7話 ひどい
「駄目だ、何の手がかりもない」
持っていたファイルを手放し、ササハは卓に突っ伏した。あれから何冊か資料を入れ替え、何度も読み返したが、手がかりは見つからなかった。
向かいに座っているレンシュラは一瞥だけ寄越し、惰性で広げていたファイルを閉じた。現在確認出来る資料はこれで全てのようだ。
「あれ? 誰かいるぞ」
詰め所の奥のから足音が近づき、廊下に続く扉から年若い男が顔を覗かせる。
その後に二人ほど中年の男が続き、四人目に今朝ササハたちを中に入れてくれた男が現れた。四人とも腕には自警団の腕章を付けている。
「ああ、たまに来る兄さんか」
「それと、お?」
「あ! 干し葡萄くれたおじさん!」
「やっぱりそうか、昨日入り口でべそかいてた子だ」
「な、べそなんてっ!」
「なんだ? 何の話だ?」
「いや、昨日な。町の入口でよ、なんでか木の上でずっと泣いて」
「あーあーあー!! 言わないで! 内緒にして!」
ササハは顔を赤くして男の話を遮った。事実ではあるが、あの時は心細さと心霊体験をしたかも知れないショックで不安定だったのだ。
真向かいで何してんだコイツ、という目を向けてくるレンシュラは無視した。
それまで同僚と笑っていた男だったが、テーブルに広げられている資料を目にし、笑みを引っ込めた。
「……婆ちゃん、見つかってないのか?」
「…………はい」
「そうか」
またか、と誰かが口にし、干し葡萄の男以外は各々の作業へと足を向ける。男はレンシュラがファイルを片付け出したのを見て、眉尻を下げた。
「嬢ちゃん。気を落とすなよ。どうだ、干しイカ食うか?」
「……食う」
(((食うんかい)))
似たりよったりな表情を浮かべた男どもを他所に、ササハはゲソを噛みちぎった後にありがとうと言った。誰かが「変わった子だな」とレンシュラを見たが、レンシュラは渋い顔をして何も答えなかった。
「おじさん」
「ん?」
「今まで行方不明になった人の中で、見つかった人っていますか? もし、この町にいるならお話を聞いてみたいんですけど」
ササハの質問に、男は顎髭をさすりながら目を逸らす。おそらく、幾度となくされた問いなのだろう。男の表情は、決して明るいものではなかった。
「依頼書が出されてから、何人か見つかった事は確かにあったが。何んつーか……迷子だったり、不倫の末の夜逃」
「おい」
レンシュラに睨まれて男が苦笑する。
「ようは嬢ちゃんが話を聞きに行っても、参考になりそうに無いってことだ」
「確かにそうだな。今まで依頼書の取り下げがあったのって――ボケた爺さんが帰って来ないと思ったら別の家で世話になってただとか、金に困って逃げ出したのを知らなかっただけとか」
「まあ、勘違いや自力で帰ってきた分には、わざわざ依頼書の取り下げに来ない場合もあるし、こっちに連絡がきてないだけで、すでに解決済みの依頼書もあるかもな」
口々に、聞き耳だけ立てていた男たちが話す。
役人ではない、住人の有志で結成された自警団だ。気にかけはするけど、それだけだ。
「じゃあ他に何か……町の人じゃない目撃情報とか、怪しい出来事とかは有りませんでしたか? 不審者がうろついていたとか、お化けが出て連れ去ったり、夜になると呪われた幽霊船が出たりとか」
「幽霊船って……、面白いこと言う子だなぁ」
「昨日も確か幽霊がどうのって泣いてたけど、なんだぁ。もしかして嬢ちゃん、幽霊が怖いのか?」
「だ、だって見たもの! 男の子がいて、目の前で消えたもん!」
「でも、幽霊はないけど、化け物を見たって人はいたよ」
「本当に見たも――え? 化け物?」
答えたのは一番年若い男で、ササハは目を丸めて男を見た。
他の男たちも化け物の話は周知のことだったのか、うんざりした様子で顔をしかめている。
「その話は止めとけ。どうせデタラメ」
「化け物が出るのか?」
「は?」
「どんな化け物が出るんだ?」
それまでだんまりを決め込んでいたレンシュラが、男を遮り続きを求めた。想定外の人物が食いつき、自警団の男たちも戸惑いの色を見せる。
「どうしたよ、兄さん。まさかアンタまで幽霊を信じているとか言い出すんじゃ」
「いいから。どんな化け物かと聞いている」
「ひぃっ顔が怖い!」
詰め寄られ鋭い視線を向けられた男は、震えながら背筋を伸ばした。
「た、たしか、真っ赤な目をした黒い化け物って」
レンシュラは一歩男から身を引くと、一番年配の男へと振り返る。
「初めて聞くが?」
「当たり前だ。変わり者が見た幻覚だからな」
「幻覚?」
「そうさ。昔に妻子を失って、気が触れちまった男の妄想。――わざわざ笑い種にするもんでもねぇだろ」
「他に見たと言う奴はいないのか?」
「いないよ」
僅かに男の目が奇妙なものを見る目つきに変わり、レンシュラは黙った。その間ササハは心配そうに話の終わりを窺っていた。
「……じゃあ、この町って化け物が出るかも知れないんですか?」
「だから化け物なんかいないって言ってるだろ! あのイカレ野郎の妄言には、うんざりなんだ! アンタ等もこれ以上変な噂を増やすなら」
「まあまあ。落ち着けって。そろそろ見張りの交代時間だぞ」
「そうだそうだ。さあーお前らも用が済んだら出て行ってくれや」
「あ、あの、もう少しだけ話を――」
二人揃って外に追いやられ、干し葡萄の男が申し訳無さそうに手を振り扉を閉めた。急に何だとササハが呆けていると、レンシュラが移動する動きを見せたので急いで後に続く。
幽霊はいないが、赤い目の化け物を見た人がいるらしい。
「さっきの話、本当だと思いますか?」
「…………」
「もし、仮に本当だったとして、その化け物が人を襲ったりとか、何か関係が……」
ぶるりと震えて、頭を大きく左右に振る。
常識的に考えればありえない話だ。化け物と言われても、おおかた野生動物かなにかを見間違えただけだろうが、今は少しの手がかりでも知りたい状況。可能性の一つに加えるべきだろうか?
