5話 あっちもこっちも
血みたいな赤い髪。なのに血色の悪い白い肌。
すっと通った鼻筋も、色づいた口元も、お高く止まってすごく下品。
細くしなやかな指が向かう先なんて――。
キライ、キライ、全部キライ!
今すぐに、消えてなくなればいいのに。
ガシャン!! ――――大きな音を立て、窓ガラスにぶつけられた花瓶が割れる。割れたのは花瓶だけ。長く続く廊下の窓はすべて分厚いカーテンに閉じられ、その重い布地の向こうの窓ガラスも、魔法が施してあるのか通常のガラスとは違い力任せに花瓶をぶつけられてもヒビすら入っていなかった。
「奥様」
「さあこちらへ」
花瓶を投げたのはやせ細った一人の女性。余分な肉かそげ落ち、白く血の気が失われた皮ばかりの手足に、特注のはずであるのにすぐサイズが合わなくなってしまう白のネグリジェ。かろうじて肩に引掛けているショールの残りは床を這っている。
昼間なのに厚い布地で閉じ込められた廊下はただただ暗く、なのにその暗さの理由を知らず、考えず、陽の光を取り入れようとした一人の新人メイドが、何が起こったのかと呆けた顔で地面に尻をついている。
「盗人よ! 今そこに魔女がいたの!!」
「奥様。奥様のお好きなハーブティーはいかがでしょうか」
「早く追い出して、いいえ退治してしまわないと」
裸足で寝衣のまま、なのにリオーク一族が持つ真紅の髪はキツく結い上げている奥様と呼ばれた女性。そんな赤髪の女性を囲み、しかし慣れた様子のメイドたちは声音も態度も変えることなく落ち着いている。しばらくしメイドたちに促されるように、女性は自室なのであろう近くの部屋へと姿を消した。
「お怪我はございませんでしょうか」
薄暗い廊下でもわかるくらい顔色を失った執事の老爺が、未だ地べたにへたり込んだままの小娘を気遣う。真新しいメイド服は着慣れた様子はなく、二本の棒が突き出たようなへんてこな髪飾りをつけている少女。
「あの……」
「はい」
老爺と少女は白い顔色で向き合う。
「わたし、勝手なことしちゃったみたいで。この辺りだけ暗かったから、カーテン開け忘れてたのかと、それで」
「お怪我がないようでしたら何よりです」
「すみません。せっかくバルトロが色々教えてくれてた途中なのに、わたし……」
べそをかき出した少女――ササハに、バルトロと呼ばれた老爺は白い眉をたれ下げ慌てふためく。
「ムム。オ嬢サマが泣いてるケハイがする」
階段の向こう。姿は見えないが、静まり返った階下からもう一人の客人の声が聞こえバルトロの寿命がぎゅっと縮まる。この際失礼だろうが何だろうが、バルトロは今年五歳を迎えたばかりのひ孫に対するように、ササハをあやしながら薄暗い廊下から階下へと向かう。
レイラと合流し、すぐさま自身の迂闊な行動のせいで周りに迷惑をかけてしまったと説明するササハに、バルトロは内心申し訳なく思いながらも安堵もする。館の説明をしている途中、好奇心につられ側を離れたのはササハだ。それでも当主代理である旦那様より、くれぐれもと客人に対するもてなしを命じられていたバルトロは先程の出来事に肝を冷やしていた。
「あちらは奥様のお部屋があるフロアでございます。ですので、申し訳ありませんがあちら側への立ち入りはご遠慮いただきたく」
「はい。以後気をつけます」
しゅんとなりながら頷くササハ。レイラはバルトロに気づかれぬようちらりと、今しがた立ち入りを禁じられた方向へと視線を向ける。バルトロに立ち入りを禁じられたのは二箇所のみ。当主である夫人の部屋がある先程のフロアと、あとは夫人の一人娘であるお嬢様の部屋があるフロア。
「それと奥様のことでお一つ申し上げることがございます」
出来れば今後は遭遇することがありませんようにという願いは表情に出さず、バルトロは常の静かな雰囲気を取り戻し告げる。
「奥様の前で奥様のことを“当主様”、とお呼びすることはなさらないでください」
「どうしてですか?」
「私共も理由は分からないのですが、奥様ご自身が嫌っておられるようで」
要は先程のように発狂し、暴れ出すらしい。
以上を伝え、その他に質問や不便がないことを確認すると、バルトロは通常業務へと戻っていった。
「年をトったトナー」
カルアンにもいる、忙しすぎる秘書役。彼と同じくハードスケジュールなのであろうバルトロの背に、ササハもレイラもお疲れ様ですと念を送る。
「じゃあオ嬢サマ。オヤツでも貰いに行く?」
「さっき朝食と一緒にデザートも沢山食べたばかりじゃない」
「ちえー」
ベルデに鍵を奪われたのは昨日。当日の内にリオを向かわせたが鍵を取り戻すどころが、ベルデに会うことすら叶わず引き返してきた。
「リオが鍵を返してもらえるまでに、わたしたちも出来ることやりましょう!」
「はあい」
レイラの気の抜けた返事をササハは気にしない。まずは書庫か奥様の仕事部屋かしらと、案内されたばかりの屋敷の間取りを思い出すササハ。やべーフェイルの資料なんてあるとしたら、当主本人の部屋じゃね? とすでにあたりを付けているレイラ。
