
「箸のささった髪飾り~♪」
髪をまとめ、祖母と揃いの髪飾りをつける。もしかしたら簪と言うほうが正しいかも知れないが、どう見たって祖母が教えてくれた、箸というものが二本刺さっているようにしか見えない。へんてこな髪飾り。本体は丸い筒状で、ちょうど半分に割れて開き、内側は櫛のようになっているため、変な箸は本当にただの飾りだった。
正直に言うとササハの趣味ではない。祖母の趣味が変なだけだ。
ササハの祖母は変な人だ。
カタシロだとか、畑が荒らされない為のおまじないだとか色々知っている。
村の大人ですら覚えてない文字を使いこなして、さらには漢字という異国の文字まで知っている。ササハには箸も簪も文字ではなく、同じ形にしか見えないのに。祖母はすごく、すぅごっく、変な人だ。
「よぅし。今日も一日頑張るぞ」
荷物を持ち扉に鍵をかけ、ササハは宿の階段を軽い足取りで駆け下りる。
宿代を先払いしている期間内ならば、鍵は受付に預けなくてもいいらしい。逆に、先払い分より早く出る場合は、鍵を返却しない限り過剰分の宿代も戻ってこない。
「おはようございます」
受付にいる宿屋の主人に声をかける。
「おはよう。ってもう昼だぜ? ――それよか、昨晩何かあったのか?」
「昨晩? 何かあったとは?」
念の為日付けを確認しようと足を止めたのに、主人の言葉にカレンダーから目を離す。
「覚えてないのか? 夜中に音がしたから、確認しに行ったんだよ。それで嬢ちゃんの部屋をノックしたんだけど、かえってきたノックはやたら強いし、内鍵をしたままドアノブを乱暴に回すしよ。なのに返事はないから、とりあえず戻ったけど……なにかあったのか?」
「え!? いえ、なにもっ??」
「問題ないなら別に良いけどよ。物を壊したり、勝手に誰かを部屋に泊めたりしないでくれよ」
「はい、それはもちろん。けど、わたし昨日は……」
部屋には誰も入れていないし、夜中に起きた記憶もない。
主人は注意を済ませるとすぐに奥へと引っ込んでしまったが、一人残されたササハは青ざめる。
「き、気のせいよ。寝ぼけて、自分でやったのを覚えてないだけよ」
きっと、おそらく、絶対にそう! でなければ何が原因だというのか。
ササハは、右手と右足を同時に出しながら、ぎこちなく宿の外へ出る。昼過ぎの日差しは明るく、大通りへ向かう人の喧騒が今はありがたい。
「早くばーちゃんを見つけて、この町を出よう」
そう強く願った。