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28話 赤い文字

 この場に居るもの誰もが――()()を直に目にしたのは初めてだった。


 伸ばされた、黒い、枯れ枝のようだ指先から、一滴の赤が落とされる。その赤はすでに意識、いや、正気を失っているのか。だらしなく口を開いたまま焦点の合わない視線を彷徨わせる、カールソンへと落とされた。


 この時ササハの目には、ササハだけには、赤い文字が広がっていくのが視えた。誰もが突如現れた《黄金の魔術師》に意識を刈り取られる中、ササハは赤く、二つの円を描く文字の羅列を視界に収める。

 それは本当に僅かの間。赤い文字は《黄金の魔術師》が落とした、一滴の雫が解けたもの。その二重の円がカールソンを囲い込んだかと思うと、一瞬の間を置いてカールソンの左胸めがけて縮小した。


「駄目!」


 ササハの叫び声にようやく我に返る。ぐちゅんと肉の潰れる音がした後、カールソンが血を吐き出した。赤い血が滴り、甘い甘い香りが強くなる。

 カールソンから黒い煙が吹き出し、それはトゲを生やした蔦となり崩れ落ちる身体を覆った。


 グラントが魔石に向かって声を張り上げる。


「第二訓練場で《黄金の魔術師》を確認! 今いる特務隊騎士は至急討伐に当たれ! 場所は第二訓練場だ!」


 高く冴る空に、黒の異形が佇んでいる。一番最初に反応を見せたのはレンシュラで、続くようにリオも同様なんらかの魔道具を《黄金の魔術師》へと投げた。それは《黄金の魔術師》へと届く前に黒の煙に焼かれ、おそらくはダメ元で投げた拘束用の道具だったのだろう。が、なんの意味もなさなかった。


「ハートィ! 訓練生たちも、お前たちは下がっていろ!」

「ウルベ先輩!」


 元から訓練場のどこかに居たウルベが、ハートィを庇うように前に出る。見学席にいた数名の騎士は何人かが二階から飛び降りグラントの元へ来たが、何人かは腰を抜かし動けないでいる。


――、あ、あ……アアアア、アギャァァァ!」


 カールソンだった異形が叫び声を上げ身を起こした。それを《黄金の魔術師》は見下ろし、見下ろす異形から黒い雫が垂れる。それは大地を穢し、乾いた土がじゅわりと音を立て黒く染まる。


「ア、アア、ア、タリナイ、アア、モット……ゥァ」


 甘い香りと、僅かな柑橘類の香りを撒き散らすフェイル。それは煙で出来た己の身体に爪を立て、身を削るように掻きむしる度に甘い香りが強くなっていく。

 騎士たちは《黄金の魔術師》を取り囲む。カールソンだったフェイルには誰も見向きもしていない。ただ訓練生四名だけは目の前のフェイルに恐怖し、フェイルがそちらを向いた瞬間ミアは震える足で立っていられず崩れ落ちる。


「カールソン、さん……」


 フェイルはササハを見た。


「ホーオク、レンナク、イッカリイナイオ…………クチュ、リ、ィイ――――クチュリィホシィ!!!」


 生まれたてのフェイルの胸に、大きな赤薔薇が咲いた。それと同時にササハへと飛びかかろうとしたフェイルを、ウルベの特殊魔具が一瞬の間に貫いた。煙は霧散し、それはあまりにも呆気なく。

 砕け散る赤い花弁も空気へ混ざり、カールソンを示すものは僅かに残る香り以外何も残らなかった。


「距離を保て! 近寄らず、これ以上フェイルを増やさなようにっ」


 グラントの、常とは違う大声と、ウルベがミアとササハを振り返り眉を寄せて視線を外す。前方では、遠距離から攻撃が可能な者はとグラントの声が聞こえた。


 レンシュラが跳躍し、大剣が吐いた炎だけで切りかかった。その炎は《黄金の魔術師》の右肩を吹き飛ばし、煙の身体にポッカリと円形の穴が開いた。僅かな歓声。しかし次の瞬間には煙は蠢き、すぐに元通りに再生される。


「今の……変形じゃなく、再生……?」


 一人の騎士が呟いた。通常のフェイルは、黒の煙を削られるとその分小さくなる。削られた残りで元の形へと形成し直すため、削ればその分だけ()()が減るのだ。


「《黄金の魔術師》はいくらでも汚染魔力を生成出来るのか!」


 悲鳴じみた困惑が、誰かの口から漏れる。外からも人の気配が近づいて来る。魔石からは誰が誰に言っているか分からない報告が聞こえ続けていた。


「煩いな! それでも削り続けるしかないだろう!」


 リオが叫び、《黄金の魔術師》の左足をリオの剣が吹き飛ばした。次いでレンシュラが右足を削ぐ。《黄金の魔術師》の魔術師はゆらゆらと宙でたゆたっているため体制が崩れることは無いが、再生を続けながらも削られる災厄に騎士たちの士気が上がる。例え削った黒の煙に肌を焼かれようとも、表に出すことはしない。


「すげぇ」


 ぽつりとロニファンが呟く。ササハは今になってようやく特殊魔具を構えようとし、震える右手には特殊魔具が握られていないことに気がついた。具現化が解かれ、とうに元の飾りへと戻っていた。


 《黄金の魔術師》は動かない。リオも、レンシュラも、騎士たちが必死になって漂うだけの煙と戦っている。そこにウルベの鎖に繋がれた球体が割り込む。ウルベの特殊魔具は漂う薄い煙は削ったが、《黄金の魔術師》本体に触れた瞬間黒く淀む。


 《黄金の魔術師》が動いた。削れた煙など意にも介さぬよう、ウルベへと手を伸ばす。


「ウルベ先輩!」


 ハートィが飛び出す。それまで微動だにしなかった《黄金の魔術師》は二つ目の(たね)を落とすつもりか。今度はウルベへと? 彼もまた、カールソンのように――?


