27話 試験当日
振り分け試験当日。一年で最後の月。
ハートィとウルベが対決した時と同様、訓練場には見学者の姿がいくつかあった。訓練場への出入りは自由なようだが、試験が行われている間は広場の使用は禁止されている。
現在広い訓練場の一階には、訓練生四人と、グラント。そして試験の手伝いをしてくれるという、特級騎士が二名――リオとレンシュラがいた。
リオは今回、試験の的役である。訓練生はフェイルとの戦闘を想定し、リオに攻撃をしかける。相手を倒す必要はなく、あくまで現状の力量や個々の能力をみるためのものだ。
レンシュラはあくまで補助的な役割で、グラントと一緒に訓練生の様子を見守ることにした。通常は教育係、今期の場合であればカールソンが一対一で模擬戦を行うのだが、彼の容態は不安定のまま。
そこで的役をリオが行うことになったのだが、その理由は今週の三の曜日。午後休の日にササハと二人で出かけたことに、ラントがブチ切れたからだ。それも、最初は可愛い姪っ子にちょっかいをかけるなと通信石で牽制していただけだったが、その通信の途中にササハがいなくなった。
リオはしばらく街を駆け回り、あと少しリオからの連絡が遅ければレンシュラを走らせようと思っていたラントの元に、無事発見したとの報せが入った。結果リオはラントとレンシュラに怒られ、ササハはリオとレンシュラから怒られた。
「準備はいいか」
グラントの声にササハは顔を上げる。
「今回は君たち訓練生と、先輩騎士の一対四での実戦形式で行う。相手を倒す必要はない。だが、味方との連携も意識するように」
はい、と女子三名は返事を返す。実際このメンバーで組むわけではないので、連携は参考程度ということであるが、逆によほど味方の足を引っ張るような失態を犯せば、討伐班に振り分けられることはなくなるかも知れない。
「僕の方はいつでもいいよー」
離れた場所からリオが右手を上げる。その手には剣へと変形させた特殊魔具が握られていた。
グラントが訓練生たちの視界から外れ、後ろへと下がる。
「始め!」
開始の合図と共にロニファンとハートィが走り出す。左右から大きく回り込み、その前に空いた中央をミアの矢が一直線に放たれた。
「ササハ。試験の目標、分かってるわよね!」
「うん! 皆で協力して、リオをぶっ飛ばす!」
「一撃でも入れる、よ。あんたほんと物騒ね」
後方に控えているミアがササハへと振り返る。そうしている間に最初にミアが放った矢をリオは簡単に弾き、戦斧を振り下ろしたロニファンの攻撃は身体をずらすだけで躱し、ハンマー型のハートィの特殊魔具は剣で返された。
(まずは様子見。リオに隙きを作らせてからが勝負!)
気分転換にと街に連れ出された日、ササハは一組の母子に会った。子を亡くし絶望する母親に引きずられるように、母親から離れられない子供の霊。子の透ける腕は黒く染まり、母親に負ぶさる形で巻き付き一体化しかけていた。
――“もっといっぱいで、押し流してしまえばいいですよ“
どうにかしてやれないかと訊いたササハに、ケイレヴがそう言った。
(押し流す)
それはササハに流れる川を連想させた。
ちらりと、グラントとレンシュラがササハを見る。まだ、ササハだけが何もしていない。
ロニファンとハートィが交互にリオに打ち込み、ミアが三本の矢を同時に引いた。
(ぶっつけ本番だけど大丈夫。昨日の、最後の練習では)
三日前のあの日。ササハは自分でもよく分からなかったが、自身の特殊魔具から止めどない第六魔力が溢れ出た。それは本来であれば良くない事のようで、ケイレヴは調節をしないとお母さんのほうが駄目になりますよと注意してくれた。
(沢山の水)
ササハは他の者の目には見えない、透明の特殊魔具を持つ右手を上げる。
あの時はそれでどうにかなった。染まっていた子供の腕は溶け出し、母親に沈みかけていた身体がゆるりと剥がれた。
(液体。わたしが、自由に出来る――)
子供はまたお母さんたちのところに産まれたいと言って、母親はそれに涙を零しながら頷いた。引き止めたい気持ちを押し殺し、その背を押してやることが最善なのだと言い聞かせて見送った。
ササハが高く右手を上げ魔力を込めると、特殊魔具は光を放ち、一枚の羽になった。
「へ? ササの特殊魔具?? いつの間に形が変わるようになったの!?」
遠くで剣を振るっているリオが驚きに目を見開く。それでも隙きが出来るほどではなかったようで、ロニファンとハートィの攻撃は入らない。が、そこで二人が急に後ろへと下がり、グラントとレンシュラも訓練生たちの思惑を探る。
試験前夜。つまりは昨日。ササハは自身の特殊魔具のコントロールを、ミアとハートィに相談していた。特殊魔具から、第六魔力を液体の様に出せると。それでなにか出来ないかと。訓練場でこそこそ話す女子三人は、リオとレンシュラには内緒にして、ロニファンだけ呼んで作戦を立てた。
どうせなら、先輩たちを驚かせるほどの結果を残そうと。