しかし、目撃証言も聞いた印象では一件しかなく、そんな馬鹿な……と思う反面、だがもしかしたら、という疑念がササハの思考を塗りつぶしていく。
そうササハがうだうだ悩んでいると、レンシュラが急に立ち止まった。
「…………」
「レンシュラさん?」
レンシュラは振り返り、ササハをじっと見下ろす。なのに何をするでもなく、無言のまま動かない。
「どうかしたんですか?」
「………………小さいな」
「は?」
「悪いが急用が出来た。すまないが、今朝話したことは全て忘れてくれ」
「え? あの、レンシュラさ――――嘘、置いてかれた?」
一方的な言葉を吐いたかと思うと、レンシュラはそのまま走り去ってしまった。ササハは突然の出来事に目を見開き、ただその背中を見送る。
一人取り残されたササハはしばらく理解不能とばかりに立ちすくんでいたが、次第に状況を把握し、眉をギュッと寄せ両手で握りこぶしを作った。
「なんで、信じらんない! 手伝ってくれるって言ったのに、嘘つき!」
嘘つき、嘘つき、とやるせない気持ちで空中を殴ってみたが、もちろん何の手応えもない。思いの外落胆している自身にショックを受ける。
村を出る時、自分一人でも祖母を見つけ出してみせる。路銀が貯まるまでなんて、もう誰かの好意に甘えたりはしないのだと、そう覚悟を決めて出たはずなのに。
(そうよ。それぞれ事情があるのだし、しょうが無いじゃない)
当てもなく一人彷徨うのは心細い。
「よっし!」
ササハはふん、と一つ鼻息をもらすと、賑わいが戻った大通りへと歩き出した。
――と、勇み足で角を一つ曲がった所で、ササハはどうしようかと頭を捻る。大通りに向かった所で、昨日のうちに大通りに出ている店の聞き込みは済ませてしまった。そして収穫はゼロ。
話しかけれそうな近隣住民にも声をかけたが、それも似たような結果。
(町の人たちは、怖くないのかな?)
いや、町の何割かは廃墟となり、すでに住民が逃げ出した後なのは間違いない。それでも町に人がいるのはロキアには港があり、昔からの流通ラインが残っているからだ。現に異様に住民の年齢層が高いのも、昔から住む船乗りたちや、それに連なる職業の者が多いせいなのかも知れない。
(わたしの村まで噂が広まるくらいなのに、領主様は何もしてくれないのかな?)