 もう嫌だと、特殊魔具からではない。掲げたササハの両手から光の洪水が流れ出し、《黄金の魔術師》の肉を削いだ。伸ばされた《黄金の魔術師》の肩から手首までの(あいだ)が無くなった。


「おま――ササハ!」


 ロニファンが珍しく名前を呼んだ。ササハふらりとよろめいたが、倒れることはなく、だが鼻と口から紅い雫が漏れる。

 信じられない。ササハは錆びた味が広がる唇をきつく噛み締めた。


 《黄金の魔術師》の手首から肩口までは消えた。だが、手首より先。先程カールソンの命を奪った、簡単に、あっけなく終わらせた指先は。今もなおウルベへと向けられている。


 やめろと、声にはならなかった。

 枯れ枝のような指先から赤の雫が落とされ、ササハはいつの間にか走っていた。


 来るなとウルベが叫び、すでに近くにいたハートィを突き飛ばす。ウルベは頭上を見上げる。赤い雫が直ぐそこまで迫っているのに、ウルベはなぜか満足そうに笑みを浮かべた。


 赤い文字がウルベを囲い、縮こまろうとした瞬間。ササハはその赤い文字に飛びつき引きちぎった。ササハは、右手の甲に激しい熱を感じ、飛び込んだ勢いを殺せないままウルベへとぶつかり押し倒す。

 両手に焼けるような感覚と――――リィン――――と鐘に似たすんだ音がした。


「ササハ!」

「先輩!」


 皆がこちらへと駆け寄ってくる。いつの間にか《黄金の魔術師》はササハとウルベの頭上にいた。ウルベは無事だ。フェイルになっていない。不思議そうな顔で、驚愕に身を起こす。


 レンシュラが一閃を凪いだ。それは《黄金の魔術師》の腹へめり込んだが、逆にレンシュラの特殊魔具が黒く染まり砕け散る。


 ――――リィン――――


 音と共に甘い香りがどこからか漂う。あの香り。カールソンが最後に匂わせた、騎士寮で発見された白い花。人を狂わすと言うイブラという甘い花の香りがするのだ。


 《黄金の魔術師》がどこかを見る。


 ――――リィン、リィン――――


 鐘、いや鈴の音か。響く音に、ササハと《黄金の魔術師》だけが反応を示す。


「《黄金の魔術師》の様子が可怪しいぞ!」


 一人の騎士の声。


 ――――リィン、リィン――――


 甘い香りに、鈴の音。《黄金の魔術師》は高く空に浮かんでいき、ササハは別の、鈴の音を探った。

 風に乗って届く音。なのに()()()()()()()()()()()()()()。頭上を舞う《黄金の魔術師》でも、入り口から集まる人の流れの中でもなく。音の出処を探しているのはササハ一人だけ。


(もっと奥。あっちの)


 訓練場の備品置き場の方角。見学席とは真逆の屋根の上に、飾りのついた杖を振っている人影を見つけた。

 ササハは身体を起こそうとするロニファンの手を振り切って、向こうを指差した。


「あそこ! 誰かいます!」


 シャン! と動揺したような音がし、人影が大きく揺れる。グラントも咄嗟にそちらを振り向き、フードを被り直す仮面をつけた人物を見た。手には音を鳴らすために作られたような杖と、白色の丸い物を持っていた。人影は訓練場の屋根を滑り降り、建物の反対側へと姿を消す。


「そんな、《黄金の魔術師》が……」


 《黄金の魔術師》もまるでその後を追うかのように、ゆらりと揺らめき人影があった方角へと向かい消えていった。

 訓練場に魔石から発せられる音声だけが響く。


「俺たち助かったのか」


 誰かの徒労にグラントが意識を戻す。


「まだだ。リオーク。お前と、あと数名。私と共に確認に向かう」


 レンシュラは特殊魔具を持っていた右手ごと黒く染まっている。ササハも再度ロニファンが助け起こそうとしたが、歩けるようになったミアが突っ込んできてウルベを下敷きに抱きしめられる。ミアは涙を零しながら、小さな身体はまだ震えていた。


 倒れ込んだ地面に手を付き、遠くなる意識を引き戻し、ササハも涙を流す。立ち上がろうとするも全く力が入らず、力を手放し傾けた視界の先で赤黒い石を見つけた。


(やめて、踏まないで)


 行き交う人の流れに、ササハは震える指先を伸ばす。ミアはハートィに引き渡し、未だ困惑しているウルベがゆっくりとササハを起こしてくれた。なのにササハはどこかに這って行こうとし、やめろと心配そうに止めるウルベを拒む。


 ぽたりとササハの顎先を己の赤が滑り、無理やり抱き起こされる前に右手で打ち捨てられた石を拾う。ロキアでも見かけた、赤黒い小さな石。その石はササハの手の中で小さく割れると、ササハ意識を手放した。



 最後にごめんね、ありがとうと、カールソンに言われた気がした。

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