3話 やかましき
「お待ち下さい、ムエルマ様!」
上機嫌に歩いていたムエルマは、背後からかかった声に僅かに表情を削ぐ。宮と宮を繋ぐ屋根付きの渡り廊。許された者しか入れない特別な場所へと続く道。
「なぁに?」
不機嫌を隠そうともせずムエルマは振り返った。薄い灰色のローブを纏い、仮面をつけた男が申し訳無さ気な声を作る。
「ご指示を。カルアンの例の娘」
男は膝を折り頭を垂れる。男は数日前、重大な報告をした。国を揺るがすことにもなる重大な報告を。
「あの娘はフェイル化された魂を、解き放つことが出来るようです。このままでは、《黒の賢者》だけではなく、他の――《黄金の魔術師》さえも」
それだけは避けなければと、男に表情が仮面の下で強ばる。
男はその目でしかと見た。侵入したカルアンの屋敷で。一人の娘が――なんの変哲もないただの小娘が
《黄金の魔術師》が撒いた種を、いともたやすく刈り取った姿を。
「早急に始末したほうがよろしいのではありませんか?」
「駄ぁ目。一応は四家門の子でしょ? 私、面倒事は嫌ぁよ?」
甘くも冷ややかな声に、男は下げていた頭を上げる。ムエルマの美しい顔は逆光に陰り、ボリュームのある金の髪が風になびく。
「それにあの娘の能力はあの方の為になるかも知れないの。だから殺さないで頂戴。――今は、まだ」
ムエルマの紅を引いた唇が、にっと釣り上がる。
「その為にも、一度会って確かめたいわぁ。あ、もうすぐ祈念祭があるじゃない」
祈念祭。春に行われる、その年の豊穣を願う祭り。
「その頃には新年の挨拶に貴族共が集まるしぃ、その時でもイイんじゃなぁい?」
「ですが、それだとひと月も先に」
「大丈夫よ。いざとなれば、奪えばいいだけだしぃ。ね。……それでも、心配と言うの?」
「――いえ。失礼致しました」
「そ。じゃあ行くわね。バァイ」
微かな笑い声をたて、ムエルマは踵を返す。無駄に時間を食ってしまった。せっかく愛しいあの方に会える時間だったのに。
ムエルマが去り、残された男はゆるりと立ち上がる。男はしばしムエルマが向かった方角を眺めたあと、静かに反対方向へと歩き出した。人の気配の薄い廊下は、男の足音を響かせる事はしなかった。
◆◆□◆◆
「ノア・リオーク!!」
「だから、聞こえてるってば! 何度も同じこと叫ぶなよ」
リオーク家の屋敷。ササハたちが集まり寛いでいた部屋に、一人の男がものすごい勢いで扉を開けた。
男は二十代と思われる年若い男で、スラリと背の高い男だった。若緑色の髪は短いが、重力に逆らい一定方向に流されており、毛先だけ色味が違っている。
突然の来訪者にササハは少し驚いていたが、共にいるリオやレイラが知った様子だったので、密かに詰めていた息を吐き出した。
「ベルデ。ノックもなしに入ってくるなんて失礼だ…………何かあったの? お前らしくもない」
リオも眉を潜めながらも、どこか面食らったように戸惑った様子を漂わせていた。
しかし男――ベルデと呼ばれた彼は、険しい表情のままササハたち座るテーブルへと足を進めた。ベルデは一直線にリオの元へとやってくると、キツイ眼差しでリオを睨みつけた。
ササハの隣でレイラが静かに警戒をしていたが、ベルデの矛先がリオに向いていることに緊張を解く。まるでオ嬢サマに害がナイなら興味もナイという様子で再び菓子を食す作業へと戻っていった。
「え……と、お家の人と話があるならわたしたち席を外そうか?」
席を外すもなにも、現在いる部屋はササハへと充てがわれている部屋だ。
「いや、いいよ。それより何の用だよ。せめて名乗るくらいしたらどうなの?」