噂になるほどの行方不明者を出しておきながら、偶然と片付けるのは難しい。何かササハの知らない、大きくて悪い軍団でもいるのだろうか。
(それとも、本当に手がかりは何にもなくて、皆諦めちゃったのかしら? そしたら……)
化け物。
自警団の男が言っていた、赤い目をした黒い化け物。そんなものが本当に存在して、人を襲っているとでも言うのだろうか。
そんなまさか。――そう思いながらも、小さく身震いする。
「確かめる?」
鼓舞するように声に出した。
自警団の男も変わり者が幻覚を見ただけと言っていたし、確かめて本当に勘違いだったということを確認するのも良いかも知れない。
(まだ、町の人全員と話したわけじゃないし。ばーちゃんの事を訊くついでに、確認するくらいなら)
そうすれば少なくとも、人を襲う獣を想像し怯える必要はなくなるのだから。
ササハはチラリと今来た道を振り返った。
(詰め所まで戻っても……何も教えてくれないよね)
追い出されたことを思い返し、ため息をつく。せめて化け物を見たと言っている人物の、名前だけでも分かれば良かったのに。
そう、踵を返した時だった。
「――!」
ふわりと、甘い香りが漂った。
斜め前。視界の端に、なびく長い髪と白い手があるような気がした。見ているようで、なのにハッキリと認識出来ていない奇妙な感覚。
咄嗟にササハは視界を下げ、自身の足先と地面だけを視界に映す。呼吸音を出すことすら恐ろしく、いつの間にか――靴が片方脱げている女の素足が、自身の前にあるのを見てしまった。
幸いな事に、血の気のない白い足は、ササハから見て右方向を向いていた。
ササハは一歩も動けず、瞬きをすることすら恐ろしく、目の前の女の白い足元に雨の様な雫が落ちていくのを見た。それにつられるように、ササハの口から引きつった嗚咽が漏れ涙が溢れた。
「ひぃっ……、ぅ、うぅっ……!」
なぜ自分は泣いているのか、何が起こっているのかすら分からない。
急に悲しくなった。違う。急に苦しくなった。それでもない。
顔を上げることも出来ず、それどころか耳を塞ぎ、目を閉じることすら頭に浮かばず
――ル、ィス
掠れた女の声が真後ろから聞こえた。
「おい!」
肩を揺すられ意識が引き戻される。
大通りからは少し離れた場所だが、いくらかの人通りはあり、遠目に何人かが立ち止まっているのが見えた。
「大丈夫か? 悪目立ちしている。気分が悪くても、少し場所を移したほうが良い」
かけられた声は青年の、どこか聞き覚えのある声音で。ササハは先程まで間違いなく立っていたはずなのに、いつの間にかしゃがみ込み口元を押さえていた。
ササハがほんの僅かだけ視線を上げると、道の反対側に数人の、どこにでもいるのだろう、少したちの悪そうな男たちがしらけたように立ち去っていくのが見えた。
ササハはそんなはずは無いのにと思うよりも、さらに上へと視線を上げ、見上げた人物に再び涙が込み上げる。
「……ノ」
「あれ? 昨日の」
身売りの、と続きそうになった口は、何事もなかったように閉じられる。
ササハの目の前に立つのはノアで、一瞬だけ見せた表情はものすごく歪められていた。
「あー……、じゃあ、僕はこれで」
「まっ、ゴホ! ……まっ、て」
引き止めようとした喉は渇き、むせた咳が出る。
すっかり取り繕い、今は人好きをしそうな柔らかい表情を浮かべるノア。ササハは咄嗟にノアに手を伸ばし、その動作のせいでぐらりと地面に手をついてしまった。
「…………大丈夫ですか?」
ノアは嫌そうながらも立ち止まり、距離を空けたままササハを見下ろす。
頭上から降る声音は冷たく、ササハ自身もなぜ引き止めたのか明確な答えは理解していなかった。
(そうだ、タリスマン。返さないと)
一昨日の晩に出会った青年。彼とは印象が違う気もするが、持ち主であるなら返却したい。
足は震えながらも、力を込めて立ち上がり鞄を漁る。なのに血の気が引いた指先は強張って、鞄の留め具を外すのすら手間取ってしまう。
「もう、いいですか?」
「待って! 渡したいものが、忘れ物があるの」
「もういいですよね。僕行きますね」
「だから、待っ」
急かされ焦るよりも苛立ちが増し、ササハは身体の強張りを忘れられた。
キズが付きでもしたら大変だと、ハンカチを巻いていた目当てのものを引っ張り出して相手を見る。
持ち歩いていて良かったと、嬉しそうなササハにノアの冷めた視線が突き刺さる。
「なにそれ? ハンカチ?」
「違う、こ」
「いい加減にしてもらえませんか。興味ないし、迷惑ですさようなら」
ササハの返事を待たず、貼り付けた笑顔でノアは背中を向ける。
「――な、」
一瞬だけ呆けて、すぐに怒りがこみ上げた。すでに距離が空いた背中が憎らしく、ササハはノアを追いかけその背中目掛けて鞄を思いっきりぶつけてやった。
「ぃ! ~ってぇ、何にし、ぅぶ!」
「大事なものくらい大事にしなさいよ! ばーーーーかぁ!!」
更には手に持っていた物をノアの顔面にお見舞いし、反撃がくる前にさっさとその場を逃げ去った。
ノアの顔面を強打した物体は音を立て地面に落ち、ハンカチから中身が露見する。中から現れたのは、中央に大きな石が埋め込まれたタリスマンだった。
「――え? なん、これ」
ノアは驚きに目を見開き、瞬きしてから手を伸ばす。
間違いなく、それはいつの間にか紛失してしまった私物で、丸一日探してみたが見当たらなかった大切な失くし物であった。
「なんで、どういう、――くそ、どっちに行った!」
顔を上げ周囲を見渡すもササハの姿はすでに無く、目の前には十字路が三つも続いている。姿が見えないのであれば、近くの角を曲がったに違いないと当たりをつけた。
ノアは拾い上げたタリスマンとハンカチをポケットに押し込み、すごい速さでササハとは反対方向へと走り出した。