8話 なんだっけ
少女とよべる年齢にしては艶のない赤い髪。
「ローサ!」
ローサと呼ばれた少女は右腕を大きく振り上げた。ローサが振り下ろした右手には小さなナイフ。彼女が睨みつけるのはリオ。距離があるため脅しだったのかその切っ先は何をも切れず、避ける必要すらなかった。
「どうして、お兄様! お兄様のせいよ!」
「お嬢様!」
すぐに数人のメイドがローサの腕を取り止める。ローサは暴れているがメイドたちは臆することなく、どころか手際よく今にも折れてしまいそうな細腕から刃物を取り上げていた。
「お兄様が、お兄様さえいてくれれば、ぅ、あああ!」
血色の悪い頬に涙が伝い、眠れていないのか濃い隈がある目元がメイドの手によって隠される。やがてローサは幼子をあやすようにして連れられていった。
その間、ササハとリオは何も出来ず立ちすくんでいた。
「あの、お怪我は……」
いつの間にいたのか真っ青な顔のバルトロが、ササハとリオどちらともに声をかけた。
「こちらは問題ナイ」
「ですが」
「オ嬢サマにはワタシがついている。ついでにこのマヌケの面倒も見といてヤル」
だからお前はローサのこと優先しろとレイラが目線で答えれば、バルトロはかすかに安堵をこぼし、ローサが連れて行かた方角へと消えていった。そこでようやく緊張が緩み、ササハは無意識に詰めていた息を吐き出した。
「今のが、ローサお嬢さん……」
リオーク家の『印』持ちであり、リオの妹。
「リオ」
背中しか見えないリオに呼びかける。
「リオ!」
「ぁ、え? ああ、なに?」
近寄ってササハはリオの腕を取った。聞こえていなかったのかリオは驚いた様子で、振り向いた顔色は酷いものだった。
「ベルデさん探そ」
「……うん、ああ、えと、そうなんだけど」
「うん。だから行こ」
リオの言葉を待たず、リオの手を握り直して引っ張った。
「やること早く終わらせて、カルアンに帰ろ」
ササハは何となくリオの様子を確認したくなくて、ただ前を向いて進んだ。ベルデがどこにいるか何てわからないが、有無を言わさぬ雰囲気を頑張って作り出した。
それにレイラはすぐササハの隣へと歩調を速めたが、リオは引かれるがまま遅れて歩いていた。
本当は刃物を振り回す人物に遭遇しビビリ倒していたササハだったが、リオのほうが気になってそれどころではなくなった。
◆◆□◆◆
ベルデを捜索することわずか数分。
「団長ならお嬢様の元へ行かれましたよ」
特務部隊ではなく、通常騎士隊のほう。特務部隊の指揮隊長と、騎士団自体の団長を兼任するベルデは多忙を極めていた。中でもベルデはローサ関連の出来事には積極的に関わるようにしているらしく、先程までいらしたんですけれどと、騎士の青年は教えてくれた。
教えてくれた騎士の青年も、その後のベルデの予定などは知らないのでいつ戻ってくるかも分かないとのことだった。
「そりゃそうだよね。むしろバルトロに連絡つけてもらって、呼び出したほうが早かったかも」
「ハジメからそうしていろ、バカ頭」
「はあ? 誰が馬鹿だってアホ女ぁ」
あの後すぐにいつもの調子を取り戻したリオは、青筋を浮かべながらレイラに食って掛かる。
「呼んだら来てくれるかな?」
「大丈夫じゃない。ベルデが言ってた要求に対して、答えたいって言えば飛んで来そう」
「え!? 要求に答えるって、リオ、カルアン辞めるつもりなの!」
「違うよ。ただ要求に対して”答えはいいえです”って『答え』を答えたいって意味だから」
「嘘ついて呼ぶの!? ……それはちょっと」
「嘘はついてないってば。曖昧な言い回しを使うだけ」
「うわ……」
「ヒデー野郎だナ。サイテー男。クズ、人でなし」
「お前は黙ってろよアホ女」
ついにはリオとレイラがガンを飛ばし合い始めた。この二人仲が良いのか悪いのか分からなくなる。
リオはベルデに嘘をつくわけではないと言っていたが、ササハは何だか気が乗らず難しい表情を浮かべた。自分だったらどうかしらと考えて、ササハは眉を寄せて首を振った。