「オ嬢サマ。今日はグッスリ眠れそうですネ」
「え? うん。急になに??」
どこかイントネーションにブレがあるレイラは、発言自体も自由で、放り投げたらそのまま拾ってくれないこともしばしある。
「寝る子は育ツですよ」
「???」
今日はその拾ってくれない日らしく、ササハはただ一方的な会話に首をかしげるばかりであった。
◆◆□◆◆
ところ変わって中央管轄区。王都。
王国内の都市で一番の人口を誇っているが、都市の広さだけを比べれば三番目くらいである。
年が明ければその年の豊作を願う祈念祭。北部以外は厳しい冬はすでに過ぎさり、年越しと、そのあとの祭りの為に僅かに浮足立った空気が流れている。
イクリアス王国の年越しは、貴族であれば一族、平民であれば家族で祝う落ち着いたものであった。そうして新しい年を迎えた月の半ばに、大きな祭りが行われるのだ。
まずは王都で。それから各地域で遅れて祭りが始まる。その間は貴族の代表は王都に訪れ、王家主催のパーティーに参加することが義務付けられている。
今はまだ通常の街並であるが、年が明ければ一気に祭りの準備に活気づく。その騒ぎの前段階の奇妙な高揚感が、曇り空が広がるように街中で感じられた。
「その住所は本当に正しいのか?」
似たような道を歩かされているレンシュラは、古びた紙を持つロニファンへと訊ねる。
「そのはずなんだけど」
言いながらも、ロニファンの自信も、目的地に着かず歩き回った時間に比例し削られていた。
ロニファンが持っているのは一通の手紙。その封筒の住所を頼りに王都に訪れ、すでに半刻ほど歩き回っているのだが。
「親父の雇先の店が、どこにもねぇ……」
「確か木工職人として王都の建具屋にいるんだったな」
そうなのだが、ロニファンは一年ほど父親と会っていないのだ。
ロニファンは父親と一緒に、北部の山で暮らしていた。街に卸す木を切り倒し、必要に応じて加工し山を下る。母親は五年前に病で亡くなり、それからは父親と二人だった。
そんな暮らしをしていたある日。ロニファンが十八歳で成人になる直前。父親が王都で仕事を見つけたと言い出し、しかもロニファンにも独り立ちしろと急なことを言い出した。
それまでロニファンは父親の仕事を継いでいくものと勝手に思っていたが、父親は家を売り払い容赦なく放り出された。
暫くは近くの街でくすぶっていたロニファンだったが、王都から父親の手紙が届いた。
『この手紙を受け取っているということは、まだそんな場所にいるのか。いい加減、デカイ街に出てまともに働け』
と。
一度握りつぶしてしまった手紙はしわくちゃで、しかし父親と唯一の繋がりだと捨てることは出来なかった。
それからはまた手紙が来て煽られるのはムカツクと、ロニファンは街を移動し、自分にあった職を探しながら転々としていた時にカルアンの特務部隊と山で鉢合わせた。
まとまった金は持たず、近場の移動ならと適当に山を突っ切っていたところ、特殊魔具の動作確認をしていた騎士を見つけ、具現化した特殊魔具が視えていたことから勧誘され、金になるならと了承した。
だからロニファンが手紙の住所を訪れるのは、今回が初めてなのだ。
「店が移転した可能性もある。近隣の店に話しを聞いてみよう」
意外と世話焼きなレンシュラの言葉に、訓練生時代に散々な態度を取った自覚があるロニファンは小さく唸る。
「ありがと、ございます……」
聞こえるかどうかの声量に、レンシュラは僅かに苦笑を零した。
「どういたしまして」
《黄金の魔術師》が現れた入隊試験は、訓練生四人とも無事に正騎士として配属が決まった。
ロニファンと、ササハと、ハートィは討伐班に。ミアはカールソンのフェイル化のショックが尾を引き実践には加われないと、従来の希望通り研究班へと配属された。
訳が分からぬまま、だが、ロニファンはササハに確認したいことがあった。なのに。気づけばササハはリオと一緒にどこかへと行ってしまった後だった。
そのどこかは詮索することは許されず、その代わりなのか、父親の安否を確かめたいと言ったロニファンに、元から王都に調査に行く予定があったレンシュラに帯同するという任務が与えられた。本当は討伐班の下っ端として、どこかの班に振り分けられるはずだったのに、だ。
(アイツ……ササハは、俺に会った時赤い文字のことを言っていた)
あの事件の後。そのことは固く口止めをされているが、それがフェイル化と関わりがあるというのなら。
(親父もその可能性があるかも知れないよな……)
そう考えるだけで血の気が引いていく。
ササハがいない今、会えたところでロニファンに赤い文字のことは何も分からない。それでも、無事な姿をひと目だけでも確認したかった。
「行くぞ」
レンシュラが、立ち止まっていたロニファンに声をかける。ロニファンも振り切るように歩き出し、そんな二人の後ろ姿を、一つの影が覗き見ていた。