その時だった。ロニファンの足元にいた猫が、にゃんと鳴いた。それにササハが癒やされて、特殊魔具から垂れた一滴の雫が可愛らしい猫の形を取ったのだ。
「わたし動物と植物なら、それなりに上手く描けるんだから!」
ケイレヴからもらったクロッキー帳。もらった三冊分はだいぶ前に使い切った。魔力には重さも形もない。だから特殊魔具で形を作ってもらう。でも、それが自分自身の力で出来たならば。
ササハは大きな円を空宙に一つ描き、それが七つに分裂し形を成す。
「はあ?! なにそれ、聞いてないんだけど!!」
リオの叫び声が届く。
「行け猫ちゃんたち! リオをやっつけろ!」
透明の、しかしかろうじて輪郭が分かる猫がリオへと向かう。と、同時にミアが矢を射り、ロニファンとハートィが飛びかかる。
「ちょっ、数が、足元!!」
一撃、二撃とリオは躱すが、ササハが更に円をいくつも描き追撃をする。
「お次はわんちゃんに、鳥さんたち! 更には熊!」
「待って! 多い多い! 流石にこれは無理ぃって熊ぁ!?」
複数の犬、猫、鳥と一頭の熊。
「ついでに魔力カタシロ! ようやく出来るようになったよ! 嬉しい!」
最後に蝶のような青白い光がひらりと舞い、それはなぜかレンシュラの周りを挨拶するように飛んでいる。昔カエデが何度か見せてくれた。魔力カタシロは連絡手段に用いることが多いようで、攻撃には向いていないのだ。
青白い蝶はレンシュラの指に止まると、一枚の揺らめく便箋へと形を変え、しばらくして燃えてなくなった。便箋にはただ一言「頑張りました!」とだけ書いてあり、思わず笑みがこぼれた。
「ロニファン君、今っすよ!」
「しゃあ!」
動物たちがリオに纏わりつき、熊は脅すように両手を上げて周りを回っている。そこにハートィがツルハシを振り下ろし、リオはそれを受け止めるしかない。
ロニファンが大きく戦斧を振りかぶった。
「そこまで!」
が、グラントの静止の言葉に、ロニファンは体制を崩してつんのめる。グラントがリオの惨事を見て笑いを堪えている。
「文句なしに、決着ありだな」
「多勢に無勢が過ぎるでしょ! 流石にこれは!」
「楽しそうで良かったな」
「僕は全然楽しくないんだけど! ササの出したコイツ等も、感触はあるけどもふもふしてないし! 視覚的に蹴っ飛ばし難いし!!」
グラントとレンシュラから苦笑を賜り、訓練生の振り分け試験は終了した。
ササハはミアと顔を見合わせる。ハートィが駆け寄ってきて、その後ろからロニファンが歩いて来るのが見えた。
「リオはぶっ飛ばせなかったけど……」
「実質、一撃は入れられたようなものじゃない?」
「そうっす! さっきの攻撃は確実に入ってましたよ!」
昨日、訓練生たちだけで決めた目標。どうやらそれは達成されたようだ。ササハはグラントを振り返り期待の眼差しで見つめる。
それにグラントは気が早いと微笑する。
「結果は後日だ。私一人の判断では決められないからな」
「隊長! わたし討伐班が良いです! 何卒よろしくお願いします!」
ササハは自己主張はしておいた。緊張が解かれ、ようやく周りの音も拾えるようになった。二階の見学席からは、驚きの様子が伝わってくる。
――――と、風に乗り強い香りが漂った。
キツイ柑橘類の香りに、それを押しのけ主張する甘い香り。
「う、急になんすかこの匂い?」
ハートィや他の面々も鼻を覆い、匂いの元を辿る。そこには――。
「カールソン、どうして此処へ?」
訓練場の出入り口。ふらふらと近づいてくるカールソンに、グラントが眉を寄せる。カールソンは試験が終るまでは入院はしたくないと、騎士寮ではなく、一番近い町で療養中であった。
本当ならこのあと報せをやるかと思っていたグラントだったが、待ちきれず出て来てしまったのか。
強い、二種類の香りに、ササハは咄嗟にグラントの腕を引いた。
「グラントさん、この匂いって」
ササハが全てを言い終わる前に、いくつかの場所から警告音が鳴る。それはグラントやレンシュラ。リオも、見学席にいる騎士たちも。どうやら、騎士たちに持たされている連絡用の魔石が音を発していたようだ。
次いで魔石から焦った声が大音量で響く。
『 緊急事態! 緊急事態! 大量の汚染魔力を検知! 場所はカルアン邸宅付近! 敷地内にフェイルが侵入した恐れあり! 』
一瞬にして緊張が走る。
『 緊急事態! 敷地内にフェイルが侵入した恐れあり! 直ちに 』
「シラー! リ」
魔石からの報告と、グラントが指示を飛ばそうとした矢先。ササハは悲鳴を忘れた。
昼間なのに黒い。宙にポッカリと空いた黒から細く、長く、しわがれて、歪で、悍ましい手が現れた。
誰も動けず、ただそれを見上げる。真っ赤な二つの薔薇を咲かせた、大きな、大きな異形。
黄金の魔術師。
その黒い異形の指先から紅い雫が垂れ、音も、何も無くなった静寂の中。ぽたりと一滴の雫が、カールソンの頭へと落とされた。