「やっぱり嫌だな。待ってた人から期待させられて、本当は違いましたみたいに言われるの。わたしは嫌だ」
ベルデがどういった感情でリオの帰りを待っているのかは知らないが。
「騙して呼び出す前に、今からお嬢さんのお部屋の近くに行ってさ、待ち伏せしよ」
まだそちらのほうがマシだと、ササハは意気込んだ。
意気込んだは良いものの――
「申し訳ありませんが、これより先はご遠慮願います」
「ですよねー……すいません」
ローサの部屋があるらしきフロアにすら、ササハたちは上がらせてもらえなかった。それでもベルデがまだローサの側にいることは教えてもらったので、その場で待ち伏せをすることになった。
場所は二階の階段前。廊下の突き当り。故になにもない。他にもローサのいるフロアへ繋がる道筋はあったが、二手に分かれても潰せない数だったので諦めて一箇所に絞った。絞ったというか、リオとレイラはそもそも上手くいかない可能性のほうが高いと思っているため、本当にササハの納得のためだけに付き合っていた。
しかしあまりに何もなさすぎて、途中でレイラが離脱した。
「ワタシは少し、屋敷のタンサクをしてくるヨ」
と言ってどこかへ行ってしまった。それが昨晩出来なかったとある御人の部屋を探るためだとか、そんな事ササハは微塵も思わず、リオは余計なことだけはするなと忠告はしたが止めはしなかった。
「ベルデさん来ないね」
「そーだね」
壁側にしゃがみ込みササハは正面の階段を眺める。メイド服を着ているため、傍から見れば完全におサボりメイドである。ただ側にリオがいるため、事情を知らない者たちも何も言わず、そもそも使用人の数が少なすぎて見かける人影も殆ど無い。
恐らくではあるが、多忙であるベルデはすでにどこかへと移動しているだろう。リオはそう思いながらも、いつもはおしゃべりなササハが黙って階段を眺めているのを、壁に背を預けたまま見下ろしていた。
何をするでもなく、静かな時間。リオは見下ろした先の旋毛を、人差し指でやんわりと押した。
「なに???」
「なんとなく?」
「なんとなく!?」
「そこに可愛くて押しやすそうな旋毛があったので」
「意味わかんない。やめてよね!」
自分の旋毛を庇いながらササハは嫌そうな顔をした。リオは悪いと思っていないへらへら笑顔でごめんねぇ、と言った。いつもならスネに蹴りの一発でもお見舞いしてやったが、しゃがみ込んでいるためいつの日かへと貸しにしておくことにした。
ササハはしょうがないなと立ち上がろうとし、下を向いた視線の端で黒い影を見つけた。
真っくろ黒の小さな子鬼。人間の赤子よりふた周りほど小柄で手足は細く、なのに腹だけは異様に膨れ上がっている。そして髪のない丸みを帯びたシルエットには角と思わしき突起が二つ。真っ黒すぎて目も口もわからないが、その謎の真っ黒がいつの間にかリオの片足を抱き込んでそこに居た。
「なに、これ?」
つい数日前まで訓練生だったササハは、特殊魔具を使うという発想が出てこず、無防備に片手を伸ばした。リオが急に何だと首を傾げ、足元の子鬼はササハの手を嫌うように払いのけた後、リオの影へと引っ込んでしまった。
「ぎゃ?! リオの影に黒いのが入っちゃった」
「え? え? なんて? 僕の影に? なに? 何かいるの??」
頭上からリオの引きつった声が降った。
「どうしよう。何だったんだろ。リオは何ともないの?」
「ないけど、ホントになに?! 詳しく説明して??」
自分の影に何かしらが入ったとしか分からないリオは青ざめ、自分の影を避けるようにステップを踏む。なんとも滑稽だ。
「でも、わたしあれ、どこかで見たような……」
「ねえ! 思い出して! そしてお兄さんに分かるように説明して!」
「何だったかな……んー」
頭をひねり、記憶を探るササハはあることを思い出しハッとする。
「そうだ、呪鬼だ!」
真っ黒な、影のような子鬼。前に父の屋敷で家庭教師と見た教科書。そこで習った、呪いが形になった現象を指す言葉。――呪鬼。
それが今リオの影の中へと飛び込んだのだ。