リオはササハへは首を横へ振り、ベルデには咎めるように声音を落とす。
そこでようやくベルデはササハへと視線を移した。リオへ向けられていた圧のある感情は鳴りを潜め、途端、無機質な双眸がササハを見下ろした。
「旦那様から話は聞いております。私はベルデ・オブビリドと申します」
次いでベルデは、リオーク家騎士団で団長も努めていると教えてくれた。
「ついでにリオークの特務部隊のほうでも、指揮隊長兼任してる奴だから、フェイルの話も大丈夫だよ」
付け足しすように説明を入れるリオを、ベルデは再び豹変させた顔面で睨む。落ち着いた様子から一変、急に整った眉が吊り上げられた。
「本来はキサマがっ……!」
言葉の途中で唇を噛み締めたベルデを見る。集まった視線にベルデは耐えるように口を引き結んだ。重く、なのにピリピリとした空気がササハの首筋を撫でる。
「…………旦那様より連絡があった。キサマが《赤の巫女姫》について調査を行うと」
ベルデはリオに向かい言う。調査という言葉と、なんの期待も含まない、むしろ冷ややかな空気を纏うベルデに、ササハのことまでは詳しく知らされていないのかとリオは思う。
「鍵を渡してあると聞いているが、無くさず所持しているのか」
「何だよそれ。子供じゃあるまいし、ちゃんと持ってるよ」
リオーク家の本邸は少し特殊で、同じ敷地内に本邸と呼ばれる屋敷が四つもあった。通常本邸と言われる屋敷は一つなのだが、リオーク家だけの特別な風習である。
言ってリオはいくつかの鍵の束を、ポケットから取り出して見せた。《赤の巫女姫》が封印されている場所を知っているのは、現当主であるセーラ・リオーク夫人だけである。だが、セーラ夫人は現在、常とは違う様子で、リハイル曰く話をすることすら困難であろうという事だった。
その為当主代理であるリハイルから出入りの許可をもらい、《赤の巫女姫》の封印場所を自分たちで突き止めるつもりだった。
「そうか」
ベルデはリオの持つ鍵束を確認すると、何気ない動作でそれを奪う。
「おい、何す」
「旦那様からはキサマに協力しろと言われているが、納得いかない」
「はあ?」
突然の行動にリオは眉を寄せる。
「リオークを捨てカルアンに逃げたキサマが、今更なんだというのか!」
ベルデが拳を握り叫んだ。
怒りに近い叫びに、ササハの肩がビクリと跳ねる。
「なぜこんな時にお嬢様の側ではなく、他家の娘と共に居るのか!」
くっ、とリオの喉が萎まる。
一瞬の静寂ののち、リオが弱々しく口を開く。
「別に……捨てたわけじゃ」
か細く頼りないリオの声。それを一掃するようにベルデは更に声を張った。
「故に! ノア・リオーク! 俺はキサマが許せん! 腹立たしいことこの上ない!」
ベルデは奪った鍵を片手で握り込み、擦れ合う金属の音が耳を掠める。
血管が浮かび上がるほど力を込めた拳を緩め、ベルデは無理に笑みを浮かべる。歪に歪められた口元は、笑んでるようにも、そうでないようにも見えた。
と思ったら、ベルデはきりりと眉を引き上げ、鍵の束をリオの眼前にちらつかせた。
「交換条件だ! この鍵は今より俺が預かる! 返してほしくばお嬢様の元へ帰ってこい、ノア・リオーク!」
突然の内容に、リオとササハが呆ける。
「コイツはいらんから、鍵をカエせ」
「レイラ!?」
「レイラさん!?」
「問題児はうちもいらない。速やかにヘンキャクすべき」
「レイラァ!!!!」
「レイラさん!!」
当然のように右手の平を突き出したレイラを、ササハが慌てて引き止めた。




